柳亭小痴楽「明烏」

昨日ちょっと名前を挙げた、柳亭小痴楽師の高座でも取り上げてみましょうか。
この人も二世だが、悪いほうとはえらい違いだ。
二世の噺家も数々いるが、落語ファンがこうあって欲しいと期待するままの二世としては、志ん朝以来なのではないかと。

最近この人が、私の中で存在感を急速に増しつつある。私と同じことを感じている人も多いのでは。
真打に昇進して2年と少々。この時期に急速に伸びる人というのは、あまり聞かない。コロナが続いた中ではなおさらだ。
思うに、昇進後に急に伸びたわけではなくて、二ツ目時代に「無限に伸びしろのあるスタイル」をすでに身に着けていたということなのだ。
だから、今後もまだまだ出世しそうだ。
きっと本人にも、自分の伸びしろに対する信頼があるのだと思うのだ。それが、痴楽襲名を後に残しているところにうかがえる。
東京では襲名の大部分は、昇進時に実施される。昇進してから改めて襲名披露をやるというのは大変なのだ。

落語研究会の「粗忽長屋」もすばらしいが、浅草お茶の間寄席の「明烏」には圧倒された。
TVKで放映されたばかり。画面の右下に、ずっと津波注意報がチラついているのだが。
まあ、視覚よりも聴覚への訴えが大きな芸である。
珍しく、この回は小痴楽ひとりだけ。前半に田代沙織さんとのトークがついている。
2021年10月上席の主任である。自分で番組を組んだらしい。

ヒザ前の笑遊師について、番組作成者としてのお詫びから。
千葉テレビが入っているのにおっぱいの話ばかりしていたらしい。来週に流れるのだろうか。
父・痴楽と同期のようなもので、子供のころから知っている笑遊師のエピソードを語る。
二世ならではのマクラに、いやらしさなど皆無。

小痴楽師はまず声がいい。
声質自体はそんなにいいわけでもない。地はダミ声だし。
でも、高音が遠く抜けていくので官能的だ。
そして、低いほうから一番高いところまで声のレンジが幅広い。
語りは勢いよく、しかし決して急がない。コクがあるのにキレがある、みたいな。

どの噺でもそうなのだが、クスグリ・ギャグに決して頓着しないところもいい。
「見返り柳(ご神木)に手を叩いて拝む若旦那」「お茶屋に巫女の衣装の用意がある」など、かなり面白いオリジナルギャグが入っている。
でも、全然力を込めないので、全体の印象としてはさらっと流れていく。
「お前が笑って若旦那が泣いて俺が怒って」とか、甘納豆のくだりとかもないし。もちろん、邪魔だから抜いたのでしょう。
サゲのくだりも、びっくりするほどスピーディ。

以前の小痴楽師だったら、こんなスタイルの分、「とても気持ちのいい高座だが、なにも記憶に残らない」という印象を受けた客もいたのでは?
現在は、ちょっとだけメリハリができている。でも、これ以上メリハリ付けて流行りの面白古典になってしまうと、持ち味が消えそうだ。
7割8分ぐらいの力でやっている感じが、とても心地いい。
爆笑派ではなく、快笑派とでもいうか。
スピーディなサゲ付近も、印象は結構強い。

「町内の札付き」と呼ばれたことを根に持ち、帰りたいと泣く若旦那に「俺ら町内の札付きだからね。気にしてるよー」と逆襲する太助。
客は爆笑だが、これアドリブっぽいな。

こういった、細かい部分もいくらでも褒められるのであるが、全体から受ける印象は、また違う。
明烏は人気のある噺。廓噺には珍しく、二ツ目さんなど若手もよく掛ける、若い語り手にメリットのある噺。
だが、どんなにいい明烏を聴いても、人物が見えたことはない。正直言って。
小痴楽師のもの、源兵衛・太助(これはワンセット)も、若旦那の時次郎も、人物がくっきり、イキイキしているではないか。
若旦那の人物像が明確という明烏はもう、信じられない。だってこんな若旦那、リアリティなんてないもの。
どの明烏を聴いたって、若旦那は記号っぽいのだが。

昔の噺家なら、実際に吉原で遊ぶことで、少なくとも源兵衛・太助の遊び人の風情を身に着けることはできたのかもしれない。
まあ、それでも若旦那はやはり難しかったろう。
ではどうして、小痴楽師は両方出せるのか。チンピラ的感性のほうは最初から持っているのかもしれないが。
きっと、人物をガチガチに作り上げていないのだろう。未完成のままだが、相互に矛盾する描写を決して加えないのだ。
作り上げていない人物が、客にとっては完璧な人物体系として見えてくる。
人物描写も7割8分なのだと思う。実は客が勝手に人物の足りない部分を埋めているのである。
小痴楽師は、客の想像に訴えかけているのだ。

実際の高座にも行かなきゃいけないなと思いました。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。