落語協会では毎年、新作落語台本を募集している。6月末が締切だった。
私も今回、2本書いて応募しました。
6月半ばに1本書き上げて協会に送ったのだが、その後もう1本分のアイディアをなぜか思いつき、1週間強で作り上げて、締切直前に再度応募した。
ちなみに、1人2本までというルールがある。
客観的なデキのほうは、自分ではわからない。
自分で読む限りは非常に面白い。これは、当ブログと一緒でアテにはならないが、面白がってくれる人も中にはいるだろう。
家内に読んではもらったが、つまらないとは言わないものの、「噺家さんによると思う」だって。
そりゃ当たり前だ。まず、その噺家さんに掛けてみたいと思ってもらわないと入賞しないので。
現実は甘いもんじゃなかろうが、一定の期待はしている。
まあ、入賞しない場合は著作権は私のものなので、ここで公開するのも自由です。
昨年も家内に勧められたのだがひとつもアイディアを思いつかなかったし、自分でも、書けるとも思わなかった。
だが、それから1年間、落語を生活の中心に置いていたことで、自然とネタができてきた。面白いものである。
徐々に創作のコツがわかってきたように思う。
3作目からは、来年のコンクールのために取っておくんじゃなくて、当ブログに載せていきたいですね。
実はすでにまた1本、プロットはほぼ完成している。アイディアだけのものも他に3本くらいある。
このブログで長々分析したことの実践で、サゲはあまり重要視していない。
派手な展開が作れるなら、それはもちろん悪いことではないが、まずは噺をきちんと終結させることが大事だと思う。
審査員のひとり柳家小ゑん師は、ツイッターで常にいろいろとコメント出してくださっている。
「私が新作創る時の基本は、日常の中の非日常です。それもあまり気がつかない非日常かな」だそうだ。
これはわかる。オタク落語なんかそうですね。
新作落語の中には、日常の中で日常を描くものも多数あるけど、個人的には私はそれほど好きじゃない。
といって小ゑん師匠、幽霊や夢オチは、またかと思うそうである。ちょっとイージーなんだね。
ちなみに、2016年のツイート見ると、小ゑん師匠「神様も多い」と書いている。ああしまった。私も1本は神様ネタなんですよ。
まあ、願いを叶えてくれるような安直な神様じゃないけど。
林家時蔵師も選考委員のひとりで、ブログでいろいろ書いておられる。
「全体に、ただ筋を追って最後に申し訳程度の地口のサゲを付けたような作品が多すぎる。つまり、途中にくすぐりの全くない物が多い」のだそうだ。
クスグリの量「だけ」は自信あるんですけどね。実はストーリーがちゃんと作れていないことの裏返しかもしれない。
「シチュエーション重視の新作落語」ということに、させてもらおう。