落語協会の真打昇進披露が始まりました。
古今亭駒治師の鈴本の披露目に行きたかったのだけど、もたもたしてたら前売りで完売。あんまり、前売り買う習慣がないもので。
まあ、披露目は国立まで続くから、まだチャンスはある。
でも、家族で出かける予定にしていたので、どこか寄席に行きましょう。
鈴本は夜席が披露目だが、昼席は春風亭一之輔師。
池袋昼席は柳家小ゑん師。
三連休の中日だから混むのは仕方ないとして、どちらに行こう。
息子に委ねようと思い尋ねたら、「小ゑん師匠」と即答。
え、ちょっとびっくり。確かに息子も大の小ゑんファンだけど、一之輔師を向こうに回して即答とはな。
小ゑん師匠、最近寄席で引っ張りだこである。先日は代演により、寄席4か所に一日で出たそうで。
少々残念なのは、池袋にはかわら版割引がないこと。
定期購読している人はご存じでしょうが、東京かわら版の今月号が2冊あるのです。
印刷ミスで再度送ってきた次第。せっかく2冊あるので、大人二人分の割引をしてもらおうかななんて思っていた。
でも、子供がセットで千円になるのが池袋のいいところ。家族三人で5千円だから、安い。
柳家小せん師匠がこの土日休演なのはやや残念。
歌武蔵師も休演だが、代演に夢月亭清麿師が入っているのは意外と面白い。
小駒 / 強情灸
わさび / 茗荷宿
三語楼 / 居酒屋
彦いち / 掛け声指南
とんぼ・まさみ
はん治 / 妻の旅行
正雀 / 不孝者
(仲入り)
歌奴 / 佐野山
清麿 / 東急駅長会議
ストレート松浦
小ゑん / 長い夜・改Ⅱ
今日もすばらしい内容でした。
盛り上がる噺と、落ち着いた噺とのメリハリがとてもいい。
笑い過ぎて疲れることがないのに、終わってみると非常に高い満足。
噺家さんの、寄席におけるチームプレイがよく味わえる席でありました。
金原亭小駒「強情灸」
前座は金原亭小駒さん。
古今亭志ん生の曾孫、先代馬生の孫というのが売り物の前座だが、血統を裏切らず腕はちゃんとしている。
江戸っ子のやせ我慢、熱い湯を「ぬるい」と言い張る楽しいマクラ。
このマクラから入るということは、本編は「強情灸」。決して前座噺じゃないが、二ツ目昇進が内定している小駒さんはこういうのもやってみたいんだろう。
前座離れした見事な一席で、大いにウケておりました。
熱さを我慢しているとき、本当に顔が赤くなっているのがすごい。
先代小さんもびっくりだが、こういうのは気のもので、小手先のテクニックではないらしい。
そして、もぐさの描写が的確。大きなもぐさがしっかり形になっている。二ツ目だってこうはいかない。
いいですね。前座が上手いと非常に嬉しい。
柳家わさび「茗荷宿」
交互出演の二ツ目さんは、今日は柳家わさびさん。
笑点特大号のレギュラーでおなじみで、先日も公開収録でお見かけしたけども、寄席で落語聴くのは初めてだ。
神田連雀亭に出ない二ツ目だと、売れっ子でもそんなもの。だから今日は楽しみにしてきた。
先に出た前座の小駒さんをいじる。志ん生の曾孫なんですよ、曾孫弟子じゃないですよ、血がつながってるんです。
驚くお客。池袋の客だからって、前座のプロフィールまで知らないよな普通。
「今、そういう人だと知って、ならもっとちゃんと聴いとくんでしたって思ってます?」だって。
強情灸は二ツ目の噺なんですが、前座がやってみるっていうね。と、エールを送っているのだが皮肉なのだか。両方だろう。
それから、主任の小ゑん師匠について。わさびさんも柳家だが、柳家で新作一本でやっていて、しかも認められているというのはすごいと。
今日のお客さんはみんなハンダ付けできそうだ。秋葉原の改札がくぐれそうだと。これは「アキバぞめき」のクスグリ。
新作やってる人は、肩身が狭くなりがちなのに。といいつつ、「私まで気持ちが新作派になってしまいましたが、今日は茗荷宿やりますよ」。
桃月庵白酒師の得意ネタ、茗荷宿。
この噺、他にやる人知らないのだが、白酒師に教わったのでしょうかね。
これが爆笑ものだった。
三人の登場人物(飛脚と、旅館の爺さん婆さん)を、軽く軽く描くことに成功して、それが爆笑を呼ぶ。これは白酒師の持ち味とはかなり違うもの。
わさびさん本人の持ち味が登場人物を支配しているので、実に楽しい。マンガ的造型。
この噺の笑いどころはみょうが料理づくし。だがこの飛脚、みょうがが好きで、ほぼみょうがでできていて、飯がちょっと混ざっている程度のみょうがご飯まで、結構旨そうに食べるのが面白い。
つまり、噺の中で登場人物が対立する部分が一切ないのが、独特の持ち味につながっているようである。
わさびさんは、この下席から二ツ目香盤のトップとなっている。つまり、来年(秋のはず)の真打昇進はほぼ確定。
さらに売れそうな人で、楽しみである。
柳家三語楼「居酒屋」
前座、二ツ目と爆笑が続いた。
こうなると、この後の真打は寄席の方向性を決定するにあたり実に責任重大。
池袋下席や、国立定席など、メンバーが限られていて持ち時間が長い席では、この調整は非常に大事な仕事。
小せん師の代演で柳家三語楼師。
いつもやるマクラだと思うが、個人宅にたまに出張しにいくというネタ。ここだけの話、あまり私高くないですからぜひ呼んでくださいと。
個人宅に招かれ、櫓こたつの上で一席やる。6畳間で決して広くなくて、そのこたつに、呼んでくれたお爺ちゃんとお婆ちゃんがあたっている。
それに比べると池袋はやりいい。
ここで本来の出番である小せん師もそのようにするであろうが、比較的落ち着いた噺である「居酒屋」を掛けて盛り上がり具合を調整する。
実にいい仕事。家内など、ここで気持ちが休憩してしまったらしく、あとで三語楼さんの落語なんだったっけと言っていた。
だが、それこそいい仕事の成果だ。
居酒屋というのは先代金馬の売り物として落語史において有名な噺。ふんわりした、クスグリだけでできている佳品。
小僧がすぐ出せる肴を紹介するところで「みょうが」が入ってこれはウケていた。こういう、噺家さん相互の遊びが池袋は多い。
爆笑でなく、クスクスさせてくれる噺は寄席で重宝される。クスクス笑いは体力を消耗しないので、疲れないのだ。
林家彦いち「掛け声指南」
次がお目当てのひとり、林家彦いち師。例によって、座布団の一番前に座り、狭い池袋の客に軽く圧を掛ける。押忍。
格闘系の人とイベントに同行し、新幹線で帰る際の話。彦いち師を「林家さん」と呼び続ける格闘系の人とのすっとんきょうなやり取りが早くも爆笑。
「自分の狭い世界しか知らないとそうなる」とマクラをまとめて、「八っつぁんに熊さんにご隠居さん、人がいいのがムアンチャイ」と、タイ人のボクシングセコンド、ムアンチャイが登場。
あ、「掛け声指南」だ。高座で聴くのは初めてだ。
言葉の壁で、日本でのセコンド稼業が上手くいかないムアンチャイ、広い世界を知るため新宿の街に出る。
そこで果物屋でバイトしたり、知らないうちにジャブ中男と触れ合ったり、ティッシュ配りをしたりしながら人の役に立つことを学ぶという愉快な噺。
新宿末広亭の描写はなし。
ティッシュ配りからは、「相手が出てきたところに渡す」というボクシングの大事な基本を学ぶのだが、これ、仕込み損ねていた気がするのだが。
あと、故郷から来たマンゴーに対して「くさるな」という掛け声をする仕込みのほうは、回収していなかった気がする。
久々にやったのでしょうか?
ボクシングに戻り掛け声をするが、一番いいシーンで「伊勢丹!」「小田急!」と間違えてしまうムアンチャイ。
「KO!」と言いたかったことがわかると客から拍手。
代表作のひとつが聴けて嬉しいです。
彦いち師も、果物屋で「みょうが」を入れてきた。急に入れて、続きがわからなくなっちゃう。
ちなみにこの日の高座返しは女性の前座さんで、名札に「きよひこ」とある。
彦いち師の二番弟子。名前は知っていたが、女性とは知らなんだ。男前の名前だね。
上の「やまびこ」という前座はよく見る。
一番下には見習いで「ひこうき」という人がいるらしい。彦いち師の公式サイトより。
漫才のとんぼ・まさみは久々。
大阪出身の大阪弁の漫才だけど、以前聴いたときより随分、東京の寄席らしい漫才になっていて驚いた。
一見、普通の上方漫才だけど。
よく聴くとわかるが、ボケもツッコミも突出しない点が東京の寄席にマッチしているのだろう。ナイツだって、寄席の作法を学んで突出しないやり取りに変えていって売れたらしい。
寄席でギラギラしてもいいことはないのだ。
なにがどうということはないが大ウケでした。漫才はウケるときにウケておいていいのだ。後の師匠がまた調整してくれるし。
柳家はん治「妻の旅行」
柳家はん治師は「裁判所の回し者ではありません」だけでマクラを振らず、最近かなりよくやっているらしい「妻の旅行」。
最近よくやっているらしいことがわかるのは、当ブログへ検索でお越しいただく頻度によります。この芝居の当日にも、早速複数ありました。
録画も持っていてよく知っている噺なのだけど、やっぱり面白い。
桂文枝師の作ったストーリーはもちろん面白いのだけど、この噺の肝はストーリーにはない。
古典落語の達者なはん治師、この噺から見事、会話のやり取りの面白さを抽出することに成功している。
そうなればもう、知っている噺を聴いて飽きるなんてことはなくなるのだ。
冷静に考えるとなんてことのないフレーズのひとつひとつで大変ウケる、マジックのような一席。
その場に直接登場しない婆さん(妻)の存在感が非常に強いのが、落語ならではのマジック。これも古典落語の技法。
この日の主任、小ゑん師の「ぐつぐつ」のような、会話の妙だけでウケる、完成度の高い噺となっている。
林家正雀「不孝者」
そして仲入り前は林家正雀師。
大ウケあり、楽しい噺ありでここまで来たが、正雀師は人情噺で中締めしてくれるだろうという期待。
逆に言うと、正雀師が落ち着かせてくれる分、前の人は多少弾んでもいいことになる。
さすが池袋で、急速に正雀師の語りに呑み込まれ静かになる客。
遊びのやまない若旦那を、飯炊きの清蔵と入れ替わって、茶屋に迎えに行く大旦那。
そして待たされている間に、かつての妾である芸者とばったり出くわす。
家業を続けるためやむなく別れた旦那と、旦那に棄てられたとずっと思いこんでいた芸者の二人の間に通う人情。
現代人の視点から見たら、どうせ金持ちと愛人でしょなんて思う人もいるだろうが、そんな関係にも、しっかり人情は通う。
しんみりとはなり過ぎない、劇的な場面。ここで三味線が入る。
ひとつわからないのが、正雀師がマクラで振っていた「若旦那というものは博打はやらなかったそうで」というフリ。
このフリのお陰で、「せがれ、博打はならんぞ」というサゲが噺を突き抜け、勝手に頭に浮かんでしまった。
よく考えたら、この浮かんだサゲは上方落語の「親子茶屋」のものだ。
親子茶屋は、実は親父も現役の遊び好きという噺なので、この「不孝者」とは設定がいささか違うし、サゲも違う。
不孝者も親子茶屋も、知らない噺ではないのだけど、勘違いしてずっと親子茶屋のつもりで聴いていた。正雀師、上方の噺はたくさん持っているし。
サゲで勝手にずっこけたりなんかして。
そんな聴き手の勘違いはともかく、正雀師はやはりいいですね。どんな席のどんなポジションでも見事な仕事をしてくださる、寄席の神様みたいな人。
新作まつりのときだって仕事のできる人。
いい雰囲気で仲入り。
三遊亭歌奴「佐野山」
クイツキは三遊亭歌奴師。
仲入り休憩で気持ちがちょっと逸れた客を引き付けるのがクイツキの仕事だが、この人はわりとかっちりした芸だから、派手に食いつかせるという感じでもない。
だが、飛び道具がちゃんとあった。
まずはジャブとして、相撲の呼び出しの実演。当然のように拍手をもらい、「呼び出しが上手いと落語協会では会長になれます」。
それからもうひとつ。たもとに隠し持っていたマイクを取り出し、懸賞の「永谷園」の連呼を実演。
相撲を実際に見にいったことのある人ならご存じでしょう。
相撲ネタ、釈ネタの「佐野山」。
飛び道具で客を沸かせた後なので、あとは地味な展開でも客は食いつく。
この噺の谷風は、最初から八百長で負けてやるために佐野山との対戦を希望したのではなくて、土俵に上がり、判官贔屓の客を見てから負けてやりたくなる。
いろんなやり方があるものだ。
夢月亭清麿「東急駅長会議」
ヒザ前は三遊亭歌武蔵師の代演で、夢月亭清麿師。
この師匠の「東急駅長会議」という噺が以前から聴いてみたくて、この日も少々期待していたのだが、ついに巡り合えた。
といっても、内容はまったく知らなかった。
東急の駅長の集まる会議で、目黒区の中心地にあるのに急行が止まらないことに不満を述べる祐天寺駅長。
侃々諤々の上、ついに10月9日「東急の日」1日だけ、急行停車駅とそれ以外の駅とを入れ替えることに成功する。
最後は、妙蓮寺から乗った客が、墓参のため祐天寺まで急行に乗る。
たまたま新幹線に近いだけで急行停車駅になった菊名、昔はただの小汚い街で、そのくせ南武線を不当に差別していた武蔵小杉を次々通過して快哉を覚える。
ハイライトは、「多摩川」「田園調布」「自由が丘」の3駅通過。
池袋という土地柄的に東急の噺はどうなのかと思うが、ウケてましたね。
清麿師、楽しかったけど、マクラで連呼していた「外人」というワードがちょっと気になった。池袋は外人だらけだと。
昔はごく普通に使った言葉を、あえてこだわって使っているのかもしれないけど、でも現実的に現在では、決していい印象のある言葉じゃないからなあ。
言葉狩りをしようという気はない。言葉を言い換えることに過剰な正義も感じないし、高座で噺家さんが気を遣い過ぎることも望まない。
ただ、寄席において客の気持ちを、変な方向に逸らせてはいけないと思うのだ。
「外国人」といえばいいわけで。それか、「昔は外人って言いましたけど今だとよくないんですかね」とご自身の疑問を一発ぶつけておくだけでも、まだいいと思うのだが。
つまり、ささやかなこだわりよりも、客の平均に合わせる必要があるのが噺家だと思うのだ。
ジャグリングのストレート松浦先生は、私は久々。
色物界で出世して、ヒザを務めるようになったのだな。寄席のヒザは、色物さんの栄誉である。
以前は、客を引き付けておいて「あの、(芸を)やってますよ」と拍手を強要するギャグだったが、しばらく見ないうちに進化している。
レコードジャケットをメクリの横において、袖に「ミュージックお願いします」といいつつ、自分で曲を口ずさみながら芸をする。
グレン・ミラーなどインストのメロディーに載せて、芸をたっぷり。
お手玉とマジックボックスと中国独楽。
マジックボックスは難しく、著しく体力を使う。少々失敗もあった。
しかし、体力の限界で息を切らしているのもギャグ。
寄席のヒザにふさわしい芸だ。
柳家小ゑん「長い夜・改Ⅱ」
トリの小ゑん師匠、鈴本の駒治師の披露目に行ったお客のツイート「小ゑん師に披露目に並んでいて欲しい」に返信していた。
鉄道落語同士でも連結は難しいのだと。
今春に聴いた際、無料の落語会でQ&Aコーナーを作った駒次さん、師匠を喪った後の身の振り方につき、「鉄道つながりで小ゑん師匠のところに行くとなると、なにをやってるのだと業界で言われる」と答えていた。
してみると、事情が許せば駒治師も小ゑん師のところに行きたかったし、小ゑん師もそうして欲しかったのだろうか?
トリの小ゑん師匠は、初日は「鉄の男」、2日目は「恨みの碓氷峠」を出したそうだ。
鉄道づいている。
ただしヒザ前、代演の清麿師が鉄道ネタをやったので、あえての鉄道被りはないか?
「ぐつぐつ」は寒くなったので解禁らしいけど、寄席の代演にもよく入る小ゑん師匠、寄席のあらゆるポジションに便利なネタなので、トリで「ぐつぐつ」は掛けないみたい。
池袋ではよくやるマクラから。
ここはポッと出の落語ファンが立ち入るところじゃないと。初心者のうちから来るような客は変態。
シャレとはいえ同感なので、当ブログでは初心者には鈴本をお勧めしています。来ちゃいかんなんて言うつもりはないけどね。
静かな落語ブームを揶揄。ずっと静かなまま。
タイガー&ドラゴンのときは、女学生が浅草に来て「長瀬君はいつ出るんですか」。出ねーよそんなの。
「昭和元禄落語心中」もネタに。このネタは、アニメが流行ってた頃黒門亭で聴いた。
前座がデビューで時そばなんかやったら楽屋でふざけてんのかと言われると。その、時そばの手の出し方が「応挙の幽霊」だと。
続けて新作落語の作り方について。「擬人化」という手法があると小ゑん師。おでんが喋り出したりする落語。
小ゑん師、他にも例を挙げる。「ぬか床のナスが喋る噺」「くらげの親子が喋る噺」「スコティッシュフォールドが喋る噺」「豚が動物園で喋る噺」など。
小ゑん師の客たち、もちろん小ゑん師は大好きなのだろうが、新作落語全般について詳しいのかというとそうでもないらしい。意外とこれらの例え、ピンと来ていなかったようだ。
でも、小ゑん師のファン、それでいいじゃないか。
古典からとんがった新作まで、おしなべて落語の好きな私からしても、小ゑん師の新作には、古典と共通する味わいをむしろ強く感じるのである。
そして、究極の擬人化の噺へ。
まず喋り出すのが、「大空」、そして「大地」。ギリシャ神話でいうところの、ウラノスとガイアらしい。
昨年、国立の円丈師の芝居で聴いた「長い夜・改Ⅱ」。知っている噺だが、結構嬉しい。
小ゑん師の最新CDに取り上げられた噺。わが家は謝楽祭で新たに3枚CD買ったが、この最新CDは買わなんだ。いずれ買うと思います。
トリネタなんですね。そしてフルバージョン。
- 高田馬場 / スタバの女子大生
- 新橋 / 笑笑で飲む課長と新任係長
- 北千住 / デニーズで食事する昭和の親子
- 新宿三丁目 / 飲み屋で議論する売れない役者
- 青山のバー / ゴルゴを気取った客
- 渋谷センター街 / 大学生ラッパー
以上の各シーンを、大空と大地が、人間の進化の様子を確かめに巡回する。
落語という芸の無限の可能性をとことん広げる名作。
古典落語とは大きくかけ離れた構成のオムニバス落語だが、にもかかわらず、古典と共通する落語らしさが濃厚に詰まっているのが小ゑん師らしい。
それはひとえに、「人物の楽しさ」「会話の楽しさ」である。非常に柳家らしい噺家、小ゑん師。
ひとつひとつのエピソードは実に楽しいものだが、その楽しさは、フリがあってオチがついて、という小噺のそれとは違う。
あくまでも、切り取られた各エピソードにおいて、登場人物が生き生きと動いているからこそ楽しいのである。
この世界観が、まさに古典落語から出ているのだ。
そして、各エピソードにはそれぞれ隠しテーマがある。
スタバのわかりにくい飲み物への風刺であったり。議論を闘わせる役者の議論が、結局風呂桶の話になっていたり。
中でもいいのが北千住の親子。大空と大地をも驚嘆させていた。
子供の誕生日に、「豪勢にレストランで」食事をする親子。
ファミレスに過ぎない点が、ごちそうを食べにきた親子との認識のずれによって笑いを呼ぶ。だがかつて、デニーズがよそ行きのレストランだった時代だってちゃんとあったわけで。
小ゑん師匠、「大空」の手を広げる所作をしながら、横目で二度、時計を確認していらした。
時間はややオーバーしたくらいで、見事に収まっていた。
「その日、渋谷に朝は来ませんでした」とサゲた直後、ブラボーマンの客が手を叩く。小ゑん師まだ続けて、「新作のCDに入っている『長い夜』でした」と付け加えて頭を下げる」
いけませんよフライングは。「俺は知ってるぜ」という自己顕示欲がこうした事故をもたらすのです。
池袋の客は、噺家さんから高いレベルを求められてるんですからね。
非常に満足したこの日の池袋。
家族も非常に満足していた。家族もまた、落語の楽しみ方がかなり上達している。
噺家さんたちが自分の仕事をした結果なのだということも、もっとファンに認知して欲しい。
ちなみにこの日のわが家の夕食はおでんでした。
後から振り返ると、小ゑん師によって潜在意識におでんが焼き付けられたのに違いないと思う。「ぐつぐつ」聴いたわけじゃないのだけど、でもきっとそうだ。