鈴本演芸場7 その5(柳家さん喬「長短」)

続いての三遊亭白鳥師は、完全にマクラから練り上げ、できあがったアジアそば。
まあ、寄席では鉄板なんでしょう。昨年も聴いたので、別のが聴きたかったが。
「昔と違って、新作落語も古典と同じように楽しんでもらえるようになりましたが、必ずしもそうじゃないということがあります」と振って、たい平師の代バネに入った噺がマクラ。その際にやった、インド人のそば屋の噺をしますと持っていき、拍手をもらう。
富士そばだけでなく、御徒町の駅構内にある立ち食いそば「あじさい」のネタも入っていたのは初めて聴いた。

白鳥師の新作も、どんどん古典化していっている気がする。
登場人物が、ますますちゃんとツッコまなくなっていっている。ボケっぱなしは世界の異化にだいたい貢献するのである。

今日の客はインテリ度合が高いようで、「Oh! Myアラー」のギャグにたちまち違和感を持ったようだ。
まあ、待ってればいい。白鳥師は、なんでヒンズー教徒なのにアラーなんだというタネ明かしを急がず、結構引っ張るのだが。

柳家小里ん師も本当に久しぶり。
そのたたずまいと胆力、しびれます。
スッと碁どろへ。時間があれば、この前に「笠碁」と共通の、囲碁将棋のマクラを振るところ。
この軽くてくだらない噺、実に好き。
落語の言語で練り上げた噺。泥棒が爺さんの碁を堂々と覗いているそのさま、まともな脳ミソからは生まれない落語。
古典落語には、新作落語家が頑張っても作れない種類のものがある。
噺の意味が分からない人も、意外といるのではないかな。

碁どろは、若い人では古今亭志ん松さんから聴いたが、まあそうそう出ない。
年取ってモノになる可能性もあるから、今から小里ん師に教わって、仕込んでおいて欲しいものだ。

アサダ二世先生は、最近またテンプレートを替えてきている。超ベテランなのに頭が下がるね。
ちゃんとやりますよはいいとして、混雑する寄席では必ず「噺家さんの熱演で、時間が押しちゃって、私の持ち時間あと4分しかない」って入れていたが、もうやらない。
緩いインチキマジックで去っていく。

仲入り前は柳家さん喬師。
今回の鈴本の続き物の、すべての回(最終回の明日も)のタイトルにした噺家の師匠である。
夏は入院したが、その後弟子(さん花)の披露目にも出て、非常にお元気なご様子。声も飛ぶ。
掛け声に対する、いつもの「ホントかよ」をつぶやいて、十人寄れば気は十色、と気性の話へ。
わりと早めに長短に入る。仲入りなのに、こんな小品なんだとちょっと驚き。
しかも長さんの語る、ゆんべのはばかりのくだりはない。いったい何分の高座だっただろう。現実時間の経過を完全に失った。
テレビでもよく出す長短だが、パワーアップしていて驚きました。進化をやめない73歳。

寄席でもよく出る長短、面白いのはスローモーな長さんだけ、ということが得てしてある。極めて難易度の高い噺。
さん喬師ですら、以前ならそんなところもあったと思うのだ。
長短両方の人物を面白くするには、どうすればいい? 結局、ふたりの差を極端に強調しようとせずに、行動を丁寧に描くことに尽きるんじゃないか。
二人は子供時分からの友達なのだから、本来極めて同質性が高いわけだ。そこを確立しておいたうえで、個性の差に沿った行動を丁寧に描く。
短七さんのほうは、別に長さんがいるから対比で気が短く見えるわけではないのだ。性分なのだ。

短七さんが、左のたもとに火玉を放り込んでしまう直接的な描写は、初めて見た。単に、今まで気づかなかっただけかもしれないが。
わかる客が多く、ここで笑い声が上がる。
それに気づいて長さんの長いセリフを聴くと、客のジワジワが爆発するのだ。

さん喬師の見事な高座に、小三治亡き後の落語界を背負って立つ意思を感じたのは私だけでしょうか。
さん喬師の「長短」が、小三治「小言念仏」みたいな寄席のサンプルになっていく予感までも感じた。
やってる師匠も、無限の奥行きのあるこの噺、実に楽しそうだ。
さん喬師はクサいなんて評価もあるが、本当は軽い噺をしっかり軽くできるんだ、そういう誇りを抱いていそう。
そしてたぶん、小三治とは違う道を行く。

仲入り休憩中、トイレから戻ってきたらさん喬師が楽屋を出るところだった。
弟子の新真打、さん花師が出口まで送りに出ていた。

そのさん花師に続きます

 
 

作成者: でっち定吉

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