続いて柳家㐂三郎師。
座布団に座って両手でVサイン。前のほうに座った客は、みな一緒にVサイン。
私は2年ぶりであり、真打昇進後は初めて。真打になってもVサインやっているのだなとホッとする。
この会、前座時分に呼んでいただいていたような記憶があったんですが、ネタ帳見たら名前がありません。初めてです。
権之助アニさんと仲がいいので、呼んでくださいました。
昨年3月に真打になりましてと言って拍手をもらう。
途中で帰らないでくださいね。先ほど出た前座のり助さんが金棒持って外を巡回してますから。
お寺は反響がよくてやりやすいんです。それに、お寺に来る人はありがたい説法に慣れてますね。
だから全然ウケない落語でもじっと聴いてくださいます。
寄席でウケなかったらボロクソ言われたり、前座さんにつまみ出されたりしますけどね。
ただお寺でもやりにくいところがあります。ご本尊を背にして高座が設えられているところ。
私より偉い人が後ろにいたら緊張します。
寄席のスタンダードナンバーをやりますと言って、時そばへ。これがちっともスタンダードでない型。
いきなり男二人が登場。吉原の冷やかしの帰りで、小腹が空いた。
弟分が8文、兄貴分は7文しか持ってない。これで16文のそばをたぐろうと。
おお。
上方落語の「時うどん」型の時そばである。上方だと、ご存じ喜六清八が担当するところ。
東京では昇太師がやることで知られている時そばだが、あいにく聴いたことがない。昇太師に稽古をつけてもらったのだろうか?
兄貴分がそば屋の親父をからかいながらペースよく進む。ペースがいいのは、1文ごまかすのをとんとーんと運ばなければいけないからでもある。
弟分のそばは3本しか残っていない。悔しいので、長中短、3本残ったそばを食い分ける弟分。
とても上方落語っぽい、それも枝雀っぽいオーバーアクションの一席。
枝雀っぽいと言っても、オーバーアクション全体にそう思っただけで、細かいところはしっかり工夫しているのだが。
弟分が袖を引くので、箸を持ったまま右手で払う兄貴分。この所作は後で使うこともありたっぷり。
首尾よく1文ごまかしたのに、何度も指を折らないと仕掛けのわからない弟分。
よせばいいのに明日ひとりでやるぞと宣言する。
そして、翌日そば屋を見つけ、昨日と同じ通りにやる必要があるので、1人2役をやる男。
見事といえば見事な再現。ひとりの演者が、最初はふたりを描き、続いてひとりの演じるふたりを描くという、超メタ的構造でもある。
だが、そば屋の親父は恐怖におののいている。
二日目のそば屋、別にまずくない。
「おなじはなし寄席」で笑福亭たま師の掛けていた時うどんでは、二日目のうどんはまずかった。
どうも納得がいかない。
上方の時うどん、私の中ではまずくないのがスタンダードなのだ。まずいうどんは、時そばに浸食されてしまったのでは。
その型でやる㐂三郎師。こっちのほうがそば屋の親父に罪がないだけずっと楽しいと思う。これでまずいそば屋にしたらギャグ過剰だ。
二人会の冒頭として、実に勢いのある結構な一席でありました。㐂三郎師の明るい個性が噴き出す。
㐂三郎師もまた、すばらしい噺を見つけたものである。
ちなみに、まだ面白くなりそうに思った。二日目のそば屋の親父のリアクションしだい。
親父は、連れがいないのに二人分演じる男に結構オーバーアクション気味であるが、あれを目だけで表現したら、さらに楽しいに違いない。
落語の客が親父の心境を主体性を持って想像し、思いを寄せると、ここにパイプが生まれる。そうすると客は、親父の目を通して噺を楽しめるのではないでしょうか。
続いて権之助師。
ここのご住職は大正大学のOBなので、同じ大正大学の㐂三郎さんを呼びましたとのこと。
私も大正大学なんですよと権之助師。近所に住んでるだけですけど。
㐂三郎師との仲のよさについて。もともとさん喬権太楼の弟子は、師匠に太刀打ちするため団結します。
㐂三郎師さんだけなんです。雑誌「ムー」の特集で互いに盛り上がれるのは。だから今日の楽屋はとても楽しいです。
前回は文治師匠でした。文治師匠も楽しいんですけど、声がでかすぎて客席に聴こえるのが難点です。
文治師匠は「ダーウィンが来た」の話をしておくとご機嫌です。私もダーウィンは嫌いじゃないんですけど、ムーのほうがさらに好きなので。
奥さんが在宅ワークになったので、家に居づらくなった。会議があるときは静かにしていないとならないので、ホラー小説を読んでいます。
オカルトばっかり読んでいるもので、変な夢をよく見ます。
やたら怖いという夢でなく、起きたときに適度に楽しく怖い夢です。
あるとき夜中目を覚ましたら、女の顔が浮かんでいました。
師匠に悪いので、オチは省略します。どこかで聴いてください。