亀戸梅屋敷寄席25 その4(三遊亭好楽「伽羅の下駄」下)

今日の記事は、「伽羅の下駄」の検索トップになることを前提に書きます。
つまり資料としても見てもらいたい。

好楽師の、どこに着地するのかわからないマクラが続く。
吉原を潰したのは社会党の神近市子というおばさん。国会で「あんなものは要りません」。
そりゃ、テメエはババアだから要らねえんだ(このマクラ、今後そうそう聴けないだろうな)。
昭和33年3月31日、親の命日は忘れても、この日は忘れない。赤線廃止の日である。
といっても75歳の好楽師、この頃はまだ子供だから、実際の吉原なんて知らないわけだが。

吉原のマクラを振るので廓噺かと思う。好楽師からは聴いたことあったっけ? 少なくとも私はない。
と思ったら、吉原は「ひやかし」の前フリだった。
「つまんない噺ですよ」という断りがあって本編に。

豆腐屋が、吉原の花魁道中やひやかしにハマってしまい、朝起きられない。なので町内の人は隣町まで豆腐を買いにいく。
大家が豆腐屋をたしなめて、ひやかしはやめなさい。明日から朝ちゃんと起きて戸を一枚開けておきなよと。
戸を開けて仕込みをしていれば、客が来るだろう。そのときに、昨日の残りの豆腐や油揚げを朝のお付け用に買ってもらいなさい。

なんの噺なのか、まったく知らない。わからない。
ここ5年ぐらい、古典落語の珍品に出くわして、まったく知らないことはない。
知らなかったのは上方落語で、べ瓶師の「地蔵の散髪」、松喬師の「借家怪談」ぐらいか。
もっとも借家怪談だって、東京で言う「お化け長屋」であることはすぐわかっている。
聴いたことがなくても、存在は知っていることもある。
道灌の導入で使う「四天王」とか、平林の導入で使う「明礬丁稚」とか。

とにかくひとつ言えるのは、マクラから本編のすべてにわたり、好楽師の語りに私がずっと引き込まれているということだ。
好楽師はいざとなったら見事な啖呵も切るし、迫力だってある。だが、そうしたものを一切排除した、ゆるゆるした語りがずっと続く。
別に、啖呵の代わりに人情が溢れてくるとか、そんなこともない噺。だけど目が離せない。

大家にしたがい朝開けて仕込みをする豆腐屋だが、早速お客がやってくる。頭巾をかぶった高貴なさむらい。
吉原帰りで飲みすぎらしく、水を所望する。
豆腐屋は井戸水を快くわけてやる。
豆腐屋の「酔い覚めの水は金千両と申しますからな」にうなずくお武家。
お武家は、今は持ち合わせがないが、その汚い草履を脱ぎなさい。この下駄を履くといいと言って、履いていた下駄を置いていく。この礼はいずれ。

水に濡れた下駄を火のそばで乾かしていると、どこからかいい匂いがしてくる。お武家の置いていった下駄である。
すぐに大家に持っていくと、これは伽羅でできた下駄だ。片方で100両はくだらない。
持って帰るとかみさんが起きている。
留守中にお客が来たので、昨日の油揚げを買ってもらったのだと。でかしたと豆腐屋。ところでなと今朝の話をする。
本当にくだらない地口のサゲがついている。豆腐屋がキャラキャラ、かみさんがゲタゲタ。

くだらないだけじゃなくて、え、これで終わりなのという。
つまんない噺ですよという断り通り。笑いもなく人情もなく、ストーリーすらない、ないない尽くし。
でも、一席終わってどっと噴き出すこの満足感は、いったいなんなのでしょう。
これが落語なのです。若い人にはそうそう語れないと思う。たぶん、サゲで照れるな。

検索して調べると、品のいいお武家は、仙台公らしい。伊達のお殿さまだ。
高尾という(紺屋高尾ではなくて)今ではマイナーな噺に出てくる殿さま。
好楽師は、お武家の正体を出さなかった。
柳家蝠丸師が、「徂徠豆腐」の先生を荻生徂徠だと明らかにしなかったやり方を思い出した。

あえて言えば、早起きは三文の徳的な教訓噺なんだろう。だが、好楽師の語りにそのムードはかけらもなかった。
噺の原型に残っていたであろう教訓は排除してしまう。落語だから。
なんだか知らないが幸せになってしまう、火焔太鼓や御慶みたいな噺の仲間だろうか。

先日の「替り目」だっていいけれど、伽羅の下駄で日本の話芸に出たら価値があるんじゃないか。演芸図鑑でもいい(兼ホスト)。

楽しい亀戸でした。
今度は好一郎師の披露目で両国に行きたいものです。

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作成者: でっち定吉

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