寄席芸人伝10「噺家戦記 柳亭円治」

古谷三敏「寄席芸人伝」のご紹介、その10。
明日は終戦記念日ということもあり、いくつかある戦争の悲劇を描いたエピソードを取り上げる。

第4巻から<第42話 噺家戦記 柳亭円治>。
昭和16年10月30日、時局に合わない噺が<はなし塚>に葬られた。廓噺や間男噺はできなくなったのである。
それどころか「子別れ」や「六尺棒」、「疝気の虫」、はては「権助提灯」まで葬られてしまう。
そんな世の中、噺家円枝の楽しみは、来年に控えた弟子の円治の真打昇進だけ。
高座で「芝浜」を掛ける円治。「100年に一度の逸材だ」とつぶやく客。
そのさなか、円治に赤紙が届く。
円治の出征を見送る師匠円枝。「なんだって円治を取り上げるんだ。二度と出ねえ噺家なんだ」。
地獄の戦場、ニューギニアに送られる円治。「死なねえぞ。生きて帰って真を打つんだ」。
夜は仲間を集めて「明烏」など一席披露する。内地の遊郭を懐かしむ仲間たち。
米軍がニューギニアに上陸する。迎え撃つ日本軍も総攻撃の準備にかかる。
そんな中、中尉の提案で円治の真打披露をおこなうこととなる。銭湯画家だった仲間が、拾ったパラシュートで後ろ幕を作ってくれる。
中尉の向上で真打披露。
「本日、当南洋亭で誕生しました真打ち柳亭円治に末永いお引き立てを、すみからすみまでずずずいと、おん願いたてまつります」
9人の客の前で披露した「五人廻し」は名人芸であった。
翌日、「あの世にも女郎屋はあるだろうなあ」と語りながら総突撃を仕掛ける。扇子とてぬぐいを握って息絶える円治。
そんなことは知らず、終戦後も円治の行方を探し求める師匠円枝。
昭和21年9月30日、はなし塚の封印が解かれる。

戦争のテーマは「寄席芸人伝」で何度か取り上げられるのだが、このエピソードがいちばんの悲劇である。
もちろん噺家だけではないが、時代に消えていった先人が多数いたわけだ。
ちなみに先代小さんは敗戦後、仏領インドシナで毎日慰問に従事していたそうだ。おかげで帰還後ブランクがなくて済んだそうである。
「与太郎戦記」でおなじみの春風亭柳昇は、戦前は噺家ではなく、横河電機に勤めていた。戦争で手の指をやられたため途方に暮れていたが、戦友が6代目春風亭柳橋の息子だったため、そのつてで入門させてもらったとのこと。指が不自由のため、仕草のいらない新作落語に活路を見出したのだ。
志ん生、圓生は満州に慰問に行って、なかなか帰ってこれなかった。志ん生は悲観して、ウォッカをがぶ飲みして死のうとしたが死ねなかったとか。

作成者: でっち定吉

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