亀戸梅屋敷寄席26 その4(三遊亭好一郎「雛鍔」)

主役の好吉改め好一郎師登場。
今回の昇進、水面下でいろいろとあった様子だが、大団円でよかった。
いろいろあったとして、それは記録には残らない。ただ、本来あるべき報道がなかったという記憶だけが残る。

しかし好一郎とは面白い名前。
好楽一門の惣領弟子が好太郎で、四番弟子が好一郎。
さらに好二郎が好一郎より先に存在するという。
でも、イメージぴったりのいい名前ですね。以前から好一郎であったかのような。
師匠が考えたそうだが。

私は好楽一門の噺家では、二ツ目時代の好吉さんに最も巡り合わせが悪かった、かろうじて2回聴けただけ。
披露目の初日でも出したという人情噺「甲府い」と、雑俳。どちらもいいものだった。
これからどんどん聴いていきますので。
円楽党の新真打は、聴く気があれば亀戸や両国で確実に聴ける。

大勢お集まりいただきありがとうございますと好一郎師。
好の助アニさんがあんまりにも早く下りてきて、びっくりしました。
と、ここで着替え中の好の助師が高座に乱入。「悪かったな」。
気を遣ってちゃんと下りてやったんだろうと悪態をつく兄弟子。
楽しい遊び。

楽屋にいる人の悪口を言って、その当人が出てくるという遊びはたまにある。
円楽党では初めて見た。ただこれは、両国も亀戸も楽屋が物理的に遠いせいであろう。
今回は恐らく、披露目のため楽屋に人が多く、好の助師も袖で着替えていたみたい。
そういえば、昨年行った座間では、王楽師が圓太郎師の高座に飛び込んできたっけ。

ハプニングがあっても全然動じない新真打。ハプニングではなくプロレスかもしれないけど。
お弔いごっこのマクラを振る。
私がいつも「終身懲役」に首をかしげる刑務所ごっこは振らない。好一郎師がインテリだからかな。
本編は子供の噺なわけだが、何だろう、まさか真田小僧じゃないだろう、佐々木政談でも出るのかな。
と思ったら、主人公は植木屋である。雛鍔だ。

植木屋がお屋敷の仕事から帰ってきて、いやあまいったよとかみさんに今日の出来事を話し出す。
植木屋は語る。屋敷で遭遇した、お八歳にならせられる若殿にはたまげたと。
拾った穴開き銭を穴が開くほど見て、これはなんじゃ。
三太夫さんが逆に、若さまはなんだとお思いですかと尋ねかえすとちょっと考えて、「お雛様の刀の鍔ではないか」。

息子の金坊がいるのに気づき、遊びに行っちまえ。行きやすくしておくれよ。
植木屋は出さないが、かみさんが出してやって遊びに出る金坊。

好一郎師、甲府いもそうだが、特に笑いどころのない噺を実に楽しく語る人である。
世間知らずの坊やが知恵のあるところを見せたという、ただそれだけの話にいたく感銘を受ける親父も面白い。
職人の、上流階級への漠としたあこがれも、まるでいやらしくはない。
ある意味落語らしい世界。

ああ、いい噺に当たったなと思う。
この後、植木屋が出入りを断ったお店から隠居がやってきて、泣き場に入る。
泣くほどの展開でもないけども、じわーと溢れる人情に、つい涙腺も緩むところだ。

と思ったら、主人ではなく番頭さんがやってきた。
番頭さん、付近に用事があっただけで、大した用は別にない。この辺りに住んでるはずだとあたりを付け、人に訊いて顔を出しただけ。
え、雛鍔ってこういうバージョンがあるの? 初めて聴いた。
確かに落語協会で聴く雛鍔、なんだか不自然な構成だというイメージは以前から持っていた。ただの落とし噺に無理に泣き場を入れ込んだ感覚がつきまとってはいる。
でも、後から当てはめたのだとしても、そこが聴きたいのに。

ここまで聴いてきた好一郎師の、さらに甲府いのイメージも加わり、勝手に泣く準備に入っていたのでいささかズッコケました。
たぶん好一郎師は、いかにもな人情噺より、「地味だがいい噺」を語りたいのでしょう。
でも、泣き場のあるほうの雛鍔も、覚え直してやってくれないかななんてちょっとは思った。

あとは一緒だ。
わりと珍しめだし、初めて聴いた客にとっていい噺として映ったろう。

金坊の「こんなものひろった♪」で見事に手習いの道具をゲットする親子。
ちょっと気になるのは、江戸時代、8歳になったらもう寺子屋に通っているのが普通じゃないですかね。
別に6歳でもいいのだけど、「お八歳」というワードが大事なのだろう。

一席終わって振り返ってみると、好一郎師、「どこがどう上手い」じゃないのですね。
わかりやすい技術など出していないのに、実に高い満足感を味わえる。
演技も語り口も派手なところは一切なく、抑制が効いている。

ただ将来、「いぶし銀」「渋い語り口」と形容されるベテランには恐らくなるまい。
いぶし銀って、地味な人を褒めようとして困ったとき使う、ある種失礼なことばだと私は思ってますがね。
好一郎師は全体のトーンが実に明るいのである。均一に明るいため、変な感じにはならない

いい感じに出世していくであろう好一郎師、実に楽しみです。
TBS落語研究会に早速需要がありそうな気がする。
甲府いもいいが、徂徠豆腐、稲川、阿武松なんてどうでしょうか。稲川と阿武松は、円楽党では持っている人多いはず。

(その1に戻る)

 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. >>江戸時代、8歳になったらもう寺子屋に通っているのが普通じゃないですかね。
    えっ、まことに不勉強のようで申し訳ないのですが、江戸時代…といっても、三百年近いから、その時々で様々だとは思いますけれど、「寺子屋」は、現代の小中学校と違って義務教育ではなく、それも公立校と違い私塾のようなものだったかと聞いています。“通学”していたのは、武家や商家の子弟など、比較的、裕福な家庭のご子息で、そうではない貧乏所帯の“庶民”の子供は、寺子屋へは通わないまま遊び呆けて過ごし、ある程度の年齢になると職人に弟子入りして八五郎になるか、商家に奉公して定吉になるか…といった世の中だったのではと思います。もっとも江戸末期に来航した欧米人が、蛮人だと見くびっていた日本人の識字率の高さに仰天したとの記述もありましたから、大多数の子供が通学ならぬ通塾していたのかも知れませんが…??
    私、情けないことに圓窓師の会で聞いた際に「雛鍔」と漢字で書けませんでした(恥)。

    1. 雛鍔。
      そんなもん、俺だって書けねえや。
      だいたいメモ取らねえしな。
      せっかくの披露目なのに感じわりいな。

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