昨日の記事で三遊亭円楽親子をちょっと批判した。
三遊亭一太郎が真打になる。そしてそれが、混乱を呼び、披露目をするちゃんとしたほうの真打、好一郎師に迷惑を掛けた様子。
今日はその続き。
ちょっと想像力が豊かすぎる?
でも、次の材料のひとつひとつは明白な事実である。そこから導き出せる真実を私は書いただけ。
- 披露目をしない真打は普通いない
- 新真打は大々的に取り上げられるもの
- 好一郎師の真打昇進は現に取り上げられていない
しかし、一太郎に向かって「落語もしてないくせになにが真打だ。とっとと辞めちまえ」とは言えない。失礼だからではなくて、その根拠がないからだ。
だからこそ、モヤモヤしてならぬ。
東京では、意思に反して噺家を廃業せざるを得ないのは、次の双方が重なった場合だけである。
- 真打昇進前に廃業
- 新しい師匠に入門しない
この説明ではいささか漠然としているので、最もありがちなケースに絞り込むと、こういうこと。
- 真打昇進前に破門
- 新しい師匠が見つからない
破門の事実は公にされないので、自主廃業なのか破門なのか、ハタからは区別がつかないことも多い。
クビになって新しい師匠に再度の弟子入りを試みても、失敗に終われば一切世間には知らされないし。
そもそもクビになった理由が明らかに噺家不適格によるものであれば、新しい師匠も採らない。
にもかかわらず、破門の事実は意外とわかるもの。
林家扇兵衛さんなど、状況的に自主廃業ではあり得なかった。すべてが急に進んだからだ。
金原亭乃ゝ香改め古今亭佑輔さんの場合は、「新しい師匠が見つかった」ことで、廃業が自主的なものでないことが明らかとなった(その後、元師匠から後追いで破門の事実が出される)。
ちょっと古いが、芸術協会で修業をやり直した二人もそう。三遊亭日るね改め桂しん華と、柳家小かじ改め春風亭かけ橋である。
破門だと公になったわけではないのだが、不本意な廃業であることは、新しい師匠が決まったことで遡って明らかになる。
修業やり直しの3人目がつい先日出現した。林家ひこうき改め笑福亭ちづ光。
これも、破門だったことが間接的に明らかとなってしまった。ポンコツ前座として有名なやま彦をクビにしないで、どうしてひこうきさんをクビにしたのかはわからないが。
さて、東京の場合はとにかく真打が基準になる。どんなに上手くても、二ツ目は中途半端な身分に過ぎない。
真打になっていなければ、廃業後落語を続けてもアマチュア扱いされる。クビにされないように頑張る目安として大きな意義を持つ。
三遊亭羊之助(司馬龍鳳)というフリーランス噺家がプロとして認めてもらえないのは、修業を終えていないためである。
襲名したり弟子を採ったり、噺家の真似事をしたところで本物にはなれない。
逆に真打になってさえいれば、協会に所属しないフリーでもプロとして認められる。このタイプは快楽亭ブラック、古今亭駿菊、らぶ平など、割といる。
師匠と折り合いが悪い二ツ目も、真打まではなんとか我慢する。
我慢できず、訴訟提起という、落語界にはあまりなじまない策に出たのが、三遊亭天歌さんである。
ブログで公表してから1か月半、音沙汰はない。
噺家の修業に関する素人のこんな意見だって、最初から私の理解の外にあるわけではない。
- 近頃の若者は我慢もできない
- 落語のような古典芸能の世界は、師匠が絶対
- 圓歌師はとても優しい師匠だ
だが、二ツ目のキャリアを10年やっている人に対し、師匠のほうも圧力をかけ過ぎたのは間違いないはず。
それは真に弟子の将来を考えているのではなく、権力を背景にした憂さ晴らしなのであろうと思わせる。
わかりやすくいえば、パワハラ。
こんな例と比較したとき、一太郎にとっての真打、あまりにも軽すぎて腰が抜ける。
前例が皆無なのも当然。
落語への気持ちが真剣でないなら、とうに辞めているのが自然だからだ。
真打になってから実質廃業しているような人たちだって、二ツ目までは一生懸命あがいていたのだ。それだけ真打という看板は魔力なのである。
真打の看板に傷をつけない意味では、やっぱり一太郎には辞めて欲しかったですね。
噺家が血統で後を継ぐのを快く思わない人は多い。襲名が絡むと特に。
だがいっぽう、血への期待というものだってちゃんと存在している。
枝雀の息子、桂りょうばさんは、周囲からは後を継ぐのだろうと思われていた人。だが、ざこば師に入門したのは実に43歳のときだった。
そこからは、血への期待を一身に背負って活動している。昨日ラジオで聴いた「金明竹」はかなりよかった、
一太郎にだって、一門やファンから、血への期待はあったはずなのだ。
だが、二ツ目をまったく活動しないで終えてしまった人に今さら期待するもの好きがいるだろうか?
父・円楽が亡くなった後は、円楽党の誰も一太郎に期待なんかしないと思う。そこから落語界に帰ってこようとしても、後ろ盾もないだろう。
兄弟弟子にも好かれていないだろうし。
保険としても機能しない肩書真打に、意味はない。
微妙に違う話で締める。
円楽党の顔付けを見ていると、新しい前座がいる。愛二郎という人。
前座が足りない円楽党だから、これはいいこと。
なのだが、この愛二郎さん、愛楽師の実の息子なのだという(Wikipediaによる)。
息子が入門するのはすっかり普通のこと。
だが、この一門(恐らく兄弟子である、当代円楽師の一門のはず)では、愛九という愛楽師の弟子が、辞めたばかり。
落語がヘタクソだったくせにツイッターでイキり気味の元愛九にはまるで好意は持たないものの、辞めた背景には息子のことが背景にありそうだなと。
当人が辞めた経緯をつぶやくような予告をしていたくせにしないので、わからないけども。
(2024/8/24追記)
ちづ光さんの亭号が「桂」になってました。
これは、AIが私のブログから引き出したネタみたいなものですが、本人が間違えてどうする。
今頃気付いて修正します。
久しぶりにコメントいたします。
一太郎さんの前例のない真打ち昇進は地方に住んでいる私にも違和感と言いますかモヤモヤがありました。こんなことを言うのは生意気なのですが落語や真打ちというモノをなんだと思っているのだろうと思いました。
また、このブログでちづ光さんが元林家ひこうきさんだったと初めて知りました。そちらにも驚いてしまいました…
いらっしゃいませ。
違和感は大事ですよね。
違和感がないと、考えることもしませんから。考えた結果、「けしからん」とは言えないものの、モヤモヤしております。
私だって、「真打なんか辞めなきゃ誰でもなれる」「真打になったからって腕と関係はない」「寄席に出られない真打もたくさんいる」なんていつも書いてるんですよ。
でも、やっぱり真打の看板に期待するものが多いので、披露目にだって出かけるわけで。
そうですよね…
なんだかただただモヤモヤが残りますね…
気の利いたコメントでなくてすみません