国立演芸場4(神田蘭真打昇進披露)

雨の金曜日は国立演芸場へ。講談・神田蘭先生の真打昇進披露である。
芸協もたまには行かなきゃ。歌丸師追悼も兼ねて。
私は最近、短い時間の席が多い。さらに言うなら、安い席(またはタダ)。
仕事もあるから、そんなに一日中聴いていられない。
とはいいつつ、今日は定席なのでそこそこ長い。
落語の前にQBハウスに髪を切りにいき、座ってどうしますかと訊かれた最中、目の前のディスプレイのニュースでオウム死刑執行を知りびっくり。

行く寄席は結構迷った。この日だけではなくて、前後数日と比較して選んでいるのである。
例えば、翌日土曜日の七夕には、黒門亭で柳家小ゑん師の「銀河の恋の物語」ネタ出しがある。鈴本で聴いたことがあるが、季節を限るから再度聴きたい噺だけど。
同じ金曜日であれば、亀戸梅屋敷寄席の主任は三遊亭竜楽師。どんなネタでも必ず楽しませてくれる師匠。
亀戸のこの週は、火曜が好楽師、木曜が萬橘師だった。3日間のうちどれかに行くつもりでいたのだが、さすがに、4か月連続で亀戸はなあと思い止める。
円楽党は、普段行きづらい夜席の両国に、子供の夏休みに行くからいいさ。
それから、新宿末広亭も直前までかなり熱心に考えた。こちらは瀧川鯉昇師の主任で、芸協にしては層の厚い番組。
最終的には、東京かわら版で1,900円になるコスパのよさと、たまには講談も聴きたい気持ちで、当日国立に決めた。
鯉昇師の禿頭も素敵だが、たまには綺麗な女性の芸人さんを拝みにいきましょう。
神田蘭先生は、落語の寄席では聴いたことがないはず。随分前、日本橋亭の二ツ目さんの講談の会で聴いた。
国立は、そのロケーションも含めて、ちっとも好きではない。好きでない割には結構来るから我ながら謎だ。すっかりご無沙汰している新宿や浅草などより、よほどよく来る。
国立に来るといつも酒飲んでしまうのだが、今日は止めておきます。素面だけど、結構眠かった。
かわら版の200円割引はありがたい。だけど、チケット発券までいつもすごく時間掛かるよなあ。

幕が開くと、お披露目らしく後ろ幕。新宿高野、新宿つな八、水炊きの玄海の連名だ。蘭先生はスポンサーがすごいですね。

前座はボールドヘッドの桂伸しんさん。東神奈川で昨年聴いた(寝たけど)のと同じ、楽しい「饅頭こわい」。
なんとなく、芸協っぽくない前座さん。なにをもって芸協ぽい前座というのか自分でもわからんが。
どちらかというと、円楽党っぽい気がする。演技派なんですね。
後で、嫌がらせに使った饅頭をみんなで食べるために茶を淹れるから、湯を沸かしとけというシーンが珍しい。
そうですな、もったいないもんな。禁酒番屋のカステラも、昔の人の音源聴くと、食べられる嬉しさが伝わってくる。
あと、ぷるんぷるんするくず饅頭を投げつけてやれというクスグリ。

神田深紅「桂昌院」

二ツ目枠から講談。珍しくていいですね。前座さんも、釈台を出したり引っ込めたり、忙しい日。
お披露目の主役、蘭先生の妹弟子、神田深紅先生。「キッチンではありません」。
講談の世界も女性が多くなり、姉弟子の蘭さんも綺麗。師匠の紅先生も綺麗。でも私は、日本三大ブスの産地、水戸出身だと。
そこから、ぶちゃいくな女性の出世噺、「桂昌院」。5代将軍綱吉の生母である。
家光の側室として江戸入りしたお万の方に仕え、一緒に大奥入りする「たま」。珍しく大奥の湯に浸かっていた家光が、お万の方の入浴中だと勘違いして外から話しかけるたまを気に入り、手を付ける。湯気で不細工なのに気が付かなかったのだと。
これが「玉の腰」の語源である。「嘘ですよ、講釈師見てきたような嘘を言い」。
講談というものは、落語の地噺によく似ているなあと改めて思う。楽しい一席。

三遊亭遊雀「熊の皮」

早くも三遊亭遊雀師の登場。
末広亭か国立か迷ってこちらに来たのは、この師匠の顔付けも大きい。
しかし、演目はいつもの「熊の皮」であった。多少落胆。
でもこの師匠は、寄席では熊の皮なんだと思って開き直って聴くと、実に楽しい。なにも、客が開き直ることはないけど。
マクラまでいつもの「鏡でございます」などだが、でもいいじゃないか。
いつもの噺をいつものようにする噺家さんもいるが、そういうパターンとはちょっと違い、常に新鮮ではある。
隅々まで知っている噺だから、声の出し方など、細かいところに着目して楽しく聴けました。
ただ、この師匠は一度、寄席じゃなくて落語会で聴かなきゃなと思う。
スケジュール見るといろいろやっている人だ。

コント青年団は、昨年池袋で観たネタで、三流高校の先生と生徒。同じネタとはいえ、パワーアップしていて実に面白かった。
コント芸人さんも落語の寄席に出るけど、みな芸協である。
そして、危ない発言が多くてスリリング。
客いじりも絶妙。この人たちはみんなたっぷり年金もらって勝ち逃げ世代なんだよって。

神田松鯉「源平盛衰記 扇の的」

続いて神田松鯉先生。この先生は1年半ぶりとなる。もっともっと聴きたいのだけど。
講談をもっと聴くためには、落語協会ではなく、芸協にもっと通わなくちゃ。それか、日本講談協会の席に行くか。
東京の講談界は、赤穂浪士と同じ47人という数字がずっと続いている。面白いことに、ひとり入るとひとり退場する。ついに、次は私の番になったとのこと。
そう言いつつ新弟子取ったと東京かわら版で読んだけど。
とはいえまだ先を見届けたいことがあって、それは貴乃花親方の行く末。貴乃花は、蘭先生の御贔屓だそうで。
演目は源平盛衰記から、那須与一でおなじみの「扇の的」。
さすがベテラン講談師は違う。腰の座りがすばらしい。結末のわかっている噺を前のめりになって聴いてしまう。
そして緊迫シーンを緩めるため、講談では演者自体が笑いを入れるが、松鯉先生は、無理に入れない姿勢がすばらしい。笑いよりも、緊迫を一瞬緩め、客をリラックスさせることのほうを重視しているようだ。
そして結果的にそのほうが、面白いし笑えもする。
落語も含めた話芸の見本。しびれるなあ。

三遊亭小遊三「置泥」

仲入り前は、芸協の会長代行、三遊亭小遊三師。
芸協の会長にはなりたくなかったらしいが、歌丸師の指名もあったようで、もう逃げられない。
歌丸ネタを期待したのだが、披露目の席のためか一切触れず。
珍しく、何のネタをやるか迷っている。朝起きたとき、今日は源平盛衰記をやろうと思ったのだが直前で出てしまった。とはいえ、ネタはだいたい3つくらいは候補がある。二番目が「熊の皮」で、三番目が「饅頭こわい」だった。嘘ばっかり。
前日、大田区の特殊詐欺防止のイベントで、泥棒の噺をしてきたそうである。競演は寸劇の人やピーポくん。
そして、これはよく聴く、一回り年が上の、実家のお姉さんの話。オレオレ詐欺に騙されなくて済んだが、クソババアと罵られたという。うちの姉がクソババアだと見抜くとはさすがプロ。
お客様を観察しますと、今日は泥棒の噺だと、十八番の「置泥」に入っていった。落語協会では夏泥という噺。
いきなり泥棒が入ってくるのを、家の中からすってんてんの大工が眺める導入。
いつもこの形でやっているわけではなかったと思うが、この日はマクラが長くなりすぎたのだろう。さすが変幻自在。
講談師が主役の披露目の日だから、仲入り前とはいえ噺家さんは実にあっさりしている。泥棒と大工のやり取りも短め。
あっさりだが満足です。

口上

仲入り後は披露目の口上。
遊雀師が司会。
遊吉師「私は三遊亭ですし、あちら講談の蘭さんと、実は特に関係ないんですけど。あえて関係を探してみますと、職場が一緒」。
紅先生「亡くなった歌丸師匠にも蘭さんは可愛がっていただきました。上野のシャンシャンはいずれ中国に帰りますが、うちのランランはずっと日本にいます」
松鯉先生「神田派は、明るい芸風。蘭さんはまさにこれを実践している。講談師は、一声、二節、三啖呵。蘭さんは基礎ができていて、その上で独自の領域を開拓している」
小遊三師「蘭さん本人には確認していないが、貴乃花親方の慰労会を移すテレビから、聴き慣れた声が聴こえてきた。本人には確認してないのだけど、いろいろやるもんですな。芸人、これから先必ず一度は落ちるんです。一度落ちた後、もう一回上がっていくことが大事なんです。これを蘭高下といいます」
三本締めの際、遊雀師に音頭を振られた小遊三師が「オレでいいの? 歌丸師匠と替わろうか」と言っていた。この日初めての歌丸言及。

三遊亭遊吉「紀州」

三遊亭遊吉師も、披露目なのでごくあっさりと。
大学で教えている学生から、ネタが集まるのだと。
中にはフランス小噺とか、原典があるだろうというものもあるが、結構若い人の感性は面白いのだと。
この小噺、5つ6つ披露していって、ひとつ残らずウケていた。
ふたつだけ覚えている。
父「お前、男ができたね」娘「生まれてみなきゃわかんないわよ」
女神「お前が落としたのは、この必修科目か選択科目か」学生「必修科目です」女神「正直な若者よ。ご褒美に留年をあげましょう」
後のは忘れたが、こういうのはいずれ不意に思い出すものだ。
人のネタを、人のネタとして紹介するというのは、実は案外珍しいことではないか。
「紀州」に入るとあっという間であった。ここからはお決まりなのでちょっと寝た。
遊吉師も、もしかすると10年ぐらい聴いていないかもしれない。声が素敵な師匠で、いつも気にはなっている。

紅先生も楽しみにしていたのだが、またちょっと寝てしまいました。すみません。
とぎれとぎれに海賊の噺を聴く。瀬戸内スペクタクル巨編。
水中でのくんずほぐれつのバトルが、なぜかシンクロナイズドスイミングになる。

ボンボンブラザースはいつも楽しい。披露目にはぴったり。
鼻に紙を載せて場内一周はいつものパターンだが、今日は落っこちたところで止めていた。

神田蘭「豊竹呂昇」

さて主役、神田蘭先生は寄席の世界でも筆頭の美人である。
真打になろうというのだからそれなりのキャリアを積んでおり、トシはそこそこであるが、実に綺麗。
単に綺麗なだけではなくて、華がある。そして自分でその華をよく自覚していて、さらに輝こうと懸命だ。
芸人さんに必要なのは、自分の飛び道具を磨くこと。綺麗な人はその魅力を活かせばいい。
この日もやっぱり蘭先生、実に綺麗だ。披露目で顔を上げた際、光が差していたもの。いや本当だ。
これから、さらに年増の魅力が付け加わってくるだろう。
年金暮らしのお父さんが、美人講談師の追っかけになる心情は、非常によく理解できる。そんなお父さんがたくさんいて、盛大に声が飛んでました。
毎日来てる人も多いみたいで、披露目の席で紅先生がそう指摘していた。ジジ殺し芸人ですな。
理解はよくできるけど、私には追っかけはできません。
まあ、老後の楽しみとしては悪くないんじゃないか。

蘭先生はじょぎが主人公の一席。女義太夫である。
約束していた若旦那に裏切られ、若旦那との間の子を残して海に飛び込もうとするじょぎ。
以前かくまった巾着切りに命を助けられ、これを機会に名古屋から大阪に出て修業に励み、豊竹呂昇という名をもらう。
女芸人の出世街道と、恩人との出逢いと別れを描く姿が、講談師にシンクロする。聴かせるなあ。
「どうする連」など、じょぎの追っかけをやっていた男どもが、現代では蘭先生を追っかけているのだ。まあ、みんなお爺さんだけど。
あと、披露目で松鯉先生が褒めていた通り、蘭先生は大きな声から小さな声、太い声から可愛らしい声まで見事に使いこなす。だんだん高揚してくる。
ご本人、この日の高座では言ってないが、なんでも美川憲一のボイストレーナーに教わった成果だとか。

聴き方として女流の講談師や噺家をやたらと避けるのも変だ。でも、別に嫌いじゃないのに、ぴっかりさんなど避けてるかもしれない。
これでは美人差別ですな。
いささか屈折したファン心理かもしれないが、とにかく、実に綺麗な蘭先生については、またどこかで聴きにいきたい。
男前の噺家だけ追いかけてもなんですから。
ちなみにこの日の披露目、私にとっては自分でも驚くほどの刺激になったようで、翌朝蘭先生の夢を見た。これは本当。
ランラン恐るべし。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。