あお馬 / 寿限無
めぐろ / 恩返し
小ゑん / 長い夜(改Ⅱ)
のだゆき
清麿 / 時の過ぎゆくままに
馬楽 / 小言幸兵衛(代演)
(仲入り)
アサダ二世
丈二 / 1パーミルの恋人
ホームラン
円丈 / 悲しみは埼玉に向けて
タダの落語を聴きにいった翌日、日曜日は、昨年も行った国立演芸場の9月中席、三遊亭円丈師の芝居に出向いた。
国立の場合、仲入り後に入場すると3割引きの1,470円になるので、そうしようかとも思っていたのだが、この日はヒザ前の柳家小ゑん師匠が浅い出番に替わっているので、初めから入ることにする。
小ゑん師は、このあと「新川亭寄席」に向かうらしい。
東京かわら版があれば、初めから入っても200円引きの1,900円になる。満員になりそうな席の場合は、あらかじめ買っておかないといけないのでかわら版割引は使えない。
円丈師の芝居は、そこまでは混まない。今日も6~7割くらいの入り。台風接近中にしては多い気がする。私は雨でも外出は気にしないほうである。
噺が覚えられなくなりリーディング落語となった円丈師だが、それがまた面白いと変に人気を集めているようである。
それにしてもこのブログ、タダだの安いだの割引だの、ゼニ勘定ばっかりしてるね。
国立演芸場の定席は、都内の四つのいわゆる「寄席」と比べると、顔付けがちょっと変わっている。
「新日本の話芸ポッドキャスト」で鈴々舎馬るこ師が語っていたところによると、寄席の顔付けは寄席組合に加盟している四席に優先権がある。四席は、交代で幹事を務めるので、幹事の寄席は、休席届を出している人以外からピックアップして、豪華な番組が作れるようである。
四席に指名されなかった人が国立(や横浜にぎわい座)に顔付けされるのだそうだ。つまり余り物。
国立では確かに、層の厚いはずの落語協会の番組であっても「なにこれ?」という顔付けをよく見る。国立と他席との掛け持ちが少ないのも、どうやらそういうことらしい。
小ゑん師は、今回鈴本中席の夜に入っているので掛け持ちだが。
それでも、国立で豪華な主任の番組がないわけではない。あれは、各席が「しばらく立て続けに呼んだから、ちょっといいや」とリリースした人なのか?
この席の前の9月上席は、芸協の昔昔亭桃太郎師が主任だった。そちらにも行きたかったけど、脇がイマイチだったように思う。
「なんじゃこりゃ!」でなければ「一点豪華主義」だったりするのが国立演芸場。
今回の円丈師のように、この時期にやると決まっている芝居もあるし、襲名披露もある。その場合は、他の四席が当人の顔付け自粛するのだろうか? そのあたりはよくわからぬ。
さて、国立中席、なかなかいい内容ではあったのだけど、出演者が少ないのでひとりずつの比重が高くなる。責任重大。
小ゑん師と入れ替わってヒザ前を務める丈二師が、いつものマクラに、前回池袋の新作まつりで聴いたのと完全同一の「1パーミルの恋人」をくっつけたのを聴かされたりして、多少満足度が下がってしまった。
噺が、特に特定演者しかやらない新作がカブることに、客が個人的な経験から文句を言っても始まらない。
ただ丈二師の場合、才能あふれる人なのにもかかわらず、「マクラが常に一緒」だという根本的な問題がある。小田原丈ネタはもういいよ。
春の新作まつりのときは、珍しく客の「演題メモ早書き」(私は「ネタ帳ドレミファドン」と呼んでいる)に対する苦言を発していて、私としては快哉を叫んだのだけど。
そもそも、主任(しかも自分の師匠)を立てる「ヒザ前」なのに普段とフォームが一緒というのもおかしい。まあ、ベテランの古典派の師匠でも、そんな人はいるのだが。
あと、夢月亭清麿師も、数年前に確かこの国立の、円丈師の芝居で聴いたのと同じ噺。
楽しんだ噺を再度聴けて、それはそれで嬉しくもあった。
まあ、そういうのを全部ひっくるめて寄席という空間ではある。
柳家小ゑん「長い夜(改Ⅱ)」
この日は、柳家小ゑん師の「長い夜(改Ⅱ)」が大当たりだった。早く来て大正解。
本来のヒザ前だとトリの円丈師を立てるのが当然だが、浅い出番だとのびのびできてかえってよかったのかもしれない。
今日は新作勢ぞろいなので、「江戸の風は吹きません」と小ゑん師。
「高田馬場のスタバ女子大生」「北千住のデニーズに来た昭和の親子」「青山のバーのゴルゴを気取った男」「渋谷センター街の青学生ラッパー」をオムニバス形式で描写するとても楽しい落語。
エピソードの間を、大自然である「空」(男)と「大地」(女)の会話がつなぐ。
「長い夜」はYou Tubeにアップされているので音だけ聴いているが、生で観ると、大地を覆う「空」と、空を支える「大地」の手の所作がすばらしい。
この「長い夜」も入ったカセットテープが近所の図書館にあって聴きたいのだけど、借りてきてもわが家にはカセットを再生できる機器がもはやないのであった。
私にとって小ゑん師匠は、ひとくちでいえば「古典落語の世界観を新作で表現する噺家」なのであるが、でも、この「長い夜」のような、古典落語の世界と隔絶した見事な新作もちゃんと持っていらして、それがまた面白い。
「オムニバス落語」というのもまた珍しい。偉大な「ぐつぐつ」がそうだけど、古典にはほとんどないスタイル。
各エピソードは、明確なオチがあるわけでもなく、おかしな日常を切り取ったもの。古典落語にありそうで、実際にはない世界観と思う。
先日黒門亭で聴いた「アセチレン」がちょっと近い。
それでも、全てのエピソードを支配するのは、「コミュニケーションギャップ」である。これは古典落語と共通する要素。
会話のちょっとしたズレが、笑いを呼ぶ。やっぱり落語なのである。
いつまでも聴いていたくなる噺だった。
鈴本でも掛けたそうだが、そちらは「高田馬場」は抜きだったようである。
***
冒頭に戻ります。
ちょっと遅くなり、前座の柳家あお馬さんが寿限無をパアパア言い立てている最中に入場。小せん師の弟子なので、柳家のような鈴々舎のような名前。
ちなみにこの寿限無、「雲来末」が「雲行末」なのはいいとして、次の「風来末」まで「風行末」になっていた。すなわち、「海砂利水魚の水行末 雲行末 風行末」。
意味は間違ってないからそんなバージョンもあるのかと思ったのだが、唱えるたびに毎回変わって、あるときは「風来末」にもなる。
なんじゃそりゃ。ちゃんと覚えてないってことだな。
「ポンポコナーのポンポコピー」と、よく聴くのと逆でもあって、そういうバージョンなのかもしれないが、まさかこれも間違って覚えてるんじゃなかろうね。
言い立てがうろ覚えっていうのも珍しい。
噺家さんに嫌がられそうなこと書いてしまった。野暮な忠告じゃない・・・と思うんだけど。
円丈師の弟子、三遊亭めぐろさんは、スベリ受け自虐マクラから変な新作。
近所にできためちゃくちゃな焼き鳥屋から、捌く前のニワトリをもらってきて飼うと、喋り出したニワトリが恩返ししてくれるという内容。
軽くて面白かったのだけど、帰ってからこの日放送の「ミッドナイト寄席」を視ると、めぐろさん、まったくおんなじ噺を掛けている。マクラもほぼ同一。
すごく損した気分。
国立のほうでは、「若手を集めたTVの収録に参加しました」と言っていた。そのエピソードのネタ元であるTV収録のほうにも、同じエピソードが入っていたのは不思議だ。
複数の寄席に行き、同じ噺がカブるのは仕方ないけど、TV放送の当日の高座が同じというのはいかがなものか。噺家さんの裁量ひとつじゃないか。
それでも、大爆笑ものであれば、むしろ帰ってきてTVでやっているのを視て嬉しかったかもしれないが。
国立演芸場発表の演題は「恩返し」だったが、TVでは同じ噺が「ニワトリ」だった。どうでもいいけどさ。
夢月亭清麿師「時の過ぎゆくままに」は、ハードボイルドを気取った男がハマのバーで女を口説こうとする噺。小ゑん師の噺と若干ツいて、ないか。
喋りが一人称の独白という、新作の中でも非常にとんがった世界観なのだが、古典落語の「猫の皿」「あくび指南」あたりの普遍的なエッセンスをさりげなく盛り込んでいるところが面白い。
要は「看板」がテーマですね。ネタバラシしないと微塵も伝わりそうにないが、しない。
新しい商業ビルを建てまくっている「渋谷」はハードボイルドではなく、さらに地下深い東急渋谷駅はさらにハードボイルドではないと。東急横浜駅もまたハードボイルドではない。
だからその日渋谷にいる主人公、ハードボイルドでない東急には乗らず、ハードボイルドな京浜東北線で横浜・石川町に向かう。
京浜東北線は、「蒲田」「川崎」「鶴見」を通るハードボイルドな電車。なんのこっちゃ。
久々に清麿師を聴けて嬉しかった。ちなみに「東急駅長会議」という噺を聴いてみたいのだけど。
この日の来場目的のひとつが、「円丈落語全集」サイン本の二巻を買うこと。仲入りで、めぐろさんから購入する。
昨年も一巻をここで、ふう丈さんから買ったのである。
一巻も同時に販売していたが、定価二千円のところなぜか1,800円に値引きしている。二巻の前書きによると、業界での高い評判と裏腹に、一巻あまり売れなかったらしい。
わが家では、小学生の息子が夢中になって読んでる。小学生が読むような内容じゃないけど。
仲入り後のクイツキは、今日はちゃんとやりますよとアサダ二世先生。
この番組、クイツキがアサダ先生で、ヒザがホームラン。
逆だとしっくり来るのですけどね。爆笑漫才のホームランは、あまりヒザ向きではない。
この日のアサダ先生、例によって「私の時間、あと4分しかない」と言って爆笑をかっさらっていたが、念のためその後の時間を計ったら11~12分くらいあった。
計るのは野暮ですな。
この先生は、いつも同じことをやっていても、高座のライブ感をリアルに漂わせているので楽しい。色物さんの究極の理想形でしょうね。
この日出てた「のだゆき」さんも確かに面白いのだけど、毎回パフォーマンスが完全同一なので、三回聴けばさすがに飽きる。
ホームランは今日も爆笑。1955年生まれの勘太郎師匠が、幼少の頃見た子供向けドラマを振り返る内容。
「月光仮面」「七色仮面」「忍者部隊月光」など、内容は覚えていないが主題歌だけは耳に残っている。その歌詞の内容がおかしいと。
「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」「七つの顔のおじさんのほんとの顔はどれでしょう」「姿は見えずに現れ消える」どういうことだよと。
私は世代が違うので月光仮面しかわからないが、でもなんだか楽しい。
単なるボヤキでもなく、悪態でもなく、実にナチュラルな舞台でいつもながらすがすがしい。
ホームランの「たにし」「勘太郎」両師匠はネタ合わせは一切しないとこの日も語っていたが、別に仲が悪いからではないのだと。本当に仲が悪いのは「おぼんこぼん」。まあ、これはナイツが広めたので有名ですが。
三遊亭円丈「悲しみは埼玉に向けて」
そしてリーディング落語の開祖となった円丈師匠がトリで登場。
まあ、古典落語だとリーディングはあり得ないけど。
昨年は台本カンニング用に講談の釈台を使っていたが、その後すぐ、小さな書見台に替わっている。
メクリには「円丈」とある。昨年は「圓丈」だった気がするのだが? その後お見かけした新宿でも池袋も「圓丈」だったと記憶する。
最近はなにもかも、「円」の字に統一しているようだ。
円丈師、相変わらず認知症の一歩手前。薬を処方してもらったところ、電車の乗換えを間違えたりはしなくなって劇的に改善したのだが、やはり噺は覚えられないと。
前日に、「タイタニック」を掛けたら意外とハマったので、今日もう一度やろうかとも思う。だが、出来が良かっただけに、再度はさらっていないので、今日はグダグダかもと。そこで客席に二者択一のアンケートを取る師匠。すぐやれそうな「悲しみは埼玉に向けて」と「タイタニック」のどちらがいいか?
アンケートの結果、埼玉の圧勝。私もライブでは初体験のそちらが聴きたい。
円丈師匠は持ちネタの数が圧倒的に多いので、カブることは極めて珍しい。
会話ではなく、ひとり語り、ナレーションのような、変な名作である。新作落語が自由であることを世に知らしめた記念碑的な作品。
「北千住」が小ゑん師と、ひとり語りと「鉄道」が清麿師とそれぞれツいてる気もする。まあ、この程度でツいているならできる噺がなくなってしまうが。
哀しい北千住の街を中心に、日比谷線から東武線沿線の入谷、三ノ輪、小菅の街の哀しさをそれぞれ語る。
さらに北にはもっと哀しい埼玉の、越谷や一ノ割がある。
たまに円丈師、「えーとどこまで喋ったっけ」。
変なスタイルの噺を、今までにないスタイルで(読み上げながら)語る円丈師。だが、面白いよなあ。
現役の伝説が聴けて良かったです。まだまだしっかり面白い。
次の国立は、また来年のこの席だろうか。