円楽党の真打昇進について(好吉改め好一郎と、一太郎)

2週続けて日曜日に出かけた。
今週もそうしようかとも思ったのだが、仕事しよう。そして志らく登場の笑点でも観るか。
その前になにか書きます。

元日に書いたこちらの記事の続編となる。

円楽党から新真打!三遊亭好吉

その後続報がないので、好吉さんの真打、いったいどうなってるのかと思っていた。
好楽師が根回しなくスポーツ報知に特ダネとして話してしまい、円楽党内部が混乱したのではないかと想像。
もしかしてだが、好吉さんだけの昇進を理事会が決めており、そこに円楽師が、息子も昇進させろと横槍を入れたのではないかなんて。

めでたい真打披露なのに、あまりにも情報がないところを見ると、「なにか」はあったに違いない。
好吉さんご本人からも発信がなく。できなかったのだろう。
ひとつ上の兄弟子・好の助ほどではないが、なんらかのケチはついたようで気の毒。
情報がないことが唯一の情報。
コロナがまだ続いているというのは、落語協会、芸術協会の新真打の盛り上がりを見ればなんら理由にならないことがわかる。

その後ようやく、東京かわら版5月号に円楽師の息子、一太郎のインタビュー記事が出たのだ。
ここで初めて、一太郎も同時に昇進するということを知った。
このニュースもまた、かわら版以外には出ていない。それでだろう、一太郎のWikipediaも更新できないもよう。
そして、好吉さんの名前が好一郎に替わるという、大事な情報も書かれていない。
手拭いなどいろいろ作らなきゃならないから、名前は決めて準備しているのまでは間違いない。ただし対外的に発表できないなにかがあったのだろう。

(※インタビューの欄外に、「好一郎」になるという情報は小さく出てました。私もたぶん、それで初めて知ったのです。お詫びして訂正します)

好の助師の場合、「紆余曲折あったが昇進」というストーリーがなんとかできあがった。
その後、騒動を今一つ活かしきれていないとしても本人の責任。私は好の助師のファニーな高座、決して嫌いじゃないですが。
いっぽう好吉改め好一郎師の場合、紆余曲折が報道されないので、ストーリーもない。
情報を出せないために盛り上げの仕掛けもなかったのだ。最も気の毒な昇進。
それでも、披露目が満足に終わらなかった、前回のコロナ禍真打ふたりよりはまだいいだろうか。
でも、鳳笑・楽大のふたりに関しては、報道はいろいろあった。

両国寄席では6月1日から10日まで、好一郎師の真打昇進披露がある。
私も行きたい。
7月には亀戸梅屋敷寄席でも、たぶん披露目があると思う。昼席のこちらのほうが行きやすい。

ドタバタの理由は、やはり一太郎の扱いに起因するとしか考えられない。
その一端がかわら版から読み取れる。
一太郎も昇進をするのは、上がらないと後輩に迷惑が掛かるからと。これはまあ、その通り。
問題は、本人が落語を全くしていないこと。
昨年話題になった、円楽・伊集院光の親子会に出たのが7年振りだったという。
今から思えば、高座に上げとかないと真打にもできないという円楽師の策謀(親心)だったのだ。

噺家辞めようかとも思ったが、円楽師が辞めなくてもいいのではと言ったのだと。
辞めないことにはしたが、真打の披露目をやってもらうわけにはいかないので、形だけの真打昇進とすることにしたそうだ。
つまり手拭いも扇子も作らないし、祝儀も受け取らない。

こんな人、落語界に例がない。
最も近い例が、役者の道に進んだ桂小金治。
廃業はしていないが、真打には昇進していないまま。ただ、落語界には帰ってきてはいた。
林家珍平という、この芸名のままの役者もいた(初代三平の弟子)が、この人は噺家からは足を洗っている。

一太郎が、声優の本業があるから落語をしないというのは何度考えても意味がわからぬ。
本業とは、副業あってのことばである。
副業が落語でも、別にいいのだ。副業が休業状態の人の、本業とは?
落語ができないのではない。落語をやらないだけである。
やらないのなら、辞めるのが普通の発想だと思うのだが。
いつかやるかもしれないというので辞めないのだろう。でも小金治みたいに落語のほうでもアッと言わせた人ならいざ知らず、前座修業を3年やっただけの人が将来見事な落語を披露する可能性は極めて薄い。
実際インタビューでも、今後イベントとして落語をすることはあるかもと語っている。世におそろしき、イベント真打。

ただ「辞めなきゃならないか」と正面切って訊かれたら、それに答えるのは大変難しい。
落語協会でも芸術協会でも、真打の披露目をしてもらって数年すると、もう活動が一切なくなる人はかなりいる。
名前だけの真打であり、噺家である。

現に「辞めていない」だけであっても、辞めているのとほぼ変わらない人が無数にいる。
だがどんな下手な人でも、二ツ目時代において「肩書真打」の道が確定するとまでは思っていない。
一太郎の場合、「肩書真打」以前に「肩書二ツ目」であったのが極めて珍しいということ。そして、「肩書二ツ目」から「肩書真打」に昇進することを、自覚的に選んだ初のケースだということ。

真打ってなんなんだろう。
年数を経れば誰でもなれるのにも関わらず、そこには様々なものが付着している。

とにかく思ったが、円楽師の圓生襲名を阻止せねば。
肩書真打の一太郎が、名前を相続することになるんだよ。
噺家の、素人である子孫が名前を持っているのはよくあること。だが、素人だから名乗りはしない。
肩書真打が、圓生を名乗る権利を持つというのは、ちょっと末期的だ。
いや、もちろん実際に名乗りはしないだろうが、権利を持つことが恐ろしいのだ。

円楽師も、海老名の二世噺家のことはボロクソ言うくせに、自分の息子のことになると正常な判断ができないのだな。

続きです。
真打になるということ

作成者: でっち定吉

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