昔と違って、あまり物を持たない社会になってきました。
落語のCDも買わないで、図書館で借りてパソコンに保存したりなんかして。あ、これは昔から皆さんやってますけどね。恵まれない噺家のためにもCDは買ってください。
買わなくていいのは自家用車ですね。東京で車持とうとすると、ガレージ代も掛かりますので大変です。年間50万くらいすぐ行っちゃいます。
最近ではカーシェアが流行っていまして、なんでも駐車場に置いてある車をみんなで使うんだそうで。
同じことを、噺家でやったらどうかなんて考えた人がいまして。
寄席に行かなくても、噺家が気軽に呼べる世の中がやってきたというお話です。
「あ、小うん師匠ごくろうさまです。お先に勉強させていただきました」
「よう、袖で聴いてたよ。アンちゃん随分達者になったねえ。今のは師匠の?」
「ええ、うちの師匠直伝の『串ほめ』です」
「昔っからきつね師匠は面白いよな。なんでモツ焼きの串を褒めなきゃなんないのかさっぱりわかんねえけどさ。あ、あのクスグリ入れないの? 『串が全部で何本あるかだって? 串は昔から3ダースだよ、串36っていって』ってやつ」
「あそこですか。師匠は、お客さんにバレてから強引にやりきってウケますけど、ぼくはどうもダメなんです。客席から『串36よ』なんて先に言われるともう続きができなくって。入れるときはさらっと入れてますけどね」
「そうか、師匠の肝っ玉まではなかなか真似できねえな。でも大丈夫だよ、アンちゃんもセンスあんだからよ。ところでどうだい、このあと師匠の用事でもなければ乗っけねえかい」
「ありがとうございます。小うん師匠にお誘いいただけるならうちの師匠も許してくれます・・・ちょっと待ってくださいね(スマートフォンを見て)、あ、ダメだ師匠すみません」
「おっと売れっ子だね。お座敷掛かったかい」
「ええ、そうなんです。この後空いてたんですけど、高座の最中に噺カーシェアの予約が入ってました」
「二ツ目で仕事がいっぱいってのはいいことさ。どこ行くんだい」
「ええと、亀有ですね。なんだこれ・・・あ、個人宅です」
「人ん家? 大変だなあアンちゃん、予約が入ったらどこでも行かなきゃなんねえのか」
「まあ、ありがたいんですけど、個人宅はちょっと怖いですね。こないだ暇を持て余した奥さんに呼んでもらったのはいいんですけど、途中で旦那が帰ってきましてね」
「紙入れたあアンちゃんも隅に置けないね。落語の仕事じゃなかったのかい?」
「落語ですよ。奥さんと差し向かいで厩火事やってただけなんですけどね。帰ってきたのがやきもち焼きの旦那で、しかもケチだったんです。誤解が解けた後も、俺の留守中に黙って噺家呼ぶとはけしからんなんて言ってました。結局旦那のために、改めてサービスで堀の内を一席やりましたけどね」
「色気のねえ旦那だな。まあ、気をつけるこった」
「いざとなれば防犯ブザーがあります」
「子供の通学だね。まあ、そんなのが役に立つこともあんだろうな。俺なんかはもう、寄席でパアパア喋って、たまに御贔屓に呼んでもらったら十分だけどな、若えうちにアンちゃんも頑張らねえとな」
「ありがとうございます師匠」
というわけで新進気鋭の噺家、二ツ目の紺々亭小ぎつねは、浅草演芸ホールの楽屋を後にして、急遽「噺カーシェア」予約の入った亀有に向かいます。
噺家も、噺カーシェアに登録しておきますと、時間がある限り予約が入ることがあります。受けるか受けないかの自由くらいはありますが、小ぎつねさんは、まだまだ仕事を選べるようなメジャーどころではありません。
寄席の出番はあっても交互枠だけですから、噺カーシェアは結構な収入源になっています。
「北千住だ。ここでつくばエクスプレスから、地下鉄ホームまで行って常磐線各停に乗換えと。カーシェアの車ってのは駐車場にいりゃあ客が来るけどな、こちとら自分で動かないとならないや。もっとも、送迎が付いたらデリヘルだけどな」
などとブツブツ言っているうちに亀有に到着です。
「ごめんください。お招きいただきましてありがとうございます。紺々亭小ぎつねと申します」
「ああ、よかった。よく来てくださいました。お父さん、間に合ったわよ」
「あれ私、時間ギリギリでしたか?」
「そうじゃないの。どうぞお上がりくださいな師匠」
「あ、私まだ二ツ目の噺家なんで、師匠なんて呼ばないでください」
「まあまあ、今日は師匠でお願いします。お父さん、小ぎつね師匠よ」
(寝たきり老人が目を開け、うなずく)
「あ、ごめんください。お父様はお寝みじゃないんですか、というかこの状況はひょっとして」
「そうなの。うちの父なんだけど、もうじきお迎えが来るところなのよ。自宅で往生したいって言ってたから病院から連れて帰ったの。最後に好きだったきつね師匠を聴きたいっていうんだけど、きつね師匠、今日は浅草でトリですってね。諦めかけたら、お弟子さんの小ぎつね師匠が空いてたの。よかったわあ」
「え、ということは、私がお父様を落語でもってお見送りすると・・・すごい責任じゃないですか」
「大丈夫よ。小ぎつね師匠も聴いたことあるんですけど、お若いのにお上手じゃないの。きつね師匠に似たところもあるし、ぴったりよ」
「あ、ありがとうございます。ですが、この状況で、一体なにを掛けたらいいんでしょうね」
「そうね。死神なんかどうかしら」
「それはちょっとシャレが過ぎませんか。とりあえずお急ぎでしょうから、着替えさせていただきながら考えますね・・・えーすごいとこに呼ばれちゃったな。人を看取る落語なんて初めてだよ。この先も二度とないかもしれないな。黒紋付持ってきててよかったよ。ともかくなあ、お亡くなりになる人の好きなものの噺がいいかもな。お酒が好きだといいんだけどなあ。最後に試し酒を聴いてもらって、五合飲み切ってぽっくりなんていったらオツだね。あとはあっちのほうがお好きだったら廓噺だろうな。でも、今どきお年寄りでも、若い頃廓に通ってたなんて人いないもんな・・・お待たせしました。考えたんですが、お父様のお好きなものの噺で看取るというのはいかがでしょうか」
「ありがとう師匠。父の好きだったのは釣りね」
「釣りイ? うーん、野ざらしだと、むしろ釣りを冒涜するような噺ですからね。お酒なんかはどうですか」
「お酒は普通にたしなむ程度だけど、あ、そうそう、うちの父ね、おそばに目がなかったわね。大好物よ」
「それだ!『そば清』なんてどうですかね、最後人が死んじゃう噺ですけど、そば好きの大往生にはかえっていいかもしれませんよ」
「そうね、意外とよさそうね。お願いします」
今日は臨時に師匠に格上げの小ぎつねさん、そば清を熱演いたします。お父さんの本名を聴いたらキヨシだというので、それはいいと、今日だけ「そばキヨ」に改題したりなんかしまして。
お父さんは目を細め、口をほころばせて、どうやら聴きいっている様子です。
小ぎつねさんが、「そばが羽織着て座ってらあ」とサゲたところでお医者様の診断、「ご臨終です」。
ご遺族が喜ぶのなんの、うちのお父さんを好きなもので看取ってくれてありがとうと、通常料金以外にご祝儀もたんまり弾んでくれます。
「ご祝儀もらっちゃったよ。こっちが出す香典の分まで上乗せしてくれてねえ。しかしまあ、変わった依頼があるもんだ。喜んでくれてよかったけどね。三回忌のときにはまた呼んでくれるっていうし、ありがたいね。さあ、お線香も上げたし失礼しようか。おっと、また予約入ってるじゃないか。さすがにこんなときはどうかな、断っちゃおうかな、なになに、今度は綾瀬か。隣だしな、もうひと稼ぎしてくか。でも、また個人宅なんだよな。ここだ。ごめんください」
「お待ちしてました。小ぎつね師匠」
「おや、こんにちはお坊ちゃん。どこかで会ったことのある坊やだね。お兄さんね、師匠じゃないんだよ」
「いえ、二ツ目でいらっしゃるのはわかっていますが、ぼくにとっては小ぎつね師匠です。今日はわざわざお越しいただきありがとうございます」
「これはまた、礼儀正しい坊やだね。ご丁寧にありがとうございます。落語の会場はどちらでしょうか」
「こちらへどうぞ、師匠」
「おや、六畳間だ。何人くらいいらっしゃるんでしょうか」
「ぼくひとりです」
「え、おうちの方は?」
「父も母も仕事が遅いんです。今日はぼくが噺カーシェアで師匠をお呼びしました」
「え、君ひとりがお客さんてこと?」
「はい。実は、ぼくが落語をするので、師匠に聴いていただきたいのです」
「おや、ぼくはちびっこ落語家さんなの? そうか、プロに稽古をつけてもらおうっていうのか」
「そうなんです。ぼく、将来どうしても噺家になりたいんです。中学を卒業したら、改めてご挨拶に伺いますので、そのときは小ぎつね師匠の弟子にしていただけないでしょうか」
「えー私の弟子にだって? お兄ちゃんはいま何年生?」
「ぼくは小学5年生です。中学を卒業するのは4年後ですので、入門12年目の小ぎつね師匠は、その頃は多分真打でしょう」
「なあるほど、詳しいんだね。でも4年後に真打になれる保証はないんだけどね、今、噺家も多いし、ぼくの上もつかえてるから」
「いいんです。そのときは高校にとりあえず行きますから。それに、入門をお願いしにいくと、とりあえず高校だけは出とけって言われるのが普通でしょう」
「そこまで考えてるとは恐れ入ったね。そういえばお兄ちゃんの顔、何度か寄席で見てるもんね。そうか、ぼくの落語が好きなのかい」
「はい、小学2年生のときに鈴本演芸場でお見かけして以来大好きです。特に師匠の『串ほめ』に感動しました」
「おや、どこで聴かれてるやらわかったもんじゃないね。でも、そんなに噺家になりたいの?」
「ええ、ぼくも小さい頃から落語を聴いて育ってきたんですけど、もうひとつ理由があるんです。実はぼくの曽祖父が、古今亭志ん竹なんです。誰もその後は継いでいないんですけど、曾孫の代で落語界に返り咲くのがぼくの使命だと思いまして」
「ええー、ひいお爺さんが昭和の名人、志ん竹だって。そうか、だから志ん竹の曾孫弟子のぼくに目を付けたのか」
「もちろん、小ぎつね師匠の落語が大好きだからですが、それも理由です。できれば、曽祖父の一門に入りたいので」
「うわー、志ん竹の子孫がぼくに弟子入りしたいなんてね・・・噂だけはあるけど誰も志ん竹継がないから、どうなってるのかと思ったけど、坊やの家で持ってるんだね。まあ、噺家になるかならないかはゆっくり考えたらいいけど、せっかくお小遣いで呼んでくれたんだ。お兄ちゃんの落語を聴いてみましょうか」
「ありがとうございます。師匠、よろしくお願いします」
というわけで、小学生の坊やは浴衣に着替え、きちんと正座をして、カミシモを振って噺を始めます。演目は「火焔太鼓」です。
どこで調達したのか、ちゃんと扇子と手拭いも用意しています。
もちろん子供なので特筆すべきものはまだありませんが、手本にしている志ん竹のコピーとしてはなかなか間がいいので、小ぎつねさんも感心して聴いています。
「半鐘はいけないよ。おじゃんになる」
「いやあ、驚いた。志ん竹師匠の生き写しだね」
「ありがとうございます。何度も聴きましたから。でもまだ、曽祖父のただのコピーに過ぎません。しっかり修業に励んで自分の個性を掴みたいと思います」
「おや、謙虚だね。でも、いい手本を真似られるというのはスタートとして大事だからね」
「ありがとうございます師匠、ぼくはプロになれるでしょうか」
「そうだね。血筋もいいから、謙虚に修練すれば、落語界に波紋を呼び起こすかもしれないね」
「え、師匠、『破門』ですか?・・・ぼくまだ入門もしてないのに」
「ああ、ごめんごめん。噺家志望の小学生に使うことばじゃなかった・・・そうだ、修業して落語界の輝く虹になりなさい」
「師匠、虹はダメです。曽祖父の七光りだって言われます」