古谷三敏「寄席芸人伝」のご紹介。
今日は、第10巻から<学校寄席 三遊亭金歌>。
寄席で「三枚起請」を掛ける、今回の主人公、三遊亭金歌。まったくウケない。
楽屋に戻って嘆くと、別の噺家もこれに同意。
「風俗が変わり、廓噺じたいわからない」
「起請文なんていってもわからない」
「火炎太鼓の『半鐘』も通じない」
奥で二ツ目の噺家が、業者と学校寄席の打ち合わせをしている。訊いてみると、行先の中学校はなんと金歌の母校。二ツ目に誘われ、金歌も一座に加えてもらう。
当時の怖かった先生がいないか心配な金歌だが、もう二十年も経っているから大丈夫だろうと思う。しかし、母校に行くといきなりこの先生に出くわす。
廓噺が通じなくなったことを恩師にこぼす金歌。すると先生は、今日やってみろと言う。
学校で廓噺なんて掛けていいのかと思いつつ、「三枚起請」を掛ける金歌。案の定さっぱりウケない。
しかし恩師は、座長を務めるベテラン噺家、馬好にも、廓噺をやってくれとリクエスト。
馬好が「お見立て」を掛けると、わからないまま聴いていた生徒たち、雰囲気を感じて徐々にウケだす。終いは大爆笑。
ウケないのは、言葉や風俗がわからないからではない、腕がないからだと諭す恩師。
反省し、恩師に頼んで二十年ぶりのビンタをもらう金歌。
池袋に息子を連れていき、さん喬師の「幾代餅」を聴かせてもらった話はブログに書いた。
子供に「噺をわからせてやろう」なんて了見は、はなはだよろしくないと思う。子供だけではなく、誰が相手でもそうだ。
鶴光師の芸談も先日ご紹介したが、今年亡くなった三代目桂春團治師匠、学校寄席をはじめ、どこへ行っても変わらなかったという。
客におもねったりはせず、常に同じ調子で演じていると、客との間に引かれた一線を、客が勝手に乗り越えてきてときに異様な一体感が生まれたのだと。
寄席芸人伝第7巻<第98話 未帰還兵 文五郎>でも同種のテーマが取り上げられている。
戦地に居ついてしまったかつての噺家が、仲間の尽力で38年ぶりに日本に帰ってきた。弟弟子に頼まれ、高座に上がり、廓がなくなったことも知らずに「居残り」を掛ける。
使っている戦前の言葉は通じないが、しかし客席は大いに沸く。
自分で掛けたときの「居残り」のサゲ、「おこわにかける」が通じなくなり、あきらめかけていた弟弟子、自分の力のなさを大いに反省するのであった。