落語では詐欺も商売

最近は月イチぐらいは更新を休むのだが、今月は偉いですな。皆勤だ。
当ブログは一応朝7時更新で、本来前日のうちに仕上げておきたいのだけども、今日のようにできてないときも多々あります。
日曜日だからテレビ・ラジオから拾おうかと思ったのだが、ネットサーフィンしてたら落語が転がり込んできた。

【許せない!】“助けてくれた男性”に、お礼として病院代を渡した私。次の日友人から聞いた事実にショック

Web上には、「ちゃんとお礼を言えなかったあの人に今でも感謝している」という、いい話も多数載っている。
そんなパターンかと思ったら、詐欺の話だった。

  1. 街中で因縁をつけられる
  2. 助けてくれる男性がいて、その人が代わりに殴られる
  3. 代わりに殴られた人にお礼を渡す
  4. 実は因縁をつけてきたほうと、殴られたほうはグル(商売)

このコラムはあくまでも、世の中にはひどい人がいるという話で、落とし噺ではない。
それでも最後はこの二人、警察に御用になったとオチがついている。
このオチはフィクションだろう。それ以前に、このコラム自体がフィクションじゃないかという疑いもあるが・・・まあ、いいでしょう。虚々実々。

コラムから勝手に落語を思い起こした。「世の中にはいろいろなご商売がございまして」。
詐欺もご商売。
コラムに出てきた二人が落語を知っているかどうかは知らないが、騙しの世界には昔からこんなパターンが無数にあるのだ。
ちなみに「落語からネタを引いてフィクションのコラムを書いた」可能性は小さいと思う。人間そんなことをすると、哀しいサガにより、どこかにクスグリ的なものを入れたくなるからである。

詐欺にもいろいろなやり方があるわけだが、だいたいは「ああ騙された」と、被害者が激しく落ち込むところで終わる。
最近は孤独な年寄りが、親切にしてくれた若者に「騙されても構わない」と振り込んでしまう事例も多々報告されているが、この場合防げなかった周りが落ち込むので、結局同じ。
ところが、被害者が被害を知らないままの詐欺もあるということだ。
このコラムでは、詐欺被害者はたまたまグルの二人の商売を見たことで、初めて被害を知る。たまたま見なければ、それこそ「今でもあの人に感謝」という美談なのである。
こうした詐欺の加害者に、良心の呵責はないだろうな。「人に幸せを分けてやっている」という感覚すらあったかもしれない。

これはまさに「身投げ屋」。リンク先の記事は「ドカンボコン」検索ではトップなのだが、実際に検索してきた人はひとりもいないようだ。
あんまり検索する言葉じゃないが。

柳家金語楼作「身投げ屋」は、両国橋で偽の身投げをやろうとし、発見されていくらか恵んでもらうという商売の噺。
かなりマイナーだが、古典落語の肝を抽出したような、見事な噺。最後のひねりも効いている。
身投げという人生の悲劇を、商売にしてしまう発想がまさに落語。文七元結も落語なら、真逆の身投げ屋も落語。
身投げ屋にめぐんでやった人も、いいことをしてやったと満足だろう。この点、先のコラムと共通項がある。

詐欺事件の、「グルのひとりが片っ方をぶん殴る」シチュエーションも、これまた落語っぽい。
ぶん殴るのはなぜか。第三者に対し、これは本気なのだと体を張って伝えるためだ。
上方落語に多いシチュエーションだ。「わしがお前を二三発パンパーンとどつくさかい」とあらかじめ打ち合わせている。
「胴乱の幸助」では、タダ酒にありつくために打ち合わせをして八百長のどつきあいを始めるが、打ち合わせと違うことをされるのでそのうち本気の喧嘩になってしまう。

この噺は実によくできている。「タダ酒にありつくため喧嘩を始める」まではいいとして、真実味を増すため二三発どつかないとならないとなると、どちらも殴られたくはないわけだ。
だいたい、筋書きを考えた側が殴る側に回る。コラムの詐欺事件も、体のでかいほうが考えたんじゃないかと思う。
殴られる側は損だが、でもたぶん、取り分は半々だと思う。

そして胴乱の幸助は、主人公である割木屋のおやっさんの善意につけこんでいる。
仕事ひと筋、まるで無趣味のおやっさんの唯一の道楽が喧嘩の仲裁。仲裁のためならなんでもする人である。
この道楽のスイッチを押してやるのが詐欺なのである。
騙されたおやっさんもいい気分なところがミソ。

ちなみに以前、こんな記事も書いた。

騙しの落語

上中下3回に分けたら長すぎたみたいで、最後尻すぼみのアクセスでした。
御用とお急ぎのない方はぜひご覧になってください。

作成者: でっち定吉

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