浅草・落語協会真打披露 その3(柳家花緑「親子酒」)

少々先に進んで、林家三平師。
私は初めてだな。聴こうと思ったことがなかった。だいたい、浅草以外で聴くチャンスはほとんどないのだし。
たまにTVや配信で高座に触れることがある。上手くなったのだなと一瞬思い、そして裏切られる。
この日はいつもの笑点漫談。
高座の途中でこの日もいったん評価を高めた。だがさらに進み、やっぱり変わらないなと。
漫談ってとても難しい。改めてそう思う。
三平師、いい感じで進んでいると、どこかでせわしくなり、語りがせせこましくなってしまう。または、客に妙に迫る。
当代圓歌師のように畳みかけていく漫談の人もいるが、一般的にはむしろグッと引くことでドッとウケる例が多いと思う。我慢できるかどうかなのかな。

師匠こん平のネタなど面白いものもあったけど。
三平の披露目の際は、毎日どんちゃん騒ぎ。こん平が現木久扇の木久蔵師と朝まで飲んでいる。
ご機嫌なこん平。「木久蔵さん、俺はあんたの言うことだったらなんだって聞くよ。なんでも言ってくれ」。
木久蔵師、「じゃ言うけど、帰りたい」。
木久扇師でなく、相手があしたひろし先生というバージョンも、菊之丞師だったか、誰かから聴いた。

ひとつ極めて納得いかないのは浅草の客のネタ。あんたより面白いことができるよと、屁でドレミをこきわけるおばちゃん。
ドが出ないでミが出たというヤツ。
別に私は、汚いネタに嫌悪感を持つ清潔大好き人間ではない。「肥辰一代記」なんて喜んで聴くし。
でも、三遊亭小遊三師みたいな「きれいごと」にこだわる感性だって、いっぽうでちゃんと持っている。
三平師のネタ、ただただ汚いなあと思う。浅草だからいいの? 浅草も芸人から低く見られたもんだね。
鈴本から一切呼んでもらえないのは、こういうところかなと思う。
別に、日本一下手な噺家というわけじゃない。ただ客観的事実として、新宿・池袋には呼ばれても年1回程度。

三平師の後、換気の仲入り。
ここまで前半聴き続け、正直なところしんどくもあった。
この日は、寄席に来ない落語ファンの気持ちがよくわかる。私自身は寄席にずっと通いたいと思っているけど。
しかし、ここから先は悪い高座、イマイチな高座はひとつもなかった。さすが天下の落語協会の精鋭たち。
2日経つと、いい記憶のほうが多く残っていて、これは幸い。
やはりこの日来てよかったという気がしてきた。

小猫先生は、落語協会の寄席では常にお見かけするが、いつも内容を変えていて実に見事。
ちなみに毎日変えてるはずなのだ。
動物モノマネは見事に決まっている。
それに加え「面白さ」自体がどんどん向上している。固い個性を生かしたまま、どんどん面白くなっていった。
噺家も含めた寄席芸人の、ひとつのありようだ。固さからだって、爆笑を引き出せるのだ。
歩きながらニワトリのモノマネをしましょうというネタは初めて観たが、もう最高。
舞台の完成度において、売れっ子だった先代をすでに超えているのではないかと。
ちなみに毎回書いていてすみませんが、江戸家猫八襲名はいつだろう。数年先の予定が、すでに寄席に落とし込まれているとにらんでいるのだけど。

続いて、本日の主役、花いち師の師匠である、柳家花緑師。
今日は私の弟子の披露目なので、こんなピンクの後ろ幕で、テレビ映りバッチリですと。
ただ、弟子はテレビ出ないんですよ。千葉テレビのせいじゃなくて、調整でそうなったようで。
私の高座は放送されますのでね。
私の祖父、先代小さんにも言われました。弟子を採ることで、師匠のほうも学ぶんだと。

弟子の披露目の席におけるこの日の花緑師、親子酒は実に面白かった。
テレビか配信で、聴いたはずの一席だが、記憶と比べ非常に進化しているではないか。なるほど、師匠もまだまだ成長するのだ。
小さん系統のはずだが、師匠小さんよりは、ギャグ寄り。
だがあざといギャグではなく、一つの統一された体系の中で、すべてが自然なギャグになっている。
面白さがストレートに漂う高座だ。
仲入り後にも注意を受けてるのに、携帯が鳴る。本当に浅草の客は・・・
花緑師、一瞬止まったが無視。カットできない部分だが、編集では綺麗に音が消されていることだろう。

見事な親子酒にたったひとつだけ、納得いかない部分が。
せがれ孝太郎が、案外早く帰ってきて親父は驚いている。
だが、べろべろになって帰ってきたのである。早いはずないと思うのだが?

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。