落語にまつわるいい話《笑福亭鶴光師匠編》

「落語は生で聴かないとダメ」というようなことを言う方がおいでだ。
反論はしないけども、こちらは行けて月に2回。正直、TVの演芸番組も、CDも、著作権がグレーなYou Tubeもみなありがたい。
「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」から、「柳家喬太郎のイレブン寄席」へと続く、BS11の落語番組、だいたいはしばらく経ってから、落語部分だけ保存している。「保存する価値なし」と思ったら落語部分も捨てている。
たまにだが、トークに捨てがたい部分があって、編集して大事に取ってある。
笑福亭鶴光師匠のトークもそう。

寄席芸人というよりは、TV・ラジオのタレントとして世間に知られている噺家さんは結構いらっしゃる。
その中で、鶴光師ほど、タレント活動と離れた落語の実力が世間に認知されていない人も珍しいのではないか。意外といぶし銀の芸だから、ギャップを持って聴く人も多いかもしれない。
細かいギャグのひとつひとつでなく、噺をトータルにとらえたとき、かなり完成度の高い芸だけど。

さて、鶴光師匠のトークをご紹介する。

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「つるこう」の響きが気に入り、東京で「つるこう」と名乗っていたら師匠(笑福亭松鶴)に怒られた。
「オレがつけた名前は『つるこ』じゃ。気に入らんのなら今すぐ名前返せ」。

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東京の寄席にずっと出ている鶴光師匠。寄席はとにかく楽しい。嫌なことがあっても、ウケると人格まで変えることができる。
問題はウケなかったとき。
ウケなかった師匠はだいたい前座に当たる。お茶にケチをつける。挨拶せずに、靴箱蹴って帰る。自分自身に腹を立てている。
松鶴師匠もそうだった。「お疲れさまでした」「疲れてへんわボケ」。

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大阪の繁昌亭。寄席が古い東京と違い、まだ発展途上。型ができていない。
トリの師匠の前で、軽いネタをやらず平気でがんがんウケさせてしまう。ウケないと次使ってもらえないという不安感があるらしい。
お客さんは、難しいネタを理解するほどまだ慣れていない。むちゃくちゃ笑わせる必要まではないが、泣きたいと思ってくる人はいない。
まずは落語を好きになってもらわないと。10年20年では無理で、まだ何十年もかかると思う。

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学校寄席に似ているのではないかという喬太郎師のフリを受けて。
不思議だが、偏差値の高い学校に行くと、「しじみ売り」のような人情噺でも聴いてくれる。
地方の落語会では、人情噺だけでは怖い。
春團治師匠が言っていた。なまじっか「こいつらわからんやろ」「わからそう」と思わず、客の前に線を引いて、自分のマイペースでやっていると、向こうが線を越えて勝手についてきてくれるときがある。
客が騒いでいようが飯食っていようが、すべて一緒なのが春團治師匠。客がたまたまピタっと合ってお客さんが受け入れた場合の一体感は、誰も構わない。談志師匠もかなわないと言っていた。
そのかわり、春團治師匠はウケなくても一緒。春團治師と学校寄席に一緒に行って、「子ほめ」がまったくウケなかったことがある。そのとき、「勉強してんねん、おれ」と一言。「勉強させてもろてんねん」。
これが松鶴師だと、「今日の生徒はアホばっかりや。ロクなもんになりまへんで」になる。

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まず落語ファンを作らないと。落語家ファン・寄席ファンはそのあと。
新作落語は大賛成。ただ、古典があって新作。歌舞伎があっての猿之助歌舞伎。両立させていかないと。
落語を理解できないと言っているお客さんがいる。漫才と違ってとっつきが悪いので。
でも徐々にわかってくると、大阪もそうなりつつあるが、出囃子を聴いただけで誰が出てくるかわかるようになる。それは嬉しい。

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講談ネタの「西行鼓ヶ滝」を終えて。講釈を地噺にするのが好き。談志師匠も「五貫裁き」など講釈ネタ大好きだった。
ジャズでもそうだが、スタイルを見つけるか見つけないか。下手上手の前に、まずスタイルがある。面白さ、うまさはスタイルの後に付随してついてくる。
このスタイルを一生見つけられない人は多いだろう。

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東京で弟子を育てるということ。上方落語史上初めて、真打(里光)を出した。これは師匠の夢でもあった。
その松鶴師匠は、「お前も60超えたら舞台で遊べ」と言っていた。そうなったら自分も楽しい、お客さんも楽しい。
どういうことか。たとえば松鶴師匠は高座で、「えー、夏の『バカンス』の話で」と言っていた。
みんな、高座で遊んでいるように見えて実は真剣、本当には遊んでいない。「子ほめ」に入ると見せかけて「時そば」にはいるとか、そんなことしたっていい。
師匠も、噺に入ってからの「こんにちは」を、高い声だったり低い声だったり、いろいろ遊んでいた。

落語そのものはもちろん面白いが、芸談もまた面白いではないですか。

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鶴光師匠の芸談、さらに古い録画がありました。
重複部分を除いてお届けします。

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寄席に出るきっかけは、「噂のゴールデンアワー」のレポーターを務めていた、講釈師の女の子の真打パーティ(※ 神田紅先生か)。そこで柳昇師匠に合った。
寄席に出なさいと勧めてもらい、本来3~4か月先でないと入れないはずなのに、ごり押しで翌週の末廣亭を決めてくれた。

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米朝師匠は、40歳までTVに「出倒して」、その後落語に戻った。その道にあこがれていた。
先代文治師匠に言われた。「40だったらまだ取り戻せるけど、50になったら落語に戻るのはキツイよ」。
落語の好きな噺家は、TV・ラジオで楽しんでも、そちらに執着がない。寄席でトリを取る楽しみに比べたら小さい。

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東京に来たら、滑稽噺の7割は上方から持ってきたことがわかった。だからウケないはずがないと思っていた。
しかし、東京ではウケすぎるとトリの師匠に迷惑が掛かる。東京の噺家に、団体競技のルールを教えてもらった。
おかげで、大阪に帰るとあっさりした落語になってしまう。
落語は東京で、漫才は大阪で修行するのがいいと思う。だが、大阪で修行してガンガン受ける漫才は寄席でヒザは務まらない。ヒザが務まるのは「いとし・こいし」先生のような持ち味。

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講釈ネタの「善悪双葉の松」を終えて。これは講談師の旭堂南鱗さんにもらったもの。
この番組「柳家喬太郎の芸賓館」好きでよく見ているが、新作の人は笑いが少ないからかわいそう。古典は筋に沿って演じればいいが。
番組ディレクターと話してみた。今までで一番面白い人は、川柳川柳師匠だったとのこと。
講釈ネタなど、いじるのが好きで釈ネタは10本ほど作っている。パロディ、オマージュはできるが、一から新作を作る才能はない。
喬太郎作の「諜報員メアリー」「寿司屋水滸伝」「針医堀田とケンちゃんの石」などの新作を作ることはできない。
この間即席でやったという「私はパンティ」を聴いたが、あれは天才だと思う。
大エロ噺の「吉田御殿」を聴いたとき、これは俺のネタだと思った。(※ これは古典)

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地方のラジオの公開録音に行ったらアナウンサーが「下ネタでおなじみの」と紹介してくれた。
学校寄席に行ったら、オールナイトニッポンのファンだった校長先生が興奮して生徒に話していた。「私の憧れの鶴光師匠に出ていただけます。みなさんにとってはなんの興味もないでしょうけど」。

作成者: でっち定吉

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