入船亭扇辰独演会@ばばん場(中・「天災」)

扇辰師のメクリ、亭号も書いてあるが、「入船亭」の船の字が帆掛け船の絵になっていてカッコいい。
「立」という字の縦棒の左右に手縄というのか、帆を張るロープを二本描いている。
初めて見たが、寄席文字書家の遊び心はいいですね。

江戸っ子の噺というと、三方一両損でもやるのかと思ったら、扇辰師からは初めて聴く天災。
なるほど、天災の八っつぁん、カリカチュアの激しい江戸っ子だ。
そんなに掛けてなさそうなのに、すばらしいデキの一席。寄席ではやらないのかな。

このあと二席目の冒頭で、天災の一席について扇辰師語っていた。
天災は「毎度おなじみの」「落語ファンなら飽きるほど聴いている」噺なので悪いのだがという気持ちもあった様子。
いや昔は確かにそうだったろうけども、現在では決してそれほど掛かる噺じゃないでしょう。
二十四孝ほどではないけど、むしろ珍しめのイメージすらある。私は聴けて嬉しい。
心学がわからないからね。紅羅坊名丸って先生もよくわからないしねと二席目での扇辰師。
神道と仏教と儒教のいいとこ取りして、石田梅岩って先生がこさえたらしいね。
江戸時代は寺子屋でも読み書きしか習わないからね、道徳の講義としてずいぶん心学が流行ったらしいね。
あたしはこういうのをちゃんと調べてから掛けるからね。

二十四孝も、あとは厩火事もそうだが、噺の背景のさりげない教養がたまらなく好きだ。
こういう噺には大きな価値があると思う。

そういえば、八っつぁんのデタラメフレーズ「中で天神寝てござる」って、生梅を食っちゃいけない戒めの言葉だったというのを最近知って驚いた。
いや、生梅食っちゃいけないのは知ってるけども、戒めの言葉のほうを知らなかったのだ。
たまたま知って、落語と結びつくとなんだか嬉しくなりますね。

扇辰師の天災、前半の登場人物3人が、人間の力の9割を使い、がっぷり四つに組んでいるイメージ。
おわかりか。
人間の本性をむき出しにしている乱暴な八っつぁん。そしてれえん状りゃんこくれとうるせえ八っつぁんを本気でたしなめる大家(岩田の隠居)。
でも、互いに100%でぶちあたっていないのだ。1割というか5分というか、残りのどこかに遊びの余地がある。

八っつぁんは本性の9割だけ使って乱暴な江戸っ子を演じているし、大家も9割だけ全力で怒っている。
互いに、ギリギリの線まで詰め寄らない安心感というか、どこかに八百長感がある。
ははあ。人間関係の秘訣を見る思いがするね。

母親を蹴飛ばす八っつぁんに、共感なんてできる?
どこまでも遊びの余地を残した造形だから大丈夫。生々しくないのだ。

全力で悪い奴ではない八っつぁんが、紅羅坊名丸先生のところであっさり了見を入れ替えるというのも、この描き方だとスムーズだ。
生来の乱暴者が、先生に二三たとえ話をされた程度で180度了見を入れ替えるわけではない。
だが、江戸っ子遊びよりもっと楽しい心学遊びを見出した。
八っつぁんは日ごろから9割使ったごっこ遊びをしてるようなもんだ。先生に教わり、ごっこの方法論を変えたのだ。
なにもない原中で雨宿りもできないシチュエーションをぶつけられた八っつぁん、先生に凹まされたというわけではない。
喧嘩以外の楽しみを教わったのである。

紅羅坊名丸先生のほうは、もうちょっと余力のある人。
6割程度の力で、乱暴な八っつぁんに立ち向かっている。
この先生が一瞬だけ、もののわからない八っつぁんに気合を掛けるのである。それまで6割しか力を使っていない先生の、この気合はすごい。
扇辰師の気合がそもそもすごいんだけど。
八っつぁん、これですっかり毒気を抜かれた様子。

しかし、天災ってこんな噺だったかなんて思う。
別に扇辰師の天災が、先人のものと違っているというわけじゃない。
同じ骨格の噺に、江戸っ子の面白さを味わう楽しみが純粋にプラスされているではないか。
そもそも扇辰師の江戸っ子もの、思い起こせば全部そうなのだが。江戸っ子という名の、楽しい生き物を描く。
ある種キャラ落語。

八っつぁんは、心学の先生のところでいい気持にさせてもらう。
八っつぁんを楽しむ客もまた、実にいい気持。

天災とは関係ないが、最近放送の笑点なつかし版に、真打の披露目が出ていた。不思議なことに数年前にも同じものを観たけど。
落語協会5人に、芸協2人。
落語協会はたい平・喬太郎の抜擢の後のまとめての昇進なのだが、ここから扇辰、彦いちと売れる人が出た。
噺家の世界も一生勝負。そして弟子が扇橋を継ぐようなことにもなり。
若い扇辰師、今ではちょっと考えられないことに、奥さんが「千と千尋の神隠し」の主題歌を作詞したことをアピールしている。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 扇辰、扇遊のお二人ともしっかり江戸っ子を感じさせてくれますが、実は江戸っ子ではないというのもすごいなあと。
    見事に聴いている側に「そうそう江戸っ子ってこんなだよなあ」と感じさせてくれるところが入船亭の真骨頂かなあと思ってます。
    トピズレですが、小生のよく行くお寿司屋さんのご主人が、顔といい声といい、扇辰師によく似ていて、短髪と併せてこれぞ寿司屋さんの佇まいだよなあと。

    1. ははあ、扇辰師に似た寿司屋の板さんですか。なんだか想像がつきます。
      扇辰師は江戸っ子に憧れもあったのではないかと想像しますが、落語の極端な江戸っ子まで演じているうち、ちょうどいい江戸っ子のさまにご本人が落ち着いていったのかなと。

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