第二の林家三平を出さないためには(噺家二世の育成を考える)

今日もネタ不足を絞り出し、更新していきましょう。
昇太師のコロナ感染だけではネタにならない。
最新情報だが、ナイツ塙も感染したそうで。水木連続で、ビバリー昼ズの出演者が陽性。
今日は昇太師の師弟関係について書こうかと一瞬思ったが、もうひとつ浮かんだのでそちらを先に。

当ブログも昔むかしは、Yahoo!ブログでひっそり書いていたものである。
Yahoo!ブログでは、訪問者数とPVが露骨に表示されていた。人気のあるなしが一目瞭然。
落語のブログを始めた人は、よそのブログにご挨拶によく出向く。
私のブログに来てくださった方にも、そうした人がいた。
この人のブログを覗きにいったら、1日の訪問者数がつ離れしていなかった。
まあ、そんなブログは世にはざらにある。検索で引っかからないから、誰も存在を知らないが。
その後Yahoo!ブログ廃止とともに、誰にも知られず消えていったものと推察される。

ともかく、誰も来ないのは、内容がないから。
このブログを読んだら、「三平が下手」という世間の論調が気に入らないと怒りに満ちて書かれていた。
しかし、「三平がなぜ下手でないのか」の理由付けは非常に乏しいものだった。「以前一度聴いて上手いと思った記憶がある」とのことである。

私も当時、三平がいかに下手か書きまくっていたので、きっと嫌われたものと思う(その記事はもう、ない)。
初心者か、あるいはある程度聴いている人であっても、ちっとも上手くない人につき勘違いすることがある。
その日の演者と聴き手双方の波長がたまたまシンクロしたなど、思わぬ間違いにより、インプリンティングが起こることがある。
この悲劇については、堀井憲一郎氏がよく書いている。
初心者だと、まったくなんでもない人を追いかけてしまったりするのだ。
こうなってしまった場合、早めに解決しないと、本当に上手い落語への評価も狂うことがあるので気を付けないと。
好き嫌いは別にあっていい。「上手い」じゃなくて「好き」で追いかけるのは全然問題ない。
三平が上手いとの見解はさすがにヤバいが、中堅どころの特にどうということのない人が名人に見えたという経験なら、誰にも多少はありそうだ。

このブロガー、現在の四面楚歌の状況、どう思っているのだろうな。
さすがにここに来て、「世間は間違っている」と言うとしたら、もはや認知の狂いの問題である。
浅草以外の寄席が三平を顔付けしないのを、「間違っている」って言えるかね?

さて今日のメインテーマは、三平のような落語界の悲劇を今後起こさないためにどうすればいいか、なにができるかという話である。
実質的には二世の噺家が対象になってしまう。
二世以外で、出自によって積み上げた座布団の上からスタートできる人はいないからだ。

まあ、結論は実のところ最初から出ている。
「古典落語をきっちり喋れるようになること」。これ以外にない。
三平よりずっとタレントとしての活動が華やかだった正蔵師は、あるときテレビをばっさり切って古典に専念した。
現在の正蔵師の実力をいまだに認めていない人はさておき(これも今に、認知の狂いと判断されてしまいますよ)、師は見事、古典落語の貴重な人材として生まれ変わったということになっている。
実際には修業をやり直したわけでもなくて、すでにタレント活動前の積み重ねが、年齢も経てようやく実を結んだということだろう。
三平だって、実は修業の基礎がちゃんとあって、これからこの積み重ねが生きるのだ、そういう仮説も成り立つのだが、まあ無理でしょう。

こういう意味では三平師、気の毒なところもある。
誰も「古典落語の基礎が大事」と、修業時代に言ってくれなかったのだろう。正蔵師には言ってくれてた人すら。
小朝師あたりもきっと、「君はそのままでいいんだよ。お客さんはお父さんの芸を期待してるんだから」と本気でアドバイスしていたに違いない。
本気だったら仕方ないが、誤ったアドバイスが廃人をひとり生み出してしまった。
三平のタレント性は、古典落語の修業の先にはないとみんなが思っていたわけだ。

でも、自分で気づいてなんとかしないといけなかった。
環境の似ている当代木久蔵師だって、落語は上手い。その上で、面白い。
漫談中心の噺家もみんな古典をちゃんとやってきている。
こん平は・・・どうでしょうか。師匠がタレントとして成功したのが、三平には仇となったか。

落語界というものは面白くて、名人から前座まですべてを俯瞰して眺めることができる。
そして、数年後に、当時の人が年を取ったのを再び眺めると、修業というものがどうあるべきものなのか、部外者にも意外とわかる。
こうやっていけば、最低限としては間違いないはず。

  1. 前座になったら、とにかく大きな声を出す(棒読み上等)
  2. 上手い人の呼吸をまねて喋る
  3. 押した後で、ぐっとこらえて引いてみる(引いたときの客の反応を叩き込む)
  4. 空気のように見えない存在を意識して喋ってみる

オリジナルギャグなど入れるのは、ここまで身についてからにしたほうがいい。二ツ目になってからでも全然間に合う。
新作落語を作るのもいいと思うが、力を入れるのはまだ先のこと。
三平はというと、実になんとも、「2」の段階をクリアしていない。
あんな、変に圧の強い落語のモデルはないからだ。残念なことに、師匠・こん平だけがこうだった。

問答無用の腕があれば、これで勝負できる。
柳亭小痴楽師なんて二世だけど、日ごろはそれを意識したりはしない。
そして小痴楽師は、オリジナルギャグの段階にすら進まず、流れるような語り口を活用し、第一線で勝負できているではないか。見事なもんだ。
この先小痴楽師がタレントとして出世したとしても、誰も何も言うまい。

さて、当ブログは昨日まで15日間連続で、1日のアクセス300を上回っています。更新休んだ日も。
今日は午後3時45分現在、まだ204だ。届くかな?

作成者: でっち定吉

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