ドラマ「昭和元禄落語心中」第4話

一週間いかがお過ごしでしたでしょうか。
ドラマ版昭和元禄落語心中についていろいろ書いていきます。

第4話は、菊比古の明烏からスタート。
楽屋で菊比古について、八雲師匠と話しているせんだみつおは、色物の先生らしい。たぶん、恰好からするとマジックだろう。

素行の悪い助六を真打にしないのは、まあ理解はできるが、その前に「木村家彦兵衛」に関し、協会の会長は頭を痛めていたらしい。
喬太郎師匠の役どころである。

素行が悪いと真打になれないのかというと、今では別にそんなことはありません。
たまに抜擢はあるけど、落語が下手でも年功序列でみな真打にはなれる。
まあ、そんな真打制度だからスタートラインでしかない。
昔は違って、一生真打になれない噺家がたくさんいたのだ。そんな時代の物語。

菊比古は、「廓噺の菊比古」と呼ばれているらしい。
戦争が終わって、はなし塚に埋められた噺もすべて解禁になったからこそである。

街灯テレビで、助六の落語を聴く菊比古。
居酒屋ではおばちゃんが呼び込みをして、なんでも木村家彦兵衛の高座が始まるそうだ。そこに混ざる菊比古。
酒に酔って高座に上がり客と喧嘩して、協会を除名になったらしい。
酒がないと、地獄の戦場を思い出すという彦兵衛。なんと、戦争によるPTSD。
実際の噺家は、戦争に行かなくて済んだ人が多かった。戦争で傷痍軍人になって帰ってきてから噺家になったのは、春風亭柳昇。
戦争はともかく、酒絡みのエピソードは、川柳川柳師の伝説から来てるんじゃなかろうか。
彦兵衛師匠は死神。
ちなみに彦兵衛という名前、喬太郎師の同期の彦いち師から来てる気がする。
徹夜で菊比古に死神を教える彦兵衛。細かい所作や発生まで付けてもらっている。
「死神が若い」は名言である。
そのあとちゃんと菊比古は、自分の師匠に稽古をつけてもらっている。菊比古はあらゆる角度の筋を通しているのだ。
後で出てくる、助六が勝手に居残り佐平次をやるエピソードとの対比である。

みよ吉とケリを付けようというシーン、重厚でいいですね。
小道具としてステッキまで持ちだして。

納涼落語会でトリを取れと、協会会長に言われる菊比古。
寄席のトリは、金より酒より女よりずっといいのだと。どうやらそうらしいですね、笑福亭鶴光師もそう言ってたっけ。
菊比古が夢想する、自分がトリで死神を掛ける寄席は、雨竹亭ではなく、なぜか現実の浅草演芸ホールだ。
史実では、二ツ目でトリを取ったのは、圓歌、三平だけ。
納涼落語会は、前回の鹿芝居と同じく余一会としておこなわれるようなので、寄席の10日間のトリとはちょっと違うんですがね。

昨日書き洩らしたが、師匠の言いつけで別れを切り出す前、みよ吉の部屋で過ごしている菊比古は、寝そべって何か稽古している。
ワンフレーズだけだが、よく聴いたら鰍沢。
前回も稽古してたが、師匠に廓噺以外もやれと言われているからなんでしょう。
死神と同様、後年の八雲の得意ネタは、自分の殻を破ろうとする中から生まれてきたのだ。

雨竹亭には、前回も見た「万花亭亀杵」というセンスのない名と、新たに「松屋鯛好」という名前が出ている。
鯛好は、三遊亭好楽師匠のところに実在しますけども。
菊比古が、稽古に懸命で寄席に顔付けされていないので逢えないみよ吉。
そのみよ吉とふたりでいて、船徳をワンフレーズさらう助六。「四万六千日、お暑い盛りでございます」

菊比古と助六の、感情が昂っているがうえにマジになる芸談には聞き入ってしまう。
客に合わせるのか、合わせないのかという。
まあ、助六も言う通りそんなところに対立などありません。客をシャットアウトするのも、おもねるのもどちらもダメだ。
どちらの主張も一理ありそうだけど、落語が生き残って盛況を迎えている現代から振り返ると、保守派の菊比古のほうにやや理がある。
伝統だから無条件に従うべきなのではなくて、伝統にはそれなりの意味があるということ。

納涼落語会の当日、昼間の雨竹亭には、また「万花亭亀杵」と「春亭扇福」の名が。
納涼落語会で、マクラを振らず死神を始める菊比古。
サゲは、見立て落ち。所作で落とす。死神にはいろんなサゲ方があります。

真打昇進の披露目、口上の司会は、当代柳家小さん。
結局菊比古、助六同時昇進だ。
真打昇進披露は楽しいものです。
私は今日、国立演芸場の古今亭駒治師匠の披露目に行ってきます。

助六は、会長の十八番の居残り佐平治を当て付けで掛ける。
アニメ版のときに、助六は一体誰にこの噺の稽古をつけてもらったのだろうという疑問を書いた。
さすがドラマ版は、そのあたりしっかりしている。
助六は、会長に教わっていない噺を勝手に掛けている。そしてそれは掟破りだということをはっきりさせているのだ。
そんなもん、誰がやったって自由じゃねえかと思った人は、落語を聴くのには不向きである。
素人落語だったら、You Tubeで覚えたってなにしたって自由だけど、プロの世界はそういうものではない。
それに、古典落語の演目は大変多いのである。特定の噺ができないぐらいのことで不自由などない。

師匠に直接悪態をぶつける助六。
てめえに八雲はやらねえと断言する師匠。
冷静に考えたら、生きてる師匠が自分の名前をどうこうしようなんて、理事会に諮ったりすることはないと思う。協会が名前を持つわけじゃないし。
せいぜい、遺言に残す程度だ。
最近でも、四代目桂春團治は、三代目の遺言で決まったそうだ。
助六のほうも、師匠が生きてるうちから師匠の名を欲しがりすぎ。たとえ素行がよくったってすんなりもらえると思うほうがおかしい。

では、昭和元禄落語心中はまた来週
明日はたぶん、NHK新人落語大賞のネタ。

作成者: でっち定吉

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