噺家のスマイル

カーリング準決勝はとてもエキサイティングでしたね。
今さらながら、彼女たちの明るさはすばらしい。常に前向きで明るいので、福が転がり込んでくる。
そして、転がり込んだ福をまた素直に喜ぶサイクル。
天然で明るいということももちろんあるだろう。ただそれ以上に、試合だからこそ笑顔をぶつけていこうという、チーム全体の強い意志を感じるわけである。
他方、スイスの選手はずっと険しい顔だったものね。

日本のスポーツも、旧態依然の部分ももちろんまだまだあるわけだが、世界を突き抜けた最先端がここにある。
体罰でもって強化していたなんて、鬼畜の所業である以前に、無益な、無意味な歴史だ。
楽しく明るく取り組むことで、先が見える。
悪エワ事件があった後では、なおさらだ。

落語の世界においても、無意味に厳しい修業を求める師匠が、いかにアホかわかるというものではないでしょうか。
そしてアホな師匠がいかに弟子の才能を奪っていくのかまで。

さて、少々無理やりだが今日は噺家、芸人の「笑顔」について。
今日は登場人物が多いので、敬称略で失礼します。

吉田知那美選手みたいな、スマイル満開芸人というものは、特に寄席ではあまり観たことがない。
にゃん子金魚? あれは笑顔というより、パフォーマンス。
それどころか、ぶっきらぼうな人、あるいはそのように見せたがる人がやたらといる業界。
橘家文蔵、入船亭扇辰、蜃気楼龍玉、春風亭一之輔、ナオユキ。
二三人殺してそう。
最凶、最も怖いのが、春風亭鯉枝。内面から恐怖が湧いてくる。

破顔一笑の顔を見せてくれるのは、林家木久扇、それから瀧川鯉朝、鈴々舎馬るこぐらいかな。
桂宮治は常にスマイルだが、目は笑っていない。
桂文治は常に笑顔だけども、逆にある種怖い。
三遊亭兼好になると、笑顔というものを毒舌の免罪符に使っている。
みなさん大好きです。念のため。

こわもてはこわもてで、立派な武器だ。ギャップが爆笑を生むわけで、それは別にいいのだけど。
瀧川鯉昇だって、顔は面白いし基本笑顔だけど、あの師匠が振り切ったスマイルを持ち込むと、持ち味の大部分が消えてしまうのも確か。
弟子の鯉八や、林家きく麿といった人を眺めてみると理解できる。振り切らないからこそ、ものすごく面白いのだ。

それはそうと落語界も多様性の時代。別種の武器もあっていいと思う。
若い人には、カーリングみたいな方法論の人も出てきているかもしれない。
そういうのに、師匠が賛同してくれる時代なわけだ。
Zabu-1グランプリでも目立っていた昔昔亭昇は作り笑顔でなく、真の笑顔と思う。
兄弟子の昔昔亭喜太郎は、ちょっと違う方法論。

弾けるスマイルの噺家には、価値がありそう。誰か、前座の頃から表情筋を徹底的にコントロールしてみたらどうでしょうか。
女流でもいいと思う。まあ、林家つる子も常に笑顔だけど、笑顔がギャグだからな。

隅田川馬石、三笑亭夢丸、春風亭昇々といった人たちは、笑い顔でもってやや得しているかもしれない。
ただ、スマイルではない。
私にとって、魅惑のほほえみというと、柳家小せん。
この人も、別に弾けるスマイルではない。芸風と同様に、そよ風のようにほほえみを客に届けてくれる。
表情筋豊かな小せんだが、スマイル落語に進もうと思ったことは・・・ないでしょうな。

ひとり、常に笑顔の人を思い出した。柳家喬志郎。
ただ笑顔がキモチ悪い。好きですけどね。

よく考えたら、自覚的にスマイルを持ち込んだ先駆者はすでにいた。桂枝雀がそう。
ただ、この人は内面がどろどろの地獄沼で、笑顔を自分の内面に貼り付けようと、後から思えば無益な努力を続けていた。
企みはある程度成功したものの、どろどろの内面を外に漏らさないことなどできない。最終的には命を絶ってしまった。
そこまで深刻なのは嫌だ。落語らしく、与太郎的個性で突き進む人がいたらどうかな。

上方落語だからといって、笑顔むき出しの人はそうそういない。
雰囲気の楽しい人なら思い当たるけども。
漫才みたいにキャラ全開でやり出すと、意外と上方落語界の内部にも、拒否反応がありそうな気がする。

作成者: でっち定吉

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