亀戸梅屋敷寄席26 その2(三遊亭好楽「三年目」)

本来仲入りの好楽師、医者に行く個人的な都合でもって披露目の口上をトップにして、次に前座を押しのけて上がる。
なんじゃこりゃ、困ったもんだと思いつつ、妙に楽しい。
披露目という非日常的なイベントに、さらに非日常をプラスする愉快な師匠。

それはともかく、真っ先にあがるのなら、「一目上がり」みたいなめでたい、軽い噺でも出しとけばいいんじゃないの?
好楽師は最近、両国でも亀戸でも、そしてしのばず寄席でもトリしかない。たまの軽い出番ならなおさら。
なのに三年目。

好楽師の三年目はここ亀戸で一度聴いた(もちろんトリ)。日本の話芸でも出ていたし。
私のその、3年前の記事が検索で3番目に出る。
出番が違っても、内容は変わらないのであった。
好楽師の場合、怪談の要素はごく薄い。人の気持ちのいじらしさを描いた人情噺である。
師がおかみさんを亡くされたことは、この噺を出すうえで無関係ではないだろう。おかみさんが目を掛けた弟子の昇進だというメッセージでもあるかもしれない。

好楽師の三年目がいいのは、背景に諦念があること。そして、諦念と、裏腹な情念のバランス。
もう助からないと悟るおかみさん。死ぬのは受け入れている。
だが必ず入ってくる後添えを、優しい亭主が自分と同様にかわいがるであろう、それが切なくて仕方ない。
おじさんおばさんが寄ってたかって後添えを世話する、そのことは仕方ない。商売もあるしそれが自然。
だが自分の気持ちとしてはひどくやるせない。
そして死にゆく女房のために、次のかみさんが来たら化けて出ておいでと優しく寄り添う亭主。

亭主は、新しいおかみさんに含むところはまるでない。本人も性根が優しいので、出てこない女房が許してくれたのだと理解して、新妻を大事にし、そして男の子も生まれる。
描写されない新妻も優しく、先妻の供養もきちんとしてくれている。
だが、三回忌を無事過ごしたその夜に化けて出る前妻。

開口一番でズシリと来る人情噺でありました。好楽師の人としての優しさに溢れている。
正直、軽い噺でいいのにという気持ちもあった。
だが、聴いて一晩置いてみると、この噺の価値がしみじみ噴き出してくるではないですか。
もっとも、人情噺としてはあくまでも軽いのだけど。

次に前座が上がるのかと思ったら、めくりは「とむ」。
今日は前座は上がらないのかしらと思う。まあ、人が多いからそうなっても仕方ないのだが。
ともかく、とむさんは1年振り。昨年聴いた「落語免許センター」は楽しかった。

ところで眠い私。前回も亀戸では寝てしまったが、特にこの日はお腹いっぱいで。
梅屋敷に来る前、まだ新しいショッピングモールであるカメイドクロックを家内と探訪し、腹いっぱい寿司を食ってきたからである。
旨かったのでつい追加してしまったのだが、落語の前に満腹はいけない。
しかしとむさんは聴きたいのでなんとか正気を保とうと。

師匠の後に上がるなんてないですよ。変な気持ちです。
好一郎師匠は、私にとっては好吉アニさんですね。私が入ったときの立前座です。
神戸大出てますから、本当に頭いいんですよ。
あるときとむさんたち、大喜利企画で、座布団は用意できないので代わりにイチョウのワッペンを作ることにした。いい答が出たら、コロナ禍だし自分で貼っていこうと。
みんなでイチョウを切り抜き、せっせと緑色に塗っていた。
遅れてやってきた好吉アニさんがこれを見て、「最初から緑色の紙を切ればよかったんじゃないか」。
これですよこれ、頭いいでしょ。

猫カフェの猫を「おじさん」に替えた一席。
実にくだらない。
普通の喫茶店だと思っておじさんカフェに入ってしまう男。お客さん、このお店の名前気づかなかったですかと店員。店名は「アンクル」。
おじさんカフェ、何じゃそりゃと思っていたが、意外と面白そうだと気が変わる。
おじさんに癒してもらうカフェでは、おじさんたちの呼び方というものもある。
おじさんはプライドも高いので、呼び方には気を付けましょう。

展開がエスカレートしていき、最後好楽師匠の落語と一緒ですよと、「三年目」の本歌取りでサゲる。
こういうサゲなのか、急に思いついたのか。
相変わらず楽しい人である。

仲入りは三遊亭良楽師。
口上のボクシングネタは、好一郎の空き巣に入るなら今がチャンスですって言ってたのを思い出した。
昨日新幹線で富山から出てきて、両国に出してもらって、今日ですと。
ここでついに寝てしまう。
2年前に聴いた際、朝乃山の漫談がどうも妙だったので意図的に寝た。正直今日も、寝るならここで寝てやれという気持ちもあり。
だが、夢うつつで耳にした「猫の災難」、実によかったのです。
前回の漫談のさらに前に、両国で聴いた相撲噺はよかったから、不思議なことではない。
よかったのを理解しつつ、やはり眠い。とびとびに聴いていた。
猫の災難は徐々に酔っぱらっていきつつ、酒のみの卑しい性根(ただし可愛げがある)を出していくとても難しい噺であり、上手さは夢うつつでもよく響く。
目を覚まして聴きたかった。もったいないことをしました。
食べすぎちゃいけない、そういう結論です。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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