国立演芸場17 その3(柳家さん喬「棒鱈」)

漫才はロケット団。国立は時間がたっぷりある。
四字熟語に北京五輪、選挙、 木下富美子、プーチン、流行語大賞、ワクチンなどなど。
羽生結弦からプーさんの流れで、プーチン、ウクライナに持っていく。
漫才は平和でないとやりづらいものだな。

いつものワクチンのネタ。
練馬区方式のくだりで、ツッコミ倉本が、「掛かりつけの医者」と反応すべきなのを間違って「行きつけの医者」と言ってしまう。
他の客は気づかなかったかもしれないが、アタシの目はごまかせませんぜ。ふふ。
「行きつけ」はボケの先取り、ボケ殺しである。
まあ、さすが百戦錬磨で、なにごともなかったかのように先に進むのだった。

仲入りはトリ・左龍師の師匠、さん喬師。
最近この師匠を再発見した気がする。再発見なんて生意気だが。
一流の噺家なのはもちろんわかっているが、こちらの楽しみ方が従来より一段上に突き抜けたのだ。
さん喬師は浅草と掛け持ちである。
国立は本来、寄席組合所属の4場に顔付けされなかった人で選ぶはずなのだけど?(トリは別途依頼する)。
だからしばしば魅力のない顔付けになってしまうのだが、ここにさん喬師が入ると非常に引き締まる。
もう正月ではないし、どういったルールに基づき掛け持ちの番組が作れるのか、それはよくわからない。
ちなみに国立から浅草というのは、掛け持ちしづらいルート。赤坂見附から田原町へ地下鉄で1本とはいえ、歩くし時間も要する。

戦争に軽く触れて、皆様のご多幸をお祈りし、それでは失礼しますといつものツカミ。
酔っぱらいを軽く振って棒鱈へ。そんなにかかる噺じゃないが、私の大好物です。
さん喬師の棒鱈は、一度テレビで聴いた記憶。
難易度の高い噺だと思うが、トリネタではなく軽め。国立の仲入り、20分の高座には最適だ。

かつてやはりテレビで聴いた左龍師の棒鱈には、町人ふたりが芸者を呼ぶシーンがなかった。
持ち時間が短いので端折ったのかなと思っていたのだが、この日の師匠のにも入っていなかったところを見ると、最初から入れてないようだ。
そして棒鱈が、師匠から弟子に伝わったこともよくわかる。

芸者を呼ばないとなると、べろべろの町人(きっと、これも八っつぁん)が悪態をつくシーンがひとつ減るので、この世界の平和度が増す。
さん喬師はこよなく平和な世界がお好きだと思う。この感覚は喬太郎師より、左龍師のほうがよく継いでいる。
そして、芋侍が自立している棒鱈。浅葱裏嫌いの、江戸っ子のためのとってつけた侍じゃない。
ちゃんと楽しい世界づくりに貢献する侍である。さん喬・左龍の棒鱈は、侍が主役なのだ。
私もこの侍が大好き。
現代でもさすがに、鹿児島で掛けたら嫌がられそうだが、それでもわかる客だったら喜んでくれそうに思う。

若い頃から「人情噺のさん喬」として評価の確立したさん喬師だが、本当は滑稽噺に強い誇りを抱いているのだという。
棒鱈を聴くと、その誇りがよくわかる気がするのだ。
「大井・大森・蒲田・川崎らと」とか「赤べろべろ」とかの、細かいクスグリで笑いを取る噺ではないと思う。
それよりも、どこまで侍が弾けてみせるかだと思う。弾けてみせるためには、バカになってやらねばならない。
「ほーれスッポンポーン」とか、まるっきりのバカになれるあたりが、さん喬師の誇り。きっと。

そして、さん喬師のもの、芸者たちが実にもっていい女で、たまらんです。
かと思うと、八っつぁんの啖呵も実にもってキレがいい。
落語の幸せがぐっと噴き出る一席でありました。

仲入り後、クイツキ兼ヒザ前の出番は橘家文蔵師。
客席を隅から隅までじっくり眺めまわして口を開く。「・・・この程度か」。
「いや、これで取り分があるかなって思ってね」。
マジなことを言うと、国立は確かワリじゃないはずだが。

私は手短にやりますんでねと断って、ご存じ十八番の道灌へ。
導入部に四天王が入っているのは珍しいが、師のCDにも入っている。手短にといっても、ヒザ前も20分あるので。
安定の面白さ。
首絞めるのが好きな八っつぁんだが、それ以外珍しいクスグリがあるわけでもないのになんでしょう。この面白さは。
提灯のくだりで、八っつぁんに客の気持ちが見事にシンクロしているからだろう。

トリの左龍師に続きます

 

道灌/らくだ

作成者: でっち定吉

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