池袋の記事を終えた今日のでっち定吉は、協会の不祥事を出すのではないか、そう考えた方もおいででしょう。
めでたい内容のほうがずっといいでしょ? まあ、不祥事も明日出すけどね。
動物ものまね江戸家小猫が5代目猫八を来年襲名「4月1日の発表ですが本当です」(日刊スポーツ)
ついに五代目猫八を襲名する小猫先生。44歳。
いやー、私最近、寄席でお見掛けする小猫先生の高座には、もう驚嘆の連続でして。
ものまね芸も当然だが話芸の一種。ひとりの芸人の姿にずっと感動し続けている。
お見掛けするたびに、まだ若いのを承知の上で「もうすぐ猫八襲名のはず」「すでに落語協会の数年後のスケジュールに組み込まれているに違いない」と当ブログに書いていたのです。
別に情報ソースを持っていたわけではない。私に教えてくれる関係者もいないし。
でも、そのウデを味わえば、襲名が近いことだってわかるではないですか。
遅くとも2年前ぐらいには確定していたと思う。もしかしたらコロナで延びた可能性だってある。
小猫先生は、2011年デビューだから来年で芸歴12年。噺家と比較するとやや早めの出世だが、現在の活躍ぶりに異を唱える人はいないだろう。
春風亭一之輔師が、先生のことをいつも同い年だと言っている。仲良しみたい。
デビューの頃は固かった。実にもってコチコチだった。
動物ものまねの一家だから跡を継いでいるけど、本当はやりたくないのかしらなんて思っていた。
だがそんな時代はごくごく短かったように思う。実際、受賞歴も数多いのだ。
小猫先生が実に偉大だと思うのは、自分の固さを徹底的に理解していることである。芸人でも、なかなかこれができない。
自分のニンにない面白さを追求しようとして自爆する人とは大違い。
小猫先生は、父四代目のような飄々とした芸とは異なる道を自分で見つけた。固い人が真面目にふざけていると、たまらなく面白いことを世に知らしめたのである。
ホエザルの振り切った鳴きまねを、固いままやっているのがたまらないではないか。そして、ご本人も楽しそうだ。
世界中を巡って、動物鳴きまねを日々仕入れているそうで。
でもそれだって、仕事に活きなければ意味がない。「ヌー」のものまねなんて聴いたってわからないのに、仕入れて芸にする見事さ。
そして、同じ芝居に二度行ったことで、小猫先生がいかに毎日内容を替えているのかよくわかった。
やるほうも毎日同じになったら、きっとつまらないのだろう。
一人芸は予定調和になりかねないのだが、そんなことはないのだ。
客と対話はしないけども、ちゃんと心理的なやりとりはしている。
猫八襲名は早いほうがいいと思っていた。
なにしろ四代目は、襲名して7年で亡くなったのだから。先代こそ、小猫のイメージのほうがずっと強かった。
ちなみに先代、かつてのうちの近所でやっていた地域寄席に呼ばれた際のポスターが「江戸家子猫来場」だったのを思い出す。
今の米團治師匠が小米朝時代よく「子米朝」と書かれていたなんて話があるが、ネタじゃなくて本当にあるんだなと。
来年の3月下席から襲名らしい。披露目についてはまだ書かれてないが、今年の真打披露のスケジュールでやるのでしょう。
真打昇進披露はないようだ。次はまめ平、扇と小粒だから、かゑる以下と秋にまとめてやるのでしょう。
ということはだ。猫八襲名は、四代目のときと違ってフルスペックでやるのだろうか。
先代は5日間ずつ寄席四場を回り、20日間の興行だった。当時知ってはいたが行かなかったから、詳しいことは覚えていない。
五代目は国立も含めて50日間やるのかもしれない。
2001年に亡くなった祖父、三代目もちゃんと記憶にはある。お笑い三人組までは知らないが。
俳優としても大きな実績のあった人。
落語協会にいたが色物はトリを取らせてもらえないので芸協に移り、初代との思い出を語る人情噺を掛けていたのは覚えている。
中学生のときにラジオで聴いた。
笑点に出て、四代目と親子共演で、最後にさかり猫を親子でやっていたバカバカしさといったら。
この際、所属協会が違うのであまり共演はないんですよと語っていた。
二代目猫八だけ血縁関係がないが、あとはすべてこの一族。動物ものまねだけで四代続くすごい家系だ。
三代目以降にすべて共通するのは、やはり話芸がしっかりしていること。だが、その個性は大きく違う。
最近の落語界、親の七光りを強めに指摘される芸人もいる中で、脈々と受け継ぐその話芸のすばらしさよ。
同じ日に、協会の新二ツ目も発表されてますね。11月上席から。
春風亭枝次、三遊亭ごはんつぶ、桃月庵あられの3人だ。
先月、長くなった前座をネタにするごはんつぶさんをお見かけしたばかり。
だが、とっくに内示は出ていたのだろう。よかったですね。といっても半年以上あるけど。
あられさんの上に、柳亭市松さんがいるのに昇進しないのはペナルティでもあったのだろうか。
あと、あられさんと入門同期の林家八楽さん(紙切りの二楽師の息子)も昇進しない。