もう2週間前の話である。少々不快な経験だったので後回しにしてしまった。
聴いた落語を、使命のように全部紹介しようと思っているわけではない。スルーしてもいいのだけど、不快だった事実を書きたいのです。
といっても、芸人に対しての不快感ではない。
東京かわら版をチェックすると、土曜日に無料の落語会がある。大井町で「品川アーティスト展」。
私が大ファンの柳家小ゑん師匠と、もう一席は浪曲。たまには浪曲もいいでしょう。
タダ落語大好き。昼間の時間帯もちょうどいいので行ってみました。
大井町駅前の「きゅりあん」。ここの大ホールでは、よく落語会をやっている。品川区では、武蔵小山のスクエア荏原と並ぶホール。
1階の小ホールには初めて入ったが、こちらもなかなかいいホールである。小ホールといっても、池袋演芸場よりずっと広いし座席も立派。
公式の特設サイトを見ても、具体的スケジュールがよくわからない。とりあえず行ってみる。
いいホールなのに、客席はガラガラ。宣伝不足につきるだろう。誰のためにやっているのやら。
毎年やっているアーティスト展だが、芸人さんを呼んだことはなかったようだ。
一席目が、若干21歳の女流浪曲師、国本はる乃先生。
稲田和浩さんの解説を挟んで、小ゑん師匠。
小ゑん師匠は品川区在住だから呼ばれたようである。そういえば、林試の森公園のそばを歩いていて、たまたま小ゑん師匠ご自宅の表札を見つけてびっくりしたことがある。
国本はる乃先生は、茨城県稲敷郡在住だそうで、区民ではない。
演目は忠臣蔵から「大石山鹿護送」。
だが私、少々疲労がたまっていてほとんど寝てしまった。お許しを。
浪曲で寝るのが、こんなに気持ちがいいものとは知らなんだ。
浪曲の芸に対して含むところも、悪気もないです。落語もしばしば歌に例えられるが、こちら本物の歌だからもっと気持ちいい。
浪曲から落語に、高座を転換するのは大変。講談と違い、落語と一緒にはやりにくい芸だ。
その間、閉じた幕の前で稲田和浩さんが舞台に登場していろいろ喋る。稲田さん、初めてお見かけする。なかなか押し出しのいい人だ。
品川宿や品川道の話であるとか、語る内容自体は非常に面白かった。話術もお持ちで。
だけど、一生懸命お喋りする稲田さんでなく主催者に言いたいのだけど、落語を聴こうとする際に解説が入るっていうのも野暮ですね。
アーティスト展だから、浪曲とはこういうもの、落語というものはこういうものだと解説が必要なのか。その発想もよくわからないけど。
TBSの落語研究会は非常にいい番組だが、京須さんの解説は録画からすぐカットしてしまう。別に話がつまらないわけでも、京須さんに悪意を持っているわけでもない。単に私には不要だからだ。
主催者の意図がなんだかなあ。そもそも、浪曲と落語を続けてやるのも無理があったのでは。
若干テンション下がりかけのところに小ゑん師登場。浪曲と違ってネタ出しではない。
高座から見えるシートの藤色が綺麗だと、空いてる客席をいじる。黒門亭を、毎回満員札止めにする師匠なのであるが。
いつものマクラを続けて繰り出し、お客の様子を探る。
稲田さんが、今日の小ゑん師もしかしたら古典をやるかもと言っていた。普段落語を聴かない人相手ならあり得る。だが、結局オタクのマクラから「ほっとけない娘」に入っていった。
小ゑん師はオタク落語の第一人者。「ほっとけない娘」は、鉄道オタク、下町オタクなどを扱った噺と並ぶ、仏像オタクの噺。
落語になじみのない客に聴かせる新作としては、師の噺の中では比較的安全パイでもある。
特に年寄りなら仏像などだいたい好きであるから、違和感を持たれにくいだろう。
「ほっとけない娘」はバージョンアップしていた。小ゑん師、右手を頭の上にかざし、「シングルアームよ」と、パンタグラフを表す。江ノ電とロマンスカーの2回。
登場人物の名前も、「寺田悟」から「寺出悟」に変わっていた。寺で悟る。
しかしなあ・・・客もまたね・・・。
後ろの席に、変なおばさんが座っていて、小ゑん師のギャグにいちいちひとりで拍手するのである。それも、マクラが終わって本編に入っても最後まで。
落語にそんな変な風習、ないから!
噺家さんが、見事な入れ芸を魅せたときの「中手」というのはある。しかし拍手し通しというのは・・・
先日池袋で柳家喬太郎師の「極道のつる」を聴いたときは、終始拍手の絶えない高座であった。だが、寄席の客みなが盛り上がって叩いているのだから問題はない。
おばさん、同調者もいないのに、「面白い」という感想を伝えるのが、噺家さんに対する礼儀だと思ってるんだろう。あるいは自己顕示欲が肥大した人なのか。
まわりを見て、誰もそういうことをしていないと知って修正できない人には、なにをどう言っても伝わらないだろう。
ただ、寄席には来てほしくないと思うだけだ。来ないだろうが。
気持ちを過剰に表すおばさんと、それ以外の、気持ちのごく薄い客。私語しっぱなしの婆さんもいたし。
なんじゃこりゃという環境だが、小ゑん師はきちんと務めていた。
大好きな小ゑん師の熱演を、おばさんひとりに破壊された。携帯鳴らすより暴力的な行為。善意でやってるだけにタチが悪い。
やたらテンション下がり、他のパフォーマンスや展示を観る気もなくなり、打ちひしがれて帰宅したのであった。
タダだから文句も言えない。
最近、「野毛山動物園」、「西葛西イオン」と続けてタダのいい落語を聴いた。結局この日はタダなりの粗末な会でありました。粗末な会には粗末な客しか来ない。
区役所のほうも、うちの区は芸術センスが高いんですよというアピールのために落語なんて呼ばないで欲しいものだ。いったいどこを向いているのか。
来年があっても、行かないと思う。
小ゑん師にとっても不本意な仕事だったのか、ツイッターにもこの日の仕事のことは一切載っていないのだった。
タダの落語には凝りたかというと、結局この翌週昔昔亭A太郎さんの落語会に行ったのであるが。そちらはちゃんと切り盛りされていて、客もまともでよかった。
立派なホールとは違い、パイプ椅子だったけども。大事なのは環境でなく中身。
そのまた翌日、国立演芸場でもって、小ゑん師の落語をまともな環境で聴けたのはとりあえずよかった。