柳家喬太郎の健保寄席

喬太郎師が「健保寄席」という企画で新作落語を演じているという情報を知り、You Tubeで早速拝見してみた。
喬太郎師もこんな仕事をやるかというのが最初の感想。
健康保険関係の新作落語「酒と恩返し」「ばあちゃんとスマホ」の2席。

「酒と恩返し」は、高齢者医療費が1割から2割になるので、ジェネリック医薬品を活用しようというもの。
「ばあちゃんとスマホ」は、オンライン通院のおすすめ。
普通の落語ではない。それぞれPRの役目を果たさないとならない。

PR用に新作落語を委嘱する企画は、たまにある。いやらしいが、ギャランティーもいいのでしょう、きっと。
春風亭昇々師も二ツ目時代に、投資に関する落語を証券会社のために作っていた。いつぞやの高座のマクラでその件を話していたのを思い出す。
その落語はTVでもやっていたのだが、もう残していないので、昇々師以外に誰が参加していたかすら覚えていない。
残していないのは、落語のデキがやはり、PRならではの内容だったから。
明らかにつまらないというのとは、ちょっと違うのだけど。企画のモードをいつまでも引きずって落語を聴けるわけじゃないから。
こういう落語は、必然的に掛け捨てとなる。
三題噺からでも歴史に残る落語ができるのだが、スポンサーのための落語だけはどこにも残らない。

そんな前提を持って聴く、喬太郎師のPR落語はどうか。
これは師のせいじゃないが、字幕をやたら出していて、興覚め。エンタの神様か。
せっかくの落語だが、音だけ聴くことにする。
聴覚障害者に楽しんでもらうつもりなら、何も言えないが、そうなのか? 障害者にかこつけて、強い字づらのメッセージを出したがっているだけの気がする。
落語は想像を駆使して聴くものなのに、想像を邪魔する仕掛け。任意に消せるYou Tubeの字幕にできなかったのだろうか。
まあ、PRの効果は、PRを企画した人の責任だ。

そんな映像だが、内容は実に面白かった。
後半の喬太郎師のひとり語りは間違いなく面白いのだが、前半の落語2席がすでに。
すでに聴き終わっていて、なによこれ、こんなのキョンキョンじゃないと思った人も、きっといるだろう。
実はその気持ちも、実によくわかる。楽しかったかそうでないかは、実にもって紙一重。
喬太郎師のこの二席も、掛け捨て。シーンだけ他の新作に流用されるなんてこともない。配信の終了とともに消滅するさだめ。

字幕の件もあるし、掛け捨ての落語に価値を見出さない人がいても、まったく不思議はない。
だが、掛け捨ての落語だからこそ、喬太郎ワールドが如実に現れていた。
喬太郎落語っていうのはなんだ、と改めて考えさせてくれた。

【これが喬太郎落語だ】

  • 登場人物の穏やかな、しかししっかり笑え、ちらりと毒も入るやり取り(古典落語から来ている)
  • 登場人物の性別・年齢が実にわかりやすい(しかし「声色」を使う技法ではない)
  • クスグリ命(といって渾身の力を込めたものではない)
  • どこかで1回だけ、与えられたキャラの秩序を裏切る登場人物
  • 喬太郎師の抱える劇団員が登場し、噺の中で演技をする(手塚治虫のスター・システムと同様)

今回の落語に価値を見出さない人の気持ちは理解する。
ただそう感じた理由が「なにこれ、サゲもつまんないし、手抜いてんじゃないの」だったとするならば、それだけは違うと言わせてもらいたい。
劇的なサゲというもの、あればあっていいが、そこが肝ではないのだ。
喬太郎師の落語のどこを切っても、落語が詰まっている。それを証明してくれる動画。

「酒と恩返し」では、コロナ禍、ソーシャルディスタンスが義務付けられた飲食店の現況がしっかり描写されている。
もちろん消えてしまう落語である。数年後に「こんな時代だったんだ」という振り返りのためにとっておくものでもない。だが、この一瞬に高い価値がある。
お客として現れたお爺さん。すっかり酒が弱くなったよと言いながら、ビールをぐびぐび飲んでみせる。
先に挙げた「裏切り」なのであるが、それだけでなく「試し酒」のエッセンスまで盛り込まれているではないか。

「おばあちゃんとスマホ」でも、一人暮らしの婆さんが、ネットスーパーで大量の買い物をしている様子がギャグになっている。
さらに、その大量の荷物を自ら2階に運ぶ衝撃のギャグ。やはり裏切り。

この2席、繰り返し聴いても楽しい。
喬太郎落語の肝が、サゲなどにないことがよくわかる。そもそも、古典落語がそうなのだが。

メイキング映像に、先日「芝カマ」を聴いたときに話していた、オリンピック小噺が入っていた。
差しさわりのない「中条きよし」だけ残されていたが、これはまあ、カットして当然。

後半のトークも、しっかり落語になっていて楽しいものでした。酒の談義であるとか。
ギャグを無理に入れなくても、喬太郎師が喋ればすべてが落語になるのだった。

超一流の噺家は、こんな不自由なPR落語でも、しっかり楽しくしてみせるのだった。
ちなみに、「超」が付かないとダメだ。一流の噺家でも、この企画はひたすら難しい。

作成者: でっち定吉

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