落語会の悲劇

東京かわら版を隅々まで見ると、日曜日の品川区某所、駅のそばで落語協会の二ツ目さんの落語会がある。500円。
城南地区では、落語会はそこそこ見かける程度。「目黒のさんま」「品川心中」「居残り佐平次」の舞台なんだからもっともっとあってもいい。「鉄道戦国絵巻」もよろしく。
城東地区にはたくさんの落語会があって、住民でない私もちょくちょく顔を出す。城北にも結構あるように思う。がんばれ城南。
日曜日の昼1時間程度。自転車で行ける距離なので、炎天下にちょっと出かけてみる。
しばらく聴いてない二ツ目さんだが、明るい高座を務める人だから、聴いて損はすまいと。
なぜ私は噺家さん本人の名前を隠しているのか。
この噺家さん自体になんら問題があったわけではなく、むしろ十分に好意を持った。別に隠さなくてもいいのだけど。でも検索で引っ掛かると今回申しわけないので。二ツ目さんの名前、かなり当ブログに引っかかるのだ。
いろいろと気分の良くない会だった。以下延々5日間(※Yahooブログ掲載時)に渡って愚痴が続きますことをあらかじめお詫びしておきます。
13日の金曜日に始めるネタとしてはちょうどいい。
当ブログ、「寄席地獄絵図」とか愚痴内容が意外と好評のようなのだが、でもダメージを受けたときにネタになることを喜んでいるわけじゃないのだ。

会場の小さな会館に行くと、ボランティアらしいおばさんが暑い中呼び込みをしている。前を通る人がやたらいるわけでもないのに。見上げたものだ。
会館前に自転車がたくさん並んでいるのを確認しつつ、おばさんに自転車置いていいのか訊くと、自転車置き場というのはないと。目の前に、有料の公営駐輪場があるからと。
だけど、有料の置き場、満車なのだ。自分の目をちゃんと開けば、おばさんにだって満車表示なのは確認できる。
おばさん、役に立たない目ん玉はくり抜いて、銀紙貼っといたほうがいいんじゃないか。
駐輪場、係員がいれば、スカスカの月極に置かせてもらえるのだろうけど日曜だし。
地元の人には悪いなと思いつつそこらに置いて戻ってくると、おばさん、なじみの家族連れが来たら自転車、会館の前に停めさせていた。
なんだかな。
まあ、おばさんも炎天下でがんばっているのだ。この程度ではまだ腹を立ててはいけない。決して愉快ではないけど。

会場である2階に上がると、子供だらけ。しまった、こういう会なのか。
未就学児が見事に潰した寄席(神田連雀亭)に遭遇し、当ブログにも保護者への批判を載せたりしたが、私は決して子供嫌いではない。
嫌いでないどころか、世間の大人の水準からすれば、相当に子供好きだといってもいい。子供が落語を聴いて喜んでいるのも嬉しい。
それはそうと、実質子供のための落語会に大人ひとりが参加するとなるとどんなものか。
一瞬、本気でいったん帰りかけたのだが、大人の客が後から来たので気を取り直し、ブログのネタ用に聴いていくことにした。
親子寄席というわけではないし。

***

東京かわら版にもいろんな落語会が日々載っているが、中には結構恐ろしいものもある。
受付では、名前を書かされた。予約客ではないとちゃんと言ってるのに。
あとでアンケートと付け合わせて、案内を送りたいのだろうか。ボランティアの人というのは一生懸命なのはいいけど、だいたい押しつけがましいね。
地域寄席を手弁当でスけている人は多いだろう。だがそういう人と、ボランティアとはよく似ているようで、仕事の方向性は真逆ではなかろうか。手弁当の人で押しつけがましいなんてあり得ないだろう。
これが無料の会だったら、私だって気持ちよく名前くらい書きますよ。
でも、ワンコインとはいえ有料客なのだ。お金を払う人に、目的も言わず名前を書かせるなんてね。
私は別に、個人情報どうこう言いたいのではない。それを理由に嫌がる人も間違いなくいると思うけど・・・
結局、入場料徴収しておきながら、お客だとは思ってないんだろうな。「私たちが日頃古典芸能に接することができないあなたのために、安く聴ける機会を作ってあげましたよ。よかったですね」という感覚なんだろう。
江戸の朱引外、荏原郡時代の興行だったらそれでいい。だが現代、電車に乗れば、30分以内でどんな文化にだって生で触れられるし、事実私も日常的に触れてるんだが。
まあ、ご近所らしい老夫婦など、子連れでない大人もいたけれど、私と同じような、間違って来てしまった口か。経験したことのない異様な雰囲気が漂う。
受付でもらったチラシには、子供関係のNPO法人の名が。なるほどな。子供たちのすこやかな成長のために落語を聴かせてやりたいという善意の塊なのだ。

40人定員だが、30人程度入っている。動員成功というところか。
メクリには寄席文字でなくて、習字の上手な人が普通に名前を書いている。ボランティアのおばさんの、得意げな顔が目に浮かぶようだ。
まず前座さん。落語初めて聴く人どのくらいいますかと訊くと、結構手が上がる。
それから寿限無に。
これが、八っつぁんがご隠居を訪れるという冒頭だったので驚いた。お寺の和尚の出てこない、そんな型があるとは知らなかった。
もっとも、寄席ではめったに寿限無は聴かない。
様々なバリエーションがあっても、こうした会でのみ、出番を待つ噺なのだろう。
ちなみに、寿限無の名前にもいろんなバージョンがある。この前座さんのものは、NHKの広めたスタンダードとはやや異なっていたので、覚えている子供は戸惑ったかもしれない。
大差はないけど。雲来松が雲行末で、ブラコウジがヤブコウジで、グーリンダイが一個なくて、ポンポコナのポンポコピーだ。
子供に違うと言われるため、やむを得ずNHKバージョンで覚え直す人もいるらしい。
子供が楽しい寿限無で喜んでいたから、開口一番、上出来でしょう。

***

主役の二ツ目さん登場。師匠の前座時代の名前を受け継いでいる。
よく行く神田連雀亭の会員でない二ツ目さんは、あまり動静がわからない。
「前座・二ツ目・真打・ご臨終」という噺家4階級の中の「二ツ目」ですと紹介。
それから笑点にも触れて、あの黄色い木久扇師は、バカに見えるけども、あれは番組の役割。本当の木久扇師はバカです。これ黙っといてください。
まあ、二ツ目さんが笑点をいじるときの対象は、だいたい木久扇師匠ですな。無害なんでしょう。
続けて「我々の業界、なかなか上がいなくなりません。この間ようやくひとりいなくなりました」。客が笑うと天を仰いで、「すみません」。
この会は、品川全土を廻っているのだが、お子さんのために本来催しているのに、お子さんが来たのは初めてだとのこと。
なるほど、ボランティアの人がいろいろ声を掛けて集めたのだね。子供だらけだ。
前座さんのときは多少固かった子供たち、なんとなく楽しい雰囲気を漂わせる二ツ目さんに対して遠慮がなくなったのだろう、まあ、喋る喋る。
保護者と喋るのではなく、演者の所作にことごとくツッコミ入れるのだ。「あー指を飲んでる」とか「扇子で食べてる」とか。
まあ、私も人の親。そんな無邪気な感想を、決してほほえましく聴けないわけではない。
ただ、一応500円の身銭を切って入ってきた有料客なので、まともに落語を聴く環境でないのは残念。
その程度の金で、小さい奴だなと思われたら仕方ないが。
無料でやるべき会ですね。それなら、未就学児のことだし別にいいのだが。
昨夏、横浜の野毛山動物園で聴いた小せん師の落語会、後ろで盛り上がるビアホール客がとてもうるさかったが、タダだから気持ち的に許しているのだ。
ボランティアが頼んで来てもらった客なので、やりたいようにさせているのだろう。
でも、東京かわら版に載せておいて、それを見てわざわざ来た大人についてはどうでもいいのだろうか?
というか、未就学児の保護者も、静かに聴こうねって注意しないんだな。
そんな未就学児がたくさんいる一方で、小学生は実に品のいい子供たちだ。
いろんな年齢の子供がいたけれども、品川区の小学生は品がいいなと思う。ちゃんと座ってるもの。
まあ、具体的に他区の子供を比較対象にしたわけではないので、これについては話半分に聞いてください。

二ツ目さん、知ったかぶりの噺をと、とあるお寺の和尚を出そうとしたところで、前列の未就学児が「知ってるー」。
一瞬くじける二ツ目さん。だがここからが偉い。
子供が高座に口を出すという流れから、入ろうとした転失気を止めて、怪談噺の「執念」「妄念」「残念」の小噺に入る。
そして、転失気にはもう戻らず、お菊の皿へ。これをたっぷりと。
幽霊の所作をするが、子供は引き続き「ぜんぜんこわくなーい」。二ツ目さんもさすがに、噺を進めないといけないからいちいちは相手をしない。
いや、そんな奇妙な環境のもと演じられたお菊の皿は非常によかった。若い衆もお菊さんも、皆がすっとぼけている世界の構築。
季節になるとみんなやる噺だけに、突出するものがない人だと、いささか寂しい。
ゴージャスな鬼火の演出とか、十分突出していました。
「怖がっている若い衆を嗤う」というのは、子供にもわかりやすいシチュエーション。

***

一席終わって、転失気やろうとしたのですが、知ってると言われちゃいましたと二ツ目さん。この噺は、サゲを言われちゃうと辛いんで。
その点、お菊の皿なら言われちゃっても大丈夫だと。
演者は決して嫌味で言ってるわけではないのだが、この発言を聴いてなにも感じない保護者は本物のバカ。

すでに50分経過しているので、予告していたQ&Aコーナーに入るのかと思ったが、もう一席と言って青菜に入る。
入る前に、足がしびれましたと運動をする。
よく、「噺家さんは足がしびれないからすごいですね」などと言われるが、しびれますだって。
後半で、噺家の所作が激しくなってきたら、だいたい足がしびれているんですよなんて。
先日の昇羊さんは、1時間、全然平気な様子だったけど。
青菜もなかなかいい一品だった。押し入れから出て、頭から湯気を上げたまま亭主の隠し言葉に必死で答えるかみさんがいい。
なるほど、カミさん、頭がぼうっとしていたので、「義経」まで言ってしまったわけだ。新解釈。
ちなみに亭主が女房に「・・・の旦那の世話でお前と一緒になったけど」。師匠の本名がさりげなく入っていた。
二ツ目さん、独自の個性を発揮しつつ、かつ師匠を彷彿とさせてくれる。コピーではなくて、DNAを感じる。

それからQ&A。二ツ目さんは1時間半のつもりでいた? よくわからないが。東京かわら版にもチラシにも1時間と書いてある。
小学生の男の子が、学校で演劇をやるのだが、なかなかセリフが覚えられない。どうすればいいかと。
二ツ目さん、我々はセリフでなくて、その人の言葉として覚えます。だから忘れにくいと。
学校の劇でセリフが毎回違うのもどうかと思うが、噺家さんの芸談としてはいいじゃないか。
この男の子がはきはきして、物おじしないのがよかった。こういうところに、品川区のいい点を感じるのである。

あとは、どうやったら落語家になれるかなどの子供の質問。
それに絡めて、二ツ目さんも前座の苦労を語る。
大人からは、「噺をいくつ持っているのか」というありがちな質問が出た。
二ツ目さん、「その質問をするのは構わないと思いますが、噺家さんからすると困るんです。噺は我々の財産ですから。いくら貯金がありますかと訊かれるのと一緒だからです」だって。
真打になったときに、トリを取ると前に20人出ている。その際、すでに出た噺と被らず、できる噺がないといけないんですと。まあ、それはそうだね。

***

噺家2名が退場後、なおもボランティアのおばさんが、いろいろ宣伝をしていたが、他の大人グループと一緒に私も隙を見て退席。
宣伝を頑張るのは決して悪いことじゃないが、やっぱり善意による押し付けがましさを感じる。
地域寄席なのであれば、もっと余裕が欲しい。子供も大事だが、わざわざ来たお客を、きちんともてなして欲しい。
会場正面、無人の空間に、二ツ目さんと前座さんだけが待っていてくれる。ボランティアは宣伝に懸命で誰もいない。
二ツ目さん、お客をエレベーターで見送ってくれる際に、ボタンを押してくれた。噺家さんは偉いな。

まあ、振り返ってみれば楽しいところもたくさんあったけど、その楽しさの方向性は、早朝寄席や神田連雀亭ワンコイン寄席で日頃得ている楽しさとはまったくベクトルの違うもの。
罪のない子供が破壊した席であることを前提に、それにも関わらず楽しみが多少あったという程度。
せっかく行ってきたのだからブログのネタにはした。まさか5日分になるは思わなかったが。
二ツ目さん、悪気のない子供が高座を破壊しても、くじけないその心臓にはちょっと感心した。
今後もっと注目する。真打になれば、もっといい世話役がついて、もう少しいい会が開けるだろう。辛抱だ。
そのときは、このくじける会をネタにして欲しい。もっとも、転失気をやろうとしてお菊の皿にした話は、さっそくどこかで出ると思うけど。
私が、この会に再来することはない。比較的近所なのに残念だが、丁稚のブラックリスト入り。
昨年迷い込んだ、大井町きゅりあんの無料落語(と浪曲の)会に続いて、品川区の落語のハズレ率高し。きゅりあんの会もこちらも、演者の責任ではない。
地域的に、文化というものに対する斜に構えた、間違った思いがあるんじゃないかな。落語は、「どうだ、これが文化だ」と大上段に構えるようなものじゃない。
ちなみに、この二ツ目さんの師匠が品川区でやっていた地域寄席に、10年以上前に行ったことがある。二ツ目さんも、確か前座で出ていた。
サゲを言うババアがたくさんいたりして、客層がろくなもんじゃなかったのを思い出した。
佐平次のアニイや本屋の金蔵が、品川宿の草葉の陰で泣いてやすぜ。

しかし、この日のアンケートにはいいことだけ書いてきてしまって後悔している。決して嘘を書いたわけではなく、特殊な環境でくじけない二ツ目さんに感銘を受けたという、実際に思ったことを書いたのだけど。
その日の落語の充実度は、帰る途中で現れてきますね。
ブログのネタができたのにも関わらず、実のところ行って後悔している。事前にわかることではないけど。家で仕事してるんだった。
といって、私は押しつけがましいボランティアのおばさんたちや、アホな保護者たちに対して、いつまでも激しく憤り続けているわけではないのです。
関係者がたまたまこのブログを目にしたからといって、私に対し詫びていただきたいわけではない。
そんなことより、大好きな落語を聴きにいって、裏切られて帰ってきたという事実が、しみじみともの哀しく、いつまでも後を引くのでした。

(2020/2/1追記)
当ブログが関係者の目に触れたためでしょう。2019年にはこの会、東京かわら版に掲載されなくなりました。
まあ、内輪でせっせと使命に燃えてやってくれやと思う次第。

 

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カテゴリー: 落語会

作成者: でっち定吉

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