三遊亭天歌「無限しりとり」
紙袋を持って登場の三遊亭天歌さんは、現在師匠・四代目圓歌の襲名披露につきっきりで、高座に40日ぐらい上がってないんだそうだ。
師匠の指令でそうしているが、では師匠は生活の面倒を見てくれるのかというと、そうでもない。
4月は新宿・浅草・池袋と円歌襲名披露が続くが、東京かわら版を見ると確かに天歌さんの名前はない。
圓歌師匠は感情の起伏が激しく、天歌さんが40日間ついている中で、すでにいろいろとエピソードがある。だが、高座では語れない。
ところで、40日上がっていないというのは、いきなり嘘だ。マクラの最後に「昨日、連雀亭の夜席に来た人?」ってアンケート取っていた。
高座に上がる際に、紙袋を用意していたのだが、昨日連雀亭にいたファンがひとりいたと知り、同じ噺はしないと袖に返してしまう。
たぶん、紙袋の中は手ぬぐいがいっぱいなんだろう。「福袋演芸場」で聴いた「法令遵守の虎」という噺なのだと思う。
この噺をやめて入った、「無限しりとり」のほうが個人的にはずっと面白かった。ラッキー。
登場人物がいきなり「磯野」と「中島」だが、このウケたギャグに意味はなにもない。
「しりとり部」の強引な勧誘に立ち向かう中学生磯野。しりとり番長と対戦して、負けたらお前が入部しろという強引な展開。
天歌さんは間違いなく才能溢れる人だけども、新作落語の展開と感性が、変な方向に向いていて、危うい気もしばしばする。
だが、この噺は絶品だった。
沖縄やアフリカには「ン」から始まる言葉が無数にあるという、言語学的教養が含まれている点が、落語の世界に似つかわしいのだろう。
そして、「ズ」などしりとりには難しい言葉で終わらせ、対戦相手を追い詰めるスリル。
また天歌さん、演技がかなり上手いので、ハマるとコメディドラマのようで実に楽しい。
それなら古典落語も上手そうに思うのだけど、残念ながら私が一席聴いた限りはそうではなかったが。
柳家小三太「万金丹」
初めて聴く、柳家の秘密兵器、小三太師。
・・・なんだこりゃ。私は一体なにを見せられたのだろう。
先に上がった天歌さんも、小三太師が師匠・圓歌と仲良しで、遊びに来てくれると師匠の機嫌がよく、嬉しいと語っていた。
プロには喜ばれる人なんだろうけど、私はプロじゃない。
黒門亭の客、プロが喜ぶような噺家ならば受け入れるという気配が漂うのだが、私はダメ。
真打で、下手な落語をする人はたくさんいる。あまりいい気はしないけども、ひどい落語でない限りいつまでも気にしたりはしないし、ブログでも最初から触れないことも多い。
だが、噺をまともにしゃべれないなんていう人は、噺家ですらない。
「まともに」というのは比喩ではない。本当に次のセリフが出てこないのである。そして、出てこないことに自分で茶々を入れて強引なギャグにする。
寄席の席亭がこの人を顔付けしないのは当たり前。普通の寄席に出したら、まともな客は怒るよ。
「ちゃんと落語が喋れないプロの噺家」なんてプロじゃないだろう。噺家さんは、常に尊敬の対象であって欲しい。
「音をまともに出せないミュージシャン」「ひどく味付けの狂った料理を出すコック」に対してそれぞれ「こんなのも味があって面白い」と言える人間に、私はなりたくもない。
一応、万金丹を語ってはいるのだが、そこそこ珍しめのこの噺、初めて聴いた人には、ストーリー展開がたぶんまったくわからなかったと思う。
早めに噺やめてくれてまだよかった。
今後、この人が顔付けされている黒門亭には来ないと思う。トリがどんなにいい師匠でもだ。
まあ、落語協会を批判することはできないな。現役の噺家を高座に上がらせるのは、協会の互助機能からして当然のことなのだから。
もし、スレたファンが喜ぶと思って顔付けしているのなら、その発想はどうかと思うけども。
ところでこの人、謝楽祭の日にはなにしてるんだろう?
噺家の批判をするときは、私も通常は、一応気を遣う。
耐えられない席に遭遇したときは、その噺家の名前、いつも伏せることにしている。
でも、小三太という人を、噺家とは思わない。
小三太を許せることが、真の落語ファンだというライセンスがあるのかもしれない。だが、そんなものは要らない。
というより、狂った高座を喜ぶけしからんファンがいるから、舐めた高座を務め続ける噺家が存在するんだと思う。
今日はこの人以外、全部よかったのだけどな。