国立演芸場17 その2(柳家さん花「あくび指南」)

続いて真打は柳家さん花師。
昇進直前から急によく聴くようになり、昇進後もよく聴いている。
昇進後よく聴けているのは、そもそも出番が多いからである。昇進直後出番のない新真打だってたくさんいるわけで。
いい一門にいたって、力がなければどうにもならない世界だ。

小もんさんと同様、さん花師も名前の由来を。
二ツ目までは「小んぶ」でした。真打で名を替えたいと思って師匠、さん喬に相談したら、わかった考えておくと言ってくれました。
次に会ったら、師匠がたくさん名前候補を選んでくれていました。1枚の紙に手書きで8種類。これが10枚。
ありがたいんですけどちょっとありがた迷惑かなと。
師匠が選んでくれた名前は60種類です。なぜ紙が10枚なのに60かというと、同じ名前がいくつもあるんですね。
師匠、大丈夫かよと。
「さん花」という名前が、この10枚の中に最も多く出てきたんです。しかも、1番目にあった名前でした。
そういうメッセージかなと思って選びました。特に思い入れではないんです。
師匠に、「さん花」になりますと言ったら、「なんで」と訊かれました。なんではないだろう。

さん花は「参加」「酸化」と同じフラットなアクセント。
それはいいのだけど、なら「小んぶ」もなぜフラットでなかったのかなんて勝手に思ったりする。
それは結局、昆布だからなんだろう。
ま、割とテキトーな世界だ。

本編はあくび指南。
前座から、3人続けて登場人物が八っつぁんだ。
たぬきでは通常名前出ないのだが、兄貴が八五郎と呼んでいた。
ツいてるわけじゃないから問題はないけども、ヒザ前が「道灌」だったりして今日は八っつぁんオールスターズ。

あくび指南は、いかにもさん花師が手掛けそうなイメージの噺である。だから一度聴いたような気がしたが初めてだった。
実に楽しい一席。
そしてこの平板な噺を、ギャグに頼らず進めていくのが柳家らしい。
あくび指南は、オリジナルのクスグリをまぶすとそれっぽくなるイメージがある。もともと平板な分、味付けがしやすいのだ。
だがそういう方法論ではなく、あくまでも男二人があくびの稽古をしているそのシチュエーションを徹底的に描き、結果的に爆笑を生む。
最初から平板なのではなく、一之輔師みたいなクスグリてんこ盛りのあくび指南から、わざわざクスグリを丁寧に抜いていったようなイメージ。引き算の美学。

さん花師について、クスグリ少なめの人というイメージを持っているわけでもなかった。
噺によってももちろん違うだろうが、あくび指南のような噺のギャグを抑える工夫を見ていると、徐々に減らす過程にあるのかもしれない。
もともと先代小さんに憧れていたというこの人の、本領発揮なのかも。

この噺においては、看板夫人の扱いが難しいと思っている。
いい女が看板と知り、八っつぁんががっくりしたあとは、だいたい、次のパターン。

  • がっくりしたまま
  • 急に稽古に目覚める

急に稽古に目覚める演出は、どうも不自然な気がしてならない。
落語が難しいなと思うのはこういう部分。どこか強調すると、どこかが不自然になるさだめ。
だから柳家にある、看板夫人がいないバージョンはとても好ましく聴ける。

さん花師の描く看板夫人、とてもいい。
抑えた色気がありつつ、その日一度会ったばかりの八っつぁんの顔を覚えていないテキトーさ。
現れる師匠は、看板で生徒を取り込もうとするだけあって、一筋縄ではいかない。
「あくびの下地はありますかな」と問われた八っつぁんが「あるわけないでしょ!」と怒り気味でも、「生意気な弟子ほどかわいい」と動じない。

看板夫人目当てで出かけた八っつぁんが、師匠にいなされ当然のように稽古を始めるというあくび指南は初めて聴いた。
これはすごい工夫だ。

師匠の稽古は1回目と2回目で、露骨に中身が違う。
「やるたびに変わります」とやはり全然動じない師匠。

じわじわ来て爆発する傑作でありました。
クスグリ抜いたって、その分世界が豊かにならなかったら意味はない。
実に落語らしい、豊かな世界がここにある。

昇進後のこの時期にどんどん上手くなる真打とは、まったくすごいな。
そんな人、柳亭小痴楽師ぐらいじゃないですかね。
さん花師は今後数年で、必ずビッグネームになるに違いない。
私が聴くのが柳家ばっかりになるのも、仕方ないじゃないですか。
トリもすぐ取ると思う。池袋下席よりも、鈴本で取るイメージ。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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