寿司屋の酔っぱらいを落語として楽しむ

前日に酔っぱらって自宅で記憶を失くした私だが、翌日も結局飲んでいます。
かながわPayでポイントを貯めた。時限ポイントなので5月末には失効してしまう。使いに行くことにする。
寿司屋を予約して出かける。年配男性だけの隣のテーブルがうるさい。
「マスク飲食」を徹底しろとまで言う気はないが、この時世に大声でなあ。
とりわけ声のでかいジジイがひとり。

私は集団に背を向けていたのだが、家内の観察によれば税理士の寄り合いじゃないかと。あるいは社労士。
一国一城の主であるおじさんたちが集まり、商売仲間と好き放題に騒いでいる。たぶんこの世で一番タチの悪い集団。
そしてあろうことか、いよいよ酔ってきたら下ネタのオンパレード。自分の道具を最近はとんと使っていないだの。
おじさんは雇っている女性たちに愛想よくしてもらえなくて寂しいらしいのだが、当たり前だろ。
下ネタではなくても、仕事で出会うあの女の子がかわいいだのなんだの。
セクハラ・パワハラが世間で糾弾されている世の中で、もっとも当事者意識のないのがこの人たち。
高校生の息子は、酒ってのは本当に本性を出すんだねえと。

すでにジジイたち、我が家が来店した際デキ上がっていたのにもかかわらず、長っ尻でなあ。我が家の飲食時間がほぼ、このやかましいジジイたちと重なってしまった。
今回は息子の入学祝いとか、名目を付けていったわけではない。理由を付けなくてよかった。
今回のジジイたちの乱暴狼藉は、我が家においては長く語り継がれることだろう。

だが、ジジイたちがようやく帰り、我が家だけの時間になってから私は語る。
「災難ではあったが、あのクソジジイたちを脇から眺めて楽しむぐらいの心の余裕はあってもいいじゃないか。落語だと思えばいい」。
落語好きの息子に、「うどん屋」とか「蜘蛛駕籠」とかな、「棒鱈」でもいいしなと。
ご難を楽しむ噺だって落語には多いんだ。感情というものにはいいほうも悪いほうもあるが、心を動かせれば落語になるんだよ。
息子が受けて、酔っぱらいが車屋をからかうのってなんだっけ、ああ、替り目か。

そうなのだ。落語を聴いていると思わぬところで役に立つ。せっかくの会食を邪魔されて迷惑だと思い続けるよりも、楽しむほうが健康だ。
酔っぱらいも楽しいし、酔っぱらいがもたらす災難も楽しむのが落語。
セクハラの塊は社会的にはもはや居場所がなく、当人はそれに気づいていない。だが、そのズレズレっぷりに迷惑を受けるところに焦点を当てると、落語になる。

現代では、うどん屋もカスハラを受ける飲食店の噺だと理解してしまうと聴けない。
それはそうだが、ご難も楽しむ視点をちゃんと持っていれば、ひと味違う。
酔っぱらいが内輪の婚姻に呼んでもらって嬉しがっているプラスの感情とは別に、客がくだまいて商売にならないうどん屋のマイナスの感情だって、同時に楽しむものなのだ。

思えば落語というもの、世のさまざまなご難を題材に、これを抽象化して提示することで進化してきたのだ。
蔵前駕籠なんて、幕末の物騒なご時世を背景に「女郎買いの決死隊」がこれを楽しもうとする噺だ。
大山詣りだって、熊さんにとってはつるつるにされたのはご難である。これで早速復讐しようと思う熊さんもとんでもないのだが、でも楽しい。
昨年聴いた三遊亭小遊三師の「船徳」でいたく感銘を受けたのも、ご難の描写のありよう。
ぐるぐる回る船の上でタバコを吸おうとする男は、素人に毛の生えた船頭から受けるご難を徹底的に楽しんでいる。

さらに別のことを考える。
柳家小ゑん師なら新作落語でもって、セクハラジジイと、これに迷惑を受ける家族を俯瞰して描くだろう。
さらには、ネタケースの中の魚たちも一緒に描く。
我々家族だって十分ネタになる。
お寿司を頼んだ後で、改めておつまみを頼もうとする家内に、「いまさらつまみに戻るのは俺の美学に反する」とか言っている旦那とか。私のことだが。
別に、中の中から下ぐらいの寿司屋で通ぶりたいわけではなくて、美学としか表現できないもの。まあ、結局頼んでるけど。
寿司を2人前しか頼まない親に、ぶつぶつ文句言ってる息子とか。いいじゃないか。みんなで食えば。
ちゃんと追加もして満足して帰ったんだから。
こんな他愛もないやり取りをしている家族も楽しいではないか。「長い夜」に出てくる、北千住のファミレスのお父さんをほうふつとさせるスケッチ。

落語聴いてると幸せになれます。たぶん。
こうやってブログの1日のネタにもなったし。

替り目/お直し

作成者: でっち定吉

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