今日も夜中に更新します。
日曜日はテレビ、ラジオの演芸番組でブログのネタを仕入れることが多い。
「日本の話芸」で出ていたのが、柳家さん喬師の「鴻池の犬」。
上方の大ネタであり、今でも米朝一門の人が多く手掛けるイメージ。
本当に大きいネタかというと? 大きいネタのイメージだが、サゲはわりとしょうもない。まあ、落語とはそんなものだが。
さん喬師の鴻池の犬について言うと、道中を膨らまして本当の大ネタになっている。
冒頭、さん喬師も簡潔に説明していた通り、東京にも移植されて「大店の犬」(おおどこのいぬ)というタイトルがもともとある。
だが、最近掛ける人はみな鴻池でやるようだ。もともと大商人は大阪のものである。
といっても元来珍しい噺で、二度しか聴いていない。どちらも3年前の戌年に。
ちなみに戌年には、元犬と犬の目も聴いた。これ以上、犬の噺はない。
たまたま、ネタ帳を公開する両国(林家正雀)、黒門亭(柳家小團治)で聴いたため、タイトルを知っている。公開していなければ、古い東京の演題でブログにも載せていただろう。
柳家さん喬師がやることは知っていたのだが、初めて聴けた。
上方落語を東京に持ってくる場合、「茶金(はてなの茶碗)」「愛宕山」「鮫講釈(兵庫船)」などを除いては、舞台を丸ごと東に移す。
「宿屋の富」とか「花筏」とか。
「大店の犬」もかつてはそのパターンだったようだが、彦六の正蔵が、最終目的地を大阪に替えたのだとか。
それで、東京でも名実ともに「鴻池の犬」になったようである。
さん喬師、病気をされて例年の権太楼師との鈴本を休んだ。
だが、挨拶から実に溌溂としている。
ごく少ない、私の聴いた鴻池の犬と比べても、さん喬師はかなり手を入れている。
捨て子のネタバレが著しく早いのは、さん喬師独自の工夫なのか。放映時間の問題だけではあるまい。
そもそもタイトルで犬の噺だとわかっているので、引っ張らなくていいものか。
そして、三つ子のうちクロは鴻池にもらわれていったが、残されたシロの目から物語を描く。通常後で語られる、兄のブチが荷車にはねられるシーンまで入れて。
この先、大阪までのシーンはさん喬師が完全に作り上げたのだろう。まったく聴いたことがないくだりが続く。
シロと行きずりのお伊勢参りの犬との二人連れ。まさにロードムービー落語。
犬から見た人間のやり取りにより、物語が進行していく。
律儀に犬のシーンはずっと前脚を地面につけているさん喬師。
道中に「白い犬は人間に生まれ変わる」元犬のフレーズも取り入れて。客が入っていれば、大笑いだったろう。
そして富士山に、海。
人間に翻弄されながら旅をするシロたちに、心動かされない人がいるだろうか。
出会いと旅、別れ。犬の波乱の人生が端的に描かれる。
知らないのだが、もっと長いバージョンもあるのだろうか? 箱根やら、大井川など入れたりするのだろうか?
名古屋城に着いているところを見ると、七里の渡しは通らない。犬だからか。
だが、この尺がベストな気もする。
犬から見た人間たちのやりとりが、大阪弁に変わる。お伊勢参り犬と別れたシロ、ついに大阪に着いたのだ。
ここでようやく、一般的な鴻池の犬に戻る。すなわち町内のボス、クロの姿に場面が替わる。
クロたちの見た見かけない犬が、すでにネタバレしている。さん喬師は噺の構造を根本的に変えたのだ。
キレのいい江戸弁で、大阪の犬を取り仕切るクロ。この場面、大阪の人もきっと好きだと思う。
のんびりした大阪の犬たちも、また楽しい。
旅をしてきたシロと、クロとの感動的な出会い。
しかしさん喬師、ここで迫りすぎたりしない。
もともとさん喬師には、「クサい」という評価もなくはない。だが、そこから脱皮しているのだ。
名コーチでもあるさん喬師、惣領弟子の喬太郎師に対しても、しばしば響くアドバイスを与えている。
喬太郎師はアドバイスに従い、泣ける話である「ハワイの雪」において、しんみりするシーンをカラッと進めることにしたのだ。
この鴻池の犬には、さん喬師が同じ方法論で自らのプロデュースをした、その成果が表れている。
師匠だって、弟子には負けたくないし。
さん喬師と喬太郎師と、似ていない師弟だとよく言われる。
だがさん喬師の噺を聴くたび、私は脳裏で喬太郎師が同じ噺を語るさまを再現できるのである。
こんな遊びが可能なのは、師弟が根本で通底しているからに違いない。
鴻池の犬も、喬太郎師の語りが脳内再現できる。やらないかしら。
すばらしい一席でした。