寄席の続きものが終わるとネタがなくなる、でっち定吉らくご日常&非日常です。
録画している番組から拾いますか。
BSよしもとという新たなチャンネルができ、昔の花王名人劇場から、落語もたまに流してくれている。
「リクエスト劇場」という企画があった。
柳家小三治、月の家圓鏡、笑福亭仁鶴の3名が、客席からリクエストを受け付けるというもの。
初回放送年月日がどこにも出ていない。いつだろう。
圓鏡が橘家圓蔵を襲名したのは1982年なので、それよりは前というヒントしかない。
あとはその圓鏡、角刈りだ。角刈りの圓鏡は結構昔のはず。
調べてみたら花王名人劇場、1979年から1990年なので、だいたいの時期が判明。
第一次落語協会分裂騒動が収まったあとということになる。
冒頭、分裂騒動の黒幕、立川談志が出てきて挨拶する。
昔の名人が登場すると、演目リクエストがあったもんだと。黒門町に向かって「待ってました、明烏」。
そういうのはなくなったが、あえてやってみようという企画だと説明。
圓鏡が出てきたら「待ってました芝浜」と声を掛けてくれとテキトーなことを言っている。
小三治には「反対俥」を、仁鶴には「文七元結」をやってもらえと。
テキトーに喋っているようで、反対俥は圓鏡の、文七元結は小三治の得意ネタだという点を踏まえているらしい。
トップバッターは小三治。
次々リクエストを発する客たち。
「湯屋番」「小言念仏」「宿屋の富」「時そば」「小言念仏」「芝浜」「禁酒番屋」などなど。
しかし小言念仏なんて、リクエストしてまで聴きたいか?
芝浜は持ち時間的にふざけるなである。
マクラで小三治、池袋演芸場のヒザ前に出た際に「大工調べ」と声を掛けられた話を振る。「芝浜」への嫌味でもあろう。
空いている池袋で大工調べと発したのは、オチケン学生らしい。
もちろんヒザ前でたっぷり大工調べなどあり得ない。ちょっと寄席のしきたりを教えてやろうと洒落でもって、「今誰だ、たっぷりと言ったヤツ」とすごんでみる小三治。
そうしたら、意に反し場内静まり返ってしまったという。
引っ込みがつかないのでさらに「誰だ、手を挙げろ」と追い打ちを掛けたら、ますます静まり返る客席。
しくじりネタ。
しかし、この頃の小三治はちゃんとしてるよねとつくづく思う。客も選ばないし。
言葉の緩急だけでウケさせる。子供の頃の私のイメージでもある。
噺家は年齢を経てよくなるということになっているのだが、「よくなる場合もある」が正解だろう。
結局やったのは小言念仏。
一席終わってからの笑顔がいいんだ、この頃は。
無理に世間に合わせていたのかもしれないが。
続いて角刈りの月の家圓鏡。
リクエストは「猫と金魚」「湯屋番」「たいこ腹」「品川心中」など。これもやっぱり、品川心中はおかしい。
猫と金魚が圧倒的に多いですねと。
久々に圓蔵を聴いた(圓鏡時代だけど)。
私が子供の頃の圓蔵は、面白落語の第一人者のイメージ。
しかし今回改めて聴くと、実に上手い人だと。
本人自身も「上手い」「達者」以外の「面白い」道を目指すしかないと生前繰り返し語っていた人であり、世間のイメージもそうだ。
だが現代視点から見ても、圧倒的な技術の高み。こんな落語ができる人、今いないものね。
昔の音源は映像なしで、音だけ聴くのがいいという価値観がある。
テレビというものは中途半端な再現性しか有していないので、想像力を喚起する音声のほうがずっといいのだという。
私もこの価値観は共有しているのだが、こと圓蔵に関しては、映像によりその上手さが倍増する。
音声と所作がここまで見事にシンクロする人、他にいない。
頻繁に扇子で床を叩くイメージを、圓蔵にずっと持っていた。
改めて観ると確かに叩いている。そしてしばしば手も叩いている(つまり幇間のヨイショである)。
だが、叩くに至る前の流れがきちんと確立していたからこそ、扇子を叩くのがイメージとして残っていたのだなと気づく。
よほど稽古していないとこの流れる所作はできない。
想像するしかないのだが、稽古と言っても一席きちんと頭から尻までやって組み上げていくのではないと思う。
部分部分ごとに分割して肚に入っているのに違いない。
そのバラバラのブロックを、実に巧妙にアドリブでジョイントしてその場で組み立てるのではないかと。
そうしないと、噺が固定化して命を失うと思うのだ。
さらに、メタギャグなんて入らなくなる。「そういうつまんないギャグ言って落ち目になってった芸人が何人もいるんだよ」とか。