眞子さまの結婚について考える

今日は更新休もうかと思ったら、人間国宝逝去の記事が。
これについて書きかけたのだが、筆が進まないのでやめた。
失礼なこと書くよりはいいでしょう。
書きたいことは、生前に全部書いてしまったし。さらに言うならつい最近、亡くなった後の評価予想までしてしまった。

更新していないのに、いつもよりアクセスが多い。小三治批判記事や破門の関係も読まれてはいるが、とび抜けて多いわけでもなく、よくわかりません
今日は全然関係ない、だがやっぱりある種失礼な話を。落語とは関係あるような、ないような。

上野のパンダの名前、「コムコム」と「マコマコ」にならなくてよかったですね。
もちろん、カヨカヨでもない。白鳥師の「真夜中の襲名」に出てくる名前でもある。
それはそうと、眞子さまの複雑性PTSD公表に違和感を覚えたのは私だけではあるまい。
「祝福してくれず、非難ばかりしているので発病した」と国民を脅すやり口はびっくりだ。
まあ、急に祝福する人が増えたらしいので、その意味では作戦もあながち間違いでもなかったのかもしれないが。
脅されて「なら祝福する」と転向する態度もよくわからない。

しかし、祝福する要素なんか、ひとつでもあるのかね。
別に今回、国民一丸となって反対していたわけではない。反対の立場だって、次の通りいろいろだ。

  1. あんなしょうもない男と一緒になって、不幸になるに決まってるのだからやめなさい
  2. 国民の象徴である皇室に、ふさわしくない男がかかわってはいけない
  3. 我々の税金を使うな

3は、取って付けた意見だなと、いつも思う。
ただ、個人の尊厳が大事だと思う気持ちは誰にでもある。一方で心の底からにじみ出る反対意見との折り合いをつけるため、こんなことを言わざるを得ないのだろう。
とにかく、まったく違う角度からの非難が同じ方向に向くという、実に珍しい事象である。
海外メディアに批判されたぐらいでは容易に引き下がらない。

普通は、ここまで世間から叩かれていても、必ず一定の支持がある。
皇室を手玉に取り続ける小室さんに対し、ピカレスクな魅力を見出す人が出てきても、別段不思議はない。
なにもなかった人のシンデレラ・ストーリーでもあるわけで。
これからこういった支持層が増える可能性はあるが、あっても眞子さまの手助けにはならない。

私自身は、世間のおばちゃんたちが言いそうな、1の要素が大きいですね。皇室よりも個人を見るほうが強い。
眞子さまは結婚だけが、現在の苦境から逃れる手段になっている。
しかし小室のほうは眞子さまの人間性ではなく、出自にしか恐らく興味がないので、もともとすれ違っている。
私はひとつ本気で心配しているのだが、小室はDVを働くに違いない。そう思っている。肉体的な暴力か、モラハラかまではわからないが。
自己主張のみ繰り広げ、効果測定に無頓着な態度から、DVの推測はできなくない。
将来の天皇の姉だというブランド力を活かそうとして、これがうまく行かなくなったときは、怒りが相手に向いたとして、それも自然なのではないか。
しかも眞子さまは、相談相手もいない。戻る家もない。
こんなに不幸な未来が見えているのに、反対するのが行きすぎだというのか?

「眞子さまは不幸になる権利(失敗する権利)を持っている」などと言って結婚に賛成する文化人もいる。
その考え方自体には敬意を払うが、でも全然ピンと来ない。あらゆる意見に対して反論できる見解ではないから。
不幸になる権利云々は、出発点として眞子さまを「個人」であると捉えることしかしていない。それ以外の着眼点は抜け落ちている。
意図的なものかもしれないが。

ここに来て、ヤフコメあたりの反対意見にも、妙なものが出てきた。
「こんな結婚を許していたら、国民の皇室に対する敬意が薄れますよ」というもの。
実に不思議な意見。そして、多くの人がこう書き込んでいて、その不思議さに気づいていない。
「国民の敬意」? 違うでしょ。
まず、「私自身は皇室に対する敬意をすでに失いました」と書くべきじゃないの?
自分自身は、今後も皇室には敬意を払い続けるが、世間はきっとそうじゃないでしょという。
あなたが敬意を払うのをやめないのなら、他の人もやめないんじゃない?
これはこれで、自覚のない脅迫が背景にある。
皇室のほうも国民を脅迫し、国民もまた皇室を脅迫するのか。お互いさまだね。

秋篠宮家も、「自由」という概念だけは教え、自由に伴う責任は教えなかったらしい。
だから当然、将来の天皇陛下である末っ子長男の教育にも疑問符が付けられる。
もっとも、悠仁さまの態度が悪いなどという報道には違和感は覚えるけど。中3のガキなんて、どこからどう見たってクソ野郎に決まってるじゃないか。
同い年のうちの息子を見てるとつくづく思います。

ということで、遅れてアップの今日は、こんな記事でおしまいです。
こんなこと書くヤツがいるから、眞子さまがPTSDになるんだって言われるかもしれない。

投稿日:
カテゴリー: 日記

作成者: でっち定吉

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6件のコメント

  1. うゑ村です。更新ご苦労様です。

    不謹慎ながら小三治師匠が亡くなられて真っ先にここぞと言わんばかりに蛇蝎の如く憎んでいた小三治師匠やそのファンに対して「ざまあみろ」だとか「死ぬのが遅かった」みたいな記事を書かれたらどうしようかと一瞬不安に思ったのですが良識がまだ残っておられて安心しました

    私事になりますが白鳥師匠のマクラで話されていた「三三師匠が任侠流山動物園を演られていた時に師匠の呪縛から解放されていたように見えた」といった旨のフレーズがふと脳裏をよぎりました

    1. 故人について蛇蝎のごとく憎んでいるわけではありませんし、敬意をまるで払っていないわけでもないです。
      「決してそんなに偉い人ではない」と思っている程度です。
      小三治追悼の素人コメントにも大きな違和感は持っていますが、別に彼らのことをあざ笑ったりもしていません。
      とはいえ、うゑ村さんの誤解を解くことはできないですね。怒りを込めた記事も確かに多数書きましたし。
      それに、プロの追悼ツイートが少なすぎることに違和感があり、これはどのみちどこかで吐き出すことになります。
      「良識が残っている」と思っていただけるようには努力します。

  2. 生意気言って申し訳ございません。受け取り手側として文章だけだとグラグラと煮え立つような非常に激しいものなのだろうと感じてしまった次第です

    ただ、怒りや鋭さがこのブログの良さでもあるとも思っています。とはいえ怒りの記事ばかりだと一読者として心配になるのでピースフルな記事も見たいという気持ちもあります

    1. 私は入船亭扇遊、三遊亭遊馬、柳家小せんといった穏やかな師匠を好む、極めて平和な男です。
      いえ、ほんとです。
      ピースフル、ハートフルな記事もあるのですが、目立たないでしょう、きっと。

  3. 円丈師が、寄席で、かけたとき、小三治師が「こらぁ、ぬう生!!!」と烈火のごとく怒り、それ以来封印されている…という「噺家ライダー」の話をこの際解除したらどうか・・・ある意味追悼になると思うのですが

    1. いらっしゃいませ。
      コメントの内容はいいのですが、「匿名」はご遠慮ください。
      それこそ「三遊亭炎上」などでも結構ですから。

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