2018NHK新人落語大賞

《オンエア前》

毎年注目しており、ブログにも書いているNHK新人落語大賞。
桂三度さんがついに優勝したそうで、おめでとうございます。
私はこの賞については、個々の審査員の論評はさておき権威を認めている。

つい先日までは、「NHK 桂三度」「新人落語大賞 桂三度」などで検索すると、一昨年と昨年の、当ブログが真っ先にヒットしていた。
一昨年の記事は、辛辣な内容。当ブログでは屈指のアクセスを集めた記事である。
権威ある賞を、かつて批判した噺家さんが今回受賞したことにつき、それ見たことか的なコメントが寄せられても仕方ないと思う。弁明もできない。
だが、今回の優勝で関連ニュースがどっと出過ぎ、私のブログはあっという間に押し出されてこの検索ワードでは表示されなくなってしまいました。
だから、優勝を機に私のブログに来た人は、報道直後を除いて、ほぼいない。
いずれにしても三度さんはすでに今年、上方の「若手噺家グランプリ」を受賞している。だから、すでに落語界からは完全に認められている。
私もこの後オンエアを見たとき、評価が間違っているなんていうことは言わない。

番組を見ていない現時点でいろいろ考える。
三度さんは入船亭小辰さんと、同点決勝で優勝したのだという。
小辰さんね。
小辰さんはたまに聴いている。古典落語を端正に演じる人で、私も非常に好感を持っている。
じわーっと人情を描き、聴いて損は絶対しない人。
ただし現状、決して華のある人ではないのだ。派手さがないのは美点なのだが、賞レースにとって華はあるに越したことはない。
同点決勝において、端正で地味な古典落語と、派手な新作落語という実にわかりやすい対決が存在したのではなかろうか。
そのときどっちに票を入れるか? そこまで極端にスタイルが違うと、いろいろ考えてしまうかもしれない。
落語界の活性化にまで忖度が働いたのではなかろうか? 違ったらすみません。

あと、三度さんの優勝した演目が気になるのだ。なんでも、10人の登場人物を登場させた落語なのだと。
非常に嫌な予感がする。一昨年のあの「虹」と同様、アホ声とか入れて、登場人物を描き分けているのではないか?
落語の定石を破壊した新作なのではないか? いや、意味を持って破壊するのはいいのだけど、少なくとも「虹」に関しては無意味な破壊に思う。

違う角度からもいろいろ考える。
先日、昭和元禄落語心中の番宣絡みで、NHKごごナマに柳家喬太郎師が出ていた。「コロッケそば」の一席もあり、非常に楽しい番組だった。
その際、喬太郎師のかつての同賞受賞のシーンが映し出された。演目は、「午後の保健室」。
私にとって喬太郎師の落語は基本の基本である。
このブログにもその内容をよく書いている。落語について迷ったときは、私は必ず喬太郎師に帰るのである。古典でも新作でも。
かなりアヴァンギャルドな新作落語、午後の保健室からも、これぞ落語という強固な芯を感じる。
だが、ちょっと時代をスライドさせ、当時の視点を思い起こしてみたときに、喬太郎師の落語を「なんだこれ」と思ったうるさい落語ファンもいたかもしれない。
喬太郎師は、真打への抜擢も受けたし、順調に出世しているから、ずっと陽の当たる道を歩いてきている。
だが、その栄光の足跡はどうあれ「こんなの落語じゃない」と感じてきた落語ファンもいたかもしれない。

三度さんはどうか。あと10年したときに、桂三度落語が、新たなスタンダードになっていることもないとはいえない。
三度さんが、師匠当代文枝師程度には落語界に確固たる地位を築き、桂三枝を襲名することまでは、結構リアルに想像できる。なんなら将来、文枝まで。
だが、まだまだ課題があると思うのだ。
あとは11月4日のオンエアを視てから書きます。

《以下オンエア後》

毎年いろいろつついているNHK新人落語大賞。3年目となりました。

桂三度「心と心」

既報の通り、新作落語「心と心」を掛けた桂三度さんの優勝。
10人の登場人物が出たというので(実際は5人だったけども)、2年前の「虹」のように声の使い分けをする落語だったら嫌だなあと思いながら放送を視る。
それはなかったのでホッとしました。
声質自体は何種類かあるのだけど、人物の描きわけには使っていない。
5年前の同大会に出たときのネタにちょっと似た、人間心理を描いたマクラ。かと思ったらいきなり本番だった。わかりにくいな。
ともかく優勝したので、人間心理と行動との深い関係を掘り下げた名作、ということになるんだろけども。

私は、シュールなネタについては、理解の深い人間だと思っている。シュールが過ぎて、客との接点がなくなっているくせに、どうだ面白いだろうと主張しているネタでなければ。
新作落語で(中には古典落語でも)、メタ的なギャグを入れてくる師匠はいる。噺の乗っているステージを、別の階層から客観的に俯瞰することで、不思議な世界観が生まれる。
そういうテクニックを使った噺への理解も前提としてある上で、三度さんの落語を聴く。そして噺の前半部で、変な落語の作りかたがない点も理解できて、そうなるとすでに嫌う要素などない。
今までいろいろ批判もしてきた三度さんであるが、かなりフラットな気持ちで聴ける。

なのに。
すいません、まったくわかりませんでした。
落語を聴いて、こんなさみしい気持ちになることはなかなかない。愛する落語の世界で、わからないものが優勝してしまったなんて。
いや、優勝しなかったのなら、わからなくても別になんとも思わない。そんな人がこの大会に出ていることも多々ある。
優勝したのは事実でも、正面切って批判ができるなら、まだいい。世間が何と言おうが、俺だけはと声を上げさせてもらう。
だが、そのような批判に値する部分は決して多くないのだ。桂文珍師の言う通り、落語の可能性を広げる作品だという論評には同意している。
ひたすらわからなくて、もう一度視た。

二度視て、三度さんが狙っている面白さの正体自体は、一応理解できた。つもり。
そして、小拍子の使い方まで含めて、新作落語好きの私、この落語の形式につき批判すべきところなどやっぱりない。
だが、落語を理屈で理解したところで、自分の感性がついていかないとどうにもならない。

今後、私丁稚定吉は、「才人・桂三度がついに理解できなかった落語ファン」の汚名を背負って余生を過ごすこととなります。
優勝にケチを付ける気はない。4度目なんだから取らせてやれという忖度が仮に働いたのだとしても、よく考えたら4度も出るのは実に立派。
でもひとつだけ言いたいのは、客の笑い声、その前の二人のほうがずっと大きかったよね? 常に自分自身の基準でものを見ようとしているくせに、都合の悪い時だけ客の評価を持ち出すのはよくない了見ですがね。
でも三度さんご本人も、あまり手応え感じてない気がする。客との接点がみつからないままの、実は不本意な優勝なんじゃないか。
噺の面白い入れ物自体はきちんと作られていたが、それに併せた面白い中身ができていなかったというのが、私が認識する事実だ。

私と同じく、放送視終わってモヤモヤしている人も、きっとたくさんいると思う。
ちなみに、「思ったことを全部喋る人間」というのは、桂雀三郎師匠の新作落語ですでにありましたな。
頓珍漢なコンビニ強盗というのは、春風亭百栄師がやってる。
落語の場面転換の速さをネタにする落語も、古典落語「権助魚」からこのかたあるところだし。
オリジナリティのすごい落語なのかというと実はそれほどでもない気がする。

続いて、惜しかったふたりを。
あとの3人は省略します。またどこかで触れると思うけど。

今年から6人選ばれることになったのに、本選に出場したのは落語協会と、東京で活躍する上方の噺家。上方で活躍している噺家はひとりだけ。
上方プロパー、そして芸協メンバーはいったいどうしたのであろうか。
もともと今の二ツ目は、芸協のほうが評価高かったはずなんだが。

三遊亭わん丈「お見立て」

番組冒頭から4人目で、初めていい高座を聴いた。
ミッドナイト寄席でも掛けていたお見立てだが、この短い時間でやるとは見事。驚異の編集力。
序盤に杢兵衛大尽を遠景で描いてしまう工夫は、古典落語の伝統に則ってもいる。
編集とは、単に噺を短くすることではない。短い中に、ちゃんと展開をこしらえること。
こういう、短縮版お見立てが以前から掛けられているかのような見事な編集。
新作の一門なのに、私はわん丈さんの新作落語を聴いたことがない。だが、新作で培ったとおぼしき構成力は、古典落語にもちゃんと生きる。
具体的には、杢兵衛大尽と喜瀬川花魁のキャラを立てる。キャラ立ちは強いが、ちゃんと古典落語の世界で違和感なく成り立っている。
若い衆の喜助は、まっさらな記号的キャラ。右往左往しながら主体性を持っていないがゆえに珍妙なやり取りが続く。
喜助に主体性がないがゆえのギャグも入れていた。
これはすごい。古典落語を掘り下げ抜いて、ちゃんと先人と別の正解を引き出している。
個人的にはわん丈さん優勝。0.5点差だったのだから実際紙一重なのだ。
別になじみで贔屓とかではないですよ。好きな噺家さんではあるが。
神田連雀亭メンバーでもないので、生の高座は一度しか聴いてないし。

入船亭小辰「真田小僧」

こたつマクラがウケてよかったですね。準優勝に大きく貢献したのではないか。
一度寄席で聴いたことのあるマクラだけど、その際には特にウケてた気がしないけど? ご本人だってここでウケようとしてないと思う。
小辰さんの強いハートが、TV収録の入る特殊な状況で力を発揮したのは事実だろう。けど、ちょっとラッキーパンチっぽい。
というより、変にウケた後でまったく動じていないところにこそ、この人の真価があるんじゃないかと。
先の記事で、小辰さんは達者な人だが華がないというようなことを書いた。
いや、お見それしました。確かに顔は地味だが、テレビで堂々と。しかもとても華やかだ。この人は、いろんな魅力をまだまだ隠し持っているみたい。
寄席で毎日のように出る真田小僧で勝負する神経もすごい。
口調がまたやたらいい。リズムがいいから、派手に笑わせなくても勝手に客が引き込まれてしまう。実際、すごく客が乗っていた。
にも関わらず、かぼちゃ野郎のくだりであるとか、「お上がんなさいよ」「ご清聴ありがとうございます」というという金坊のセリフとか、誰の演出にも入らない独自性がある。
この独自のクスグリを、テンポよく喋るから、初心者からディープな落語ファンまで、感心して聴いた人がさぞ多かったと思われる。
ご本人のほうは演出の工夫よりも、当たり前の話を当たり前に語ることを重視していそう。だからわん丈さんとは異なる勝負指針では。
私からすると、もうワンプラス、「さすが小辰!」という味があるといいなと思った。
それってなんだろう?

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。