亀戸梅屋敷寄席24 その2(三遊亭好楽「抜け雀」下)

抜け雀みたいな、ストーリー重視の噺は、繰り返して聴けば飽きやすい。
クスグリだって、「銀紙貼っとけ」とか「鼻だけは一人前」とか、有名すぎるものが多い。
演者の側は普通、同じ噺を掛けることについて、客にそれほど気を遣ってくれはしない。なじみのお客さんがまた来てるなと、替えることがあるぐらいだろう。
またしても同じ噺に当たったなという場合でも、毎回楽しく聴くためには、もっぱら聴き手の努力が求められる。
気に入った師匠を目当てに寄席通いをしても、何度も同じ噺に当たり、やがて脱落してしまうだっている。

ところで演者の側だって、毎回同じ語りでは、語っていて楽しくないのではなかろうか。
演者も楽しいほうが、客にとっても楽しいのではないか。
これが好楽師の、70を超えてからの哲学なのではないか、そう想像するのである。
高座から客席全体に、緩い幸せを届けるという。
ネタ数の多い好楽師、不気味な噺だってたくさん持っていて、緊迫感に満ちた語りもするのだが。それでもどことなく緩い。

好楽師はまず、マクラが楽しい。
といっても師の場合、マクラを作り上げてはこない。
二人の師匠に仕えた思い出や、子供時代の話というものは繰り返し語るので練り上げているが、この日の鶴瓶師についてのマクラも、非常にふんわりした話。
オチも別につけない。
ただ、師の人柄が好きな客には、とてもよく響く。

そして、マクラと同じように本編も語るのだ。恐らく。
きっとこの抜け雀にしても、毎回細部は違うし、所要時間も違うはず。
一般的には、噺が口になじんでくるとムダを刈り込んで、短くなってくるもの。それが個性になる。
だが好楽師は、無数の先人のやり方を語りながら思い出すのだろう。そこで、あえて先人の工夫を踏んで、遠回りしてくることもある。
だが、すべては楽しいムダだ。
クラシック音楽を、ジャズのアドリブを用いて演奏するのが、70代の好楽落語。

二度目の抜け雀、隅々まで楽しく聴かせていただいたのだが、多くの客にとっては一度目だろう。
初めて聴いてもちろん楽しい、その魅力についてさらに。

宿屋「相模屋」の主人は甚兵衛さんキャラで、笑点でもおなじみのピンクの好楽キャラに結構近い。
お武家さま(絵師)になにか言われると、逆らえない人。でも別に、絵師のほうは主人を脅迫してるわけでもなんでもなくて、常にマイペース。
主人の一段上で、常にすっとぼけている楽しい男だ。
他の人の抜け雀には、主人の気弱さ、主体性のなさを強調するやり方がよくある。これはウケやすいのだが、好楽師の場合はちょっと違う。
宿屋の主人は、働きかけがなくても「こんな人」なのだ。

おかみさんのことは、亭主が一文なしばかり泊めているのだから、機嫌悪くても無理もないという造形に。
好楽師の落語の人物は、とにかく踏み外さない。先人から引き継いだ平均値を攻めている。平板なのではない。
それが客の気持ちにやすらぎを与え、しみじみ幸せにしてくれる。

亀戸梅屋敷寄席は、午後3時30分までなのだが、10分ぐらい早く終わってしまうことも多い。
ところがこの日は、3時45分ぐらいまでガチでやっていた。どうしたんだ。
次々と噺家が亡くなったこと、またおかみさんを亡くされたことと無関係とも思えない。
もちろん、中身は詰まっていた。ダレかけてくると、スムーズに巻く好楽師。このためサゲに向かってのテンポがすばらしい。
緩い落語に魅力がある人が、緩さをそのままに力を込めている。

こちらの期待を上回る好楽師、そしてこの日の亀戸。
コロナもあり、好楽師、最近は少なくとも東京では独演会はやっていないみたい。亀戸、両国、広小路亭しのばず寄席のトリばかりじゃないだろうか。
日本橋亭で独演会やるようだったら行きたい。

ちょっと字数が不足気味なので、クイツキ(兼ヒザ)の三遊亭鯛好さんをここで。
40歳で入門し、このたび12年経過しましたと報告。
ネタは、半年前に神田連雀亭で聴いた「同窓会」だった。自作のドキュメンタリーふう新作落語。
出身高校の名が実名で出てくる。
鯛好さんのせいではないが、30年ぶりの同窓会というテーマにまるで関心が持てない。
この噺を集中して掛けているのではないだろうか。それ自体は非常にいいことだと思いますが。
見事なツルッパゲの鯛好さんであるが、じっくり見ていると、非常に手の指が長いことに気づいた。
これでモテたんじゃないかなんて思う。

明日は冒頭に戻ります。すばらしい前座に巡り合ったという話に乞うご期待。

 
 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。