先月、昇太一門の三人の会に行ったが、その存在を知ったのは神田連雀亭でもらったチラシ。
順序は逆なのだが、その連雀亭のほうを。
ブログへのアップを遅らせたのは、外れの噺家がいたから。
1日のアクセスが100を超えるそこそこの人気ブログになった今、私も噺家さんに、随分と気を遣っているのです。
たまには話の行きがかり上、実名で批判することもあるけれど、批判するのももっともだという状態を作ってからしたい。
開演前、秋葉原のマクドナルドで私はちょっと仕事をしていた。
やたらと声のでかい婆さんが、爺さんと話していた。爺さんとは、清掃の仕事の同僚らしい。
フロア中に響き渡る声で喋っている婆さんに往生したのだが、でもこうした状況を楽しめるなら、新作落語のネタが作れそうだと思った。
なにしろ婆さん、グッピーラムネの青いTシャツを着ているのだ。三遊亭白鳥師のような世界観を勝手に感じる。
個人の情報が他人に伝わることを一切気にしないので、あんなでかい声が立てられるのだなあ。
さて連雀亭ワンコイン寄席へ。20人以上入っていて盛況。
外れだったのはトリの、もともとちょっと相性合わないと感じている人。前回よそで聴いた新作落語が初めてマッチしたので今回は期待して来たのだけど。これで1勝3敗。
また、私の大好きな「宮戸川」でなあ。あまりデキに自信がないそうで、500円の寄席ならいいだろうと断って掛けたのだが、そんな程度のデキ。
安い席でも、人の気持ちをマイナスに突き落とす落語に価値はない。
といっても、ただつまらないだけの落語にそれほど害はない。この人のように、たくさん工夫をして外すと最悪。
まるっきりセンスのない人ではなくて、マクラでも語っていたとおりの企画豊富なアイディアマンで落語界に大きな貢献をしそうな人だけに、より落胆が大きい。しばらく避けることにする。
トップバッター昇羊さんの後、春風亭一花さんの「花色木綿」はよかった。前説でも楽しませてくれたし。
一花さんより美人の噺家はいても、一花さんほど可愛い噺家さんは他にいないだろう。
客席に爽やかムードを吹き込んでくれるし、なにより発声もいい。女流の先輩、柳亭こみち師匠みたいな落ち着いた喋りで、女性であることはプラスにこそなれ、ハンデにはまったくならない。
花色木綿って、後半部分だけ聴いたのは初めてだ。締め込みかと思った。
独自の工夫らしいクスグリも入っていた。
春風亭昇羊さんは大ファンだが、しばらく聴いていなかった。しばらくといっても、たかだか3か月だけど。
その昇羊さんについて今回は語り尽くします。
マクラは伯父筋の昔昔亭桃太郎師の話。前夜に桃太郎師から留守電があったらしい。
モノマネ付き。何気に芸協の師匠方のモノマネが達者な昇羊さん。
最近の桃太郎師、高座の最後に歌って前座さんや色物さんにツイストさせる高座を務めている。
トリじゃなくてもやっちゃうので、後の師匠方を困惑させているのだとか。
桃太郎師がたまに電話してくるのは、昇羊さんの奥さんが栄養士なので、健康のアドバイスを聞きたいのだそうだ。
たくさんいる師匠方の特性も、すぐにはわからない。まして、初めて会う人だともっとわからないと上手にマクラをまとめて本編へ。
昇羊さんの、人間関係の難しさをネタにしたマクラはいつも面白い。
別に昨夜のできごとであった必要はない。「今、国立でトリを取っている桃太郎師」と紹介していたのは昇羊さんの勘違いなので、実際には以前の話らしいことをうかがわせる。
だが昇羊さん、本当に前夜あったことでマクラを作っていて、しかも本編とちゃんと関連まで付けていてまったく不思議ない人なのだ。
楽屋でその日にあったことを取り込んですらすら喋る姿を目の当たりにしているので、そのくらいでは驚かない。
釣りに行く八っつぁんと、一緒に行きたいが用事のある隠居が登場。
古典の設定だが新作落語だと理解。昇羊さんいわくの「創作古典」らしい。
聴きながら頭の隅で、この噺、入船亭扇遊師に語ってもらったらぴったりだなんてチラっと思った。
別に昇羊さんが扇遊師に似ているということではない。昇羊さんの作ったであろう噺が、扇遊師が語るような端正な古典落語の世界に馴染んでいてすばらしいということ。
釣りのマクラなんてメジャーなものがあるけど、なにしろ本編のほうが少ないのであまり出ない。「私急ぐんですから」なんて振ってから、この噺にもつなげられそうだ。
八っつぁん、釣りの場所を隠居に伝えると、そこには行っちゃいけないと。そこにはたまに、すごく「嫌なやつ」が出るのだ。あんな嫌なやつはいない。
それでも気にせず出向く八っつぁん。最初の獲物に針を取られてしまい困っていると、親切に一本貸してくれる釣り人がやってきた。
だがこの人、やたらと釣りが上手く、ボウズの八っつぁんを尻目に隣でハゼからなにから釣りまくる。
それはまあいいのだが、いちいち釣り上げるたびに、表面では謙遜しつつ露骨な喜びかたをして、八っつぁんを不快にさせる。
ハタと気づく八っつぁん、ああ、こいつが隠居の言ってた嫌なやつだ。
古典落語においてはしばしば、なんとも言えない人間どうしの「いい心持ち」が描かれ、直接間接に客を感動させる。
必ずしも人情噺だけのことではなく、前座噺をはじめとする滑稽噺にもこういういい雰囲気は濃厚に漂う。
してみると、反対になんとも言えない嫌な心持ちだって描けるわけだ。露骨に嫌な感情ではなく、微妙に嫌な気持ちを描いてみようと思った昇羊さんはすごい。
これ、落語界における大発明じゃないのか。「まんじゅうこわい」や「酢豆腐」だって、嫌なやつに対してこんなに絶妙なレベルの不快感は漂わない。
さすが人間観察の達人。
微妙に嫌な男の、なんともいえなさが客に共感を呼ぶ。
昇羊さんの大発明だけど、処理が難しい。
こちらに害を向けるレベルのやつだったら、やっつけるなりしてスカッとすればいい。そんな構造の古典落語はたくさんある。
だが、ただひたすら嫌なやつだというだけではどうしようもない。でも、その嫌らしさは楽しめる。
八っつぁん、こやつは狐ではないかと疑問を持つ。しかも、八っつぁんの針を取っていった狐。男とやりとりするうち、それが確信に変わる。
男に好物のお稲荷さんを与え、その隙に逃げ出すが男はついてくる。
サゲは予想したとおりだった。「丁稚のサゲ分類」では「伏線回収サゲ」に分類される(それがどうした)。
「きつねのはなし」という同名の小説とは関係ないようだが、読書家の昇羊さんの中ではなにかしらつながっているのだろうか。
いやあ、こちらまで狐に化かされたような不思議な心持ちになった。また聴きたい噺。
八っつぁんが豆腐屋であってお稲荷さんを持参している点など、細部の作り込みもよくできた一席。
早い出番で軽くやるための噺だろうか。普通の寄席の二ツ目枠によさそうだが、あるいはポカンとされるかもしれない。
この日は外れの人がトリで、いささかブルーな気持ちで連雀亭を後にしたが、楽しい昇羊さんを思い出すうちだんだん幸せになってきた。
嫌なやつの落語で、人を幸せにしてくれる昇羊さんは天才だと思う。