笑点、ここに来てやたらと面白いですね。
落語界における笑点については、当ブログはずっと擁護してきた。
最近では、「笑点は落語である」「笑点は落語界の中心にある」と、とんがった落語ファンから眉をひそめられそうな内容を書きまくっている。
そんな私だけど、笑点で笑うことなんてずっとなかった気がする。
寄席に行って、ずっと笑っているわけではないのと同様。それが笑点というものだと思っていたし。楽しいけども、笑いはしない。
だが、宮治師が入ってからの笑点、本当に面白い。地上波を楽しみにしていたわけでもないのだけど、しっかり観てしまう。
いまだに笑点を認めない落語ファンは、日々大変な損失を起こしていますよ。
「話芸」というものの本質が味わえる。落語と同じ。
ずっと叩かれ続ける三平が、ちょっとだけ気の毒になってきた。
つまらなかったのも、空気が読めなかったのも、チームプレイが発揮できなかったのもすべて事実ではあるが、番組がここまでの面白さを発揮していなかったことのすべてが彼の責任ではない。
さて、今日の考察。
笑点は宮治師が来て生まれ変わったのか?
それとも、円楽師がいないから楽しいのか?
一緒にするなと言われそう。
前者はもう、確固たる事実。宮治師がもともとあまり好きでなかった私も、相当に楽しませてもらっている。
だが、後者の要素もあると思うのだ。すでに円楽抜きで3週分やっていて、盛り上がっているのだし。
今日のオンエアだって、宮治師が年金問題を斬っていたそのやり口のほうが、世間の喜ぶ円楽師の政治批判よりずっと切れ味がいい。
参考記事:桂宮治は政治批判落語のエース?
三平にパワハラを仕掛けた円楽師のことを、世間の誰も非難しないのを見れば、円楽ファンがやたら多いことはよくわかる。
ロシアのスポーツ界を非難し、日本のカーリングチームの明るさを評価する、そのまったく同じ人が、三平を「甘やかされた奴はやっぱりダメ」と貶め、パワハラ円楽を持ちあげるのである。
意味がわからん。
弟子の育成に見るべきところのなかった小三治を「厳しい」と言って褒める人たちも、自分で褒めているその中身がまるでわかっていない。
私は笑点メンバーの中では、円楽師に対する好感度が最も低い。昔からだ。
別に最初から、嫌いたくて嫌いなわけではない。当ブログでも、プロデューサーとしての師、弟子に対しての師を高く持ち上げてきた。
本業の落語のほうも、最近は悪くないと思うようになってきたし、それも書いたし、今さら取り下げる気もない。
だが、三平に対するパワハラはやはり最悪。ひどい本性が見えたなと。
惜しまれつつ去るわけではないとはいえ、いなくなる人間を徹底的に貶めるなんてこの人だけ。
冷静に考えればすぐわかることだが、本業のほうだって名人とはほど遠いわけで。
笑点でのおなじみの「司会を譲れ」ネタも、どこが面白いのやら。
ネタにケチをつけるのは野暮だ。だがよく考えてみよう。
「なにかあったのか劇場」と比べれば、ネタの背景にあるパワハラ度合が自然と浮かんできませんか?
今日の小朝師(ヘルプ回答者)の「メガネと鼻つながってるんでしょ」が面白いのも、背景に暴力的要素がないから。
パワハラ発言をしまくったナイツのラジオでも、これから宮治を厳しく鍛えてやるなんて(もちろんギャグとしてではあるが)言っていた。
何様だっつうの。
その意味では、円楽師がしばらく静養するというのは、新メンバー宮治師にとっても非常によかったと思っている。
オピニオンリーダーだという自己評価とは裏腹に、円楽師はすでに笑点では裸の王様だというのが私の考察。
もう後任探しが始まっているんじゃないかと。
師匠の代わりに臨時メンバーとして入ったたい平師のように、弟子に最適な人がいればよかったのだけど。
さて、円楽師の記事が出ていた。
書き手は日刊スポーツ林尚之という、NHK新人落語大賞の結果緘口令にケチをつけていた、もののわからぬ男。
落語界に「円生」空席43年、大きな“宿題”に決着を 三遊亭円楽の早い復活を待ち望む
私自身も先日、圓生襲名に反対ではないと書いたこともある。その記事にはいまだに検索でのアクセスが多い。
その点気が引けるのだけど、パワハラを機に、こんな人に大名跡はいけないなと強く思うようになった。
「円楽はショートリリーフでもいいから『7代目円生』となり、『円生』という名跡を次世代につなげていくことが孫弟子としての責任と思っているのだろう」と記事には書いているが、どうだか。
笑点でのふるまいを踏まえたうえで見ると、名誉欲の塊としか思えないのです。
圓生は、兼好師でいいんじゃない?
ちなみにでっち定吉、締め切りが続くので更新ちょっと控えめになるかもしれません。
引き続きご愛顧のほどを願います。