トリが一花さん。
とにかく、その語りと所作で、客を芯からくつろがせ、気持ちよくさせてくれるセラピストみたいな人。
連雀亭を満員にするのは林家つる子さんも同様だが、つる子さんの席にやってきたのは、浮ついたおじさんばかりだった。
一花さんの場合は女性客も多く、雰囲気は結構違う。
橋蔵さんと同様、二ツ目になってまだ3年半だが、実力は申し分ない。なにしろさがみはら獲ってるからな。
皆様も部活をされたかと思いますが、私は中高とハイキング部でした。
ハイキングといっても、街を練り歩いたりする活動でした。
ただ、先輩に山が好きな人もいて、そうしたときには山へも行きました。
はな平アニさんみたいにオチケンにでも入っていればよかったのですが、ハイキング部の経験は落語の役には立ちません。ただ、ひとつだけあります。
古今亭菊之丞師匠もハイキング部だったんです。ご存じないでしょみなさん。そのつながりで私、わりと可愛がってもらってます。
と振って愛宕山へ。
大作だなまた。でも、20分できっちりやり切っていた。大作感はしっかり残して、枝葉を削ぐ見事な編集。
私ごとだが、菊之丞師の披露目をフラッと末広亭に観にいった際、師がトリで出していた演目だ。結構その印象は強い。
調べるともう18年前のこと。この頃も落語は好きだったが、今とは頻度がまるで違う。
一花さん、菊之丞師に教わったということなんでしょう。
ちなみに、京都に話を向ける前に、信仰の対象としての山に触れる。ご主人・金原亭馬久さんのやる「富士詣り」にでも進むのではないかと一瞬思った。
上方でよく聴く、一八の尻押しや、京都の山自慢などはない。
調子のいい幇間がとても上手く、客にとってもいい心持ち。
前半は、ひたすら「サイサイ節」。幇間の一八、最初は元気にサイサイ節を謳いあげるが、じきにくたびれてくる。
いい声のサイサイ節、ここは見事で、中手が飛んでいた。
かわらけ投げでは、旦那は最初から小判を投げる。時間の関係かもしれないが。
菊之丞師の展開ってこんなだっけ? 聴いたことないけど師匠・一朝から来ているのかな? とも思う。
でも、セリフ回しと顔の所作が、やはり菊之丞師ぽかった。どの場面だか忘れてしまったけど。
それにしても一花さん、所作の美しさにはいつもいつも感心させられる。
踊りができて(知らないけどできるでしょう)、唄がよくて、笛吹きだときたら、こりゃ完璧だ。
花魁もびっくりだ。そのうち、廓噺のマクラでもって、なんでもできる花魁の例として、一花さんをネタにする噺家がいそうだ。
セクハラですかね。
一八が止めるのも聞かず小判を投げ続ける旦那に、一八が腕で丸を作って、「的、ここ」という爆笑ギャグがあるが、その丸の所作も実に綺麗。
旦那、おたからを捨てるなんてムダじゃないですか。お前と京都まで来てるのが一番のムダだよ。哲学的なギャグ。
ちなみにこの旦那、「オオカミに食われちまえ」などと一八に言う薄情な人に思えるが、人のいい一花さんが描くと、そんな造形には見えない。
この旦那、谷底に閉じ込められても必ず助けに来てくれそうな気がする。
愛宕山は、もともとマンガっぽい噺だと思う。谷底に傘でダイブして、人間カタパルトで戻ってくるなんて、マンガには違いない。
だが、このマンガに、落語リアリティをたっぷり注ぐ一花さん。
傘を持って谷底にダイブしようとする一八はたっぷり描写するのだが、茂蔵に突き落とされて宙を飛ぶシーンはスパッとカット。
そして、無事だった一八、谷底から傘を振って合図。
最もリアリティのないシーンを省いて、ウソの中のリアリティを厚めにする。
一花さんは毎回、古典落語に1か所だけ自分のギャグを入れる方針らしい。
谷底で着物を裂き、縄をなう一八。力を込めてカタパルトを作りながら独白する。
「今日は神田連雀亭ワンコイン寄席、忘れてました」。客、爆笑。
「はな平アニさん、橋蔵さん、どうもすみませんでした。間に合ってよかったです」と言って打ち上げられた一八、見事座布団の上に正座で着地する。
たぶん、愛宕山のときは毎回、ここでなにかしらギャグを入れるのだろう。
3人とも真剣に聴いてしまって、この日はわずか3席なのに実になんとも、くたびれた。
くつろがせてくれる人ばかりだったのに。
真剣に噺聴くなんて、野暮ですな。でも、思わず身を乗り出してしまう高座が続いた。
落語が好きで、本当によかったなと思います。