柳家小ゑん「下町せんべい」

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柳家小ゑん千一夜Vol.3
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BS11「柳家喬太郎のイレブン寄席」で、2回に渡って新作落語特集をやっていた。
そのひとつ、柳家小ゑん師匠の「下町せんべい」について。

昔読んだ、小松左京の「SFの定義」によると、「登場人物とその背景」には5つの組み合わせがある。うろ覚えなので、私の解釈も入っていますが。

  1. 「日常の世界」と「通常の登場人物」
  2. 「日常の世界」と「異様な登場人物」
  3. 「非日常の世界」と「通常の登場人物」
  4. 「非日常の世界」と「異様な登場人物」
  5. 物語の途中で、上記1~4が変容する。

このうち、1が普通小説、4が「ファンタジイ」であり、2・3・5がSFである。

いきなりSFの定義を持ってきたが、落語について考えるうえでも、私の頭の中にはこの指標がある。古典落語も新作も、この指標のどこかに分類される。
1は落語になりにくいような気がするのだが、結構ある。「少々変わってはいるけど、日常に違和感なく溶け込んでいる人物」が、この現代世界で活躍する新作落語だ。
具体的には、立川志の輔師匠の新作落語はだいたいここに入る。
昔の芸協で主にやっていた新作落語もだいたいここ。上方の新作落語、創作落語と言っているものも、桂文枝師のものをはじめ、ここに入るものが多いと思う。
もちろん、玉石混交であって、質の高いものがある。一方で、時代とともに消えてしまうものも多い。日常からの飛躍の乏しいものほど、消えていきやすいと思う。
かつての芸協では、「古典落語ももともと新作だった」という主張をしていた。しかし、時代背景による異化効果を考えないものとして、1として生まれた落語が古典として残った例はどのくらいあるのだろうか?
「替り目」「初天神」などはそうかもしれない。「真田小僧」「子ほめ」だともう違う。
昔の新作で残っている、「ぜんざい公社」は3だし、「試し酒」は2だ。
三遊亭円丈というパイオニアがいた、現代に続く東京の新作落語は、芸協でやっていた古臭い新作落語(言葉としてはおかしいが、事実そうだったのだから仕方ない)を切り捨てて、もっと飛躍をした。
上記分類の2~4に入るものが、いくらでもあるのである。
4(ファンタジイ)なんて、落語として成立するのかと一見思うが、これがあるのだから凄い。そこはちゃんと工夫をして、1と4の世界を対比させる形を採っている。5のバリエーションともいえる。
とにかく自由なのだ。そしてこの自由闊達さは、「小倉船」や「鷺とり」などを生み出した古典落語の世界とシームレスにつながっている。
私は、円丈師の弟子、三遊亭白鳥師が「落語」全体の正当な後継者だと信じているのだが、その理由はここにある。
今日取り上げる柳家小ゑん師匠も、円丈師とともに、パイオニアとして自由な発想を常に忘れず新作落語界を切り開いてきた方だ。

***

落語を救うもの、後世に残していく重要な要素は、「発想の飛躍、柔軟さ」だと思うのである。
三遊亭円丈師は、さまざまな新しい要素を落語に持ち込んだが、もっとも貢献しているのはこの部分だと思う。
円丈師は、落語の構成そのものを崩すことも試したが、こちらの要素については過激すぎたか、次の世代にはあまり引き継がれていないのではないか。

柳家小ゑん師匠は、円丈師から、落語の自由さについで大きな影響を受けた(のだと思う)。
師はさらに、「メルヘン」「ファンタジイ」の要素を落語に持ち込んだ。
代表作はおでん落語「ぐつぐつ」。おでんの種たちが鍋の中で会話をする落語である。

「登場人物とその背景」を再掲する。5だけ落語に合わせて修正。

  1. 「日常の世界」と「通常の登場人物」
  2. 「日常の世界」と「異様な登場人物」
  3. 「非日常の世界」と「通常の登場人物」
  4. 「非日常の世界」と「異様な登場人物」
  5. 上記1~4のうち、2つを交互に見せる

1が、古典落語の素を一から生み出そうとしたかつての新作落語。今でも多数、特に上方で作られている。
2・3が、昇太、白鳥、喬太郎、彦いち等、円丈チルドレンの生み出した多くの新作落語。
4は、円丈師の「東京足立伝説」など入るように思うが、ちょっと過激なフィールド。ケガしそう。
そして5が小ゑん師ならではのフィールドで、「ぐつぐつ」「ぐるんぐるん」「銀河の恋の物語」など。ファンタジイの世界と、日常世界を交互に見せる。

子供の頃、「ぐつぐつ」をTVで見て(なんと「笑点」だ)、ゲラゲラ笑った覚えがある。あと、寿司屋のネタケースで寿司ネタが会話する「しんしん」というものも覚えている。
しかし、大人の落語ファンには少々刺激の強いものであったらしい。「なんでおでんが喋るんだ」と言われたと、今ではマクラで語っている。
しかし、こういう世界観こそ、なんでもありの古典落語にもつながっているのである。
落語の本道と言ったっていいのだ。

小ゑん師が、これ以外に得意にするフィールドは2だ。師の場合は「オタク落語」。
電気や鉄道のオタクが、日常世界で起こすドタバタを描くもの。
今回ご紹介する「下町せんべい」もこの一種。主人公は下町オタクだ。
と言っているうちに、またまた長くなってしまいました。

***

柳家小ゑん師の「オタク落語」。
日常世界において、異様な登場人物が活躍する新作落語である。
この世界からのズレこそが、オタク主人公の最大の個性であり、価値である。世界のほうが徐々に変化していっても、オタクとのズレが埋まってしまわない限り噺は古くならないだろう。
鉄道オタクが主人公の「鉄の男」「恨みの碓氷峠」など、鉄道知識がなくても、オタクっぷりを楽しめばいい。
アキバオタクが主人公の「アキバぞめき」。古典落語「二階ぞめき」のパロディである。電機街としてだけの個性を持っていた頃の秋葉原の知識などなくても楽しめる。
小ゑん師は、先代小さんの弟子であり、古典落語についても大変造詣の深い方である。ちょいちょい、古典落語の知識があるファンをクスッとさせるクスグリを入れてくるが、それだって、落語の知識がなければ楽しめないというものではない。

さて、長い前置きからようやく出てきました。「下町せんべい」について。
小ゑん師の作ではないが、そのことで特に区別はしない。高座で噺を練り上げていくのは噺家の仕事だから。
主人公は春日部に住む下町愛好家。江戸っ子にあこがれて「あさししんぶん」などと言ってみる。
憧れの浅草にやってきて、田原町駅から吾妻橋、アサヒビールのうんこビルへ、なんてオツなんだとひとりコメントしながら歩く。
駒形で見つけた老舗せんべい屋。二間半間口に感動し、主人の「まっつぐ」という江戸言葉に感動し、箪笥の「鐶」に感動し、土間に頬ずりし、せんべい職人の秘伝にいちいち感動する。
感動して妄想ワールドに入り、職人を主人公にした映画を勝手に再現する。職人を千吉、女房をお久と勝手に名付ける。厳しい修行の末に死の床にある千吉、舅である先代親方から秘伝を教わるという、芝居仕立てのストーリーを勝手にこしらえる。
さらには怪談噺になってしまう。千吉は亡くなってしまい、嫁ぎ直したお久の元に化けて出る。

なんで春日部から出てきた主人公が、地下鉄田原町から地上に上がるのか、いささか不可解ではある。下町オタクなのに、浅草にはほとんど初めて来た様子なのもおかしい。
そんなアラはともかく、オタクを楽しむ噺なので、ストーリーよりも細かいクスグリが重要だ。
主人を「千吉」と名付けているのは、寄席で聴いたときは「せんべいキチガイ」の略だと言っていた。テレビでは言わないけど。
この主人、本名は「ガクト」なのだそうだ。伊集院ガクト。
女房は、本当は「お久」でなくて「エリカ」。わがままそうな名前だ、と勝手にコメントする主人公。

こんなすっとんきょうな噺も、ちゃんと古典落語の世界観とつながっている。
先代小さん師も、小ゑん師の「ぐつぐつ」を、情景が描けていていいと言っていたとのこと。この「下町せんべい」などまさにそう。
わけのわからないオタク、それも失礼な言動ばかりする奴と会話をしながら、せんべい屋の主人は別に怒らない。淡々と優しく突っ込んでいくところは、八っつぁんに対峙するご隠居と一緒だ。
そしてオタクの妄想ワールド全開であるが、これだって「湯屋番」「野ざらし」「小言幸兵衛」等、古典落語にいくらでも例がある。特に「小言幸兵衛」は、相手のいる妄想だ。
古典落語自体、その多くが「江戸の日常世界」に「異様な登場人物」を放り込んでできたもので、同じ世界観を有しているのは当然といえば当然なのだ。
オタクは世界とのズレを有しているが、世界から遊離している存在ではない。ズレを持ちつつ世界に馴染んでいる存在で、これは熊さん八っつぁん、与太郎と一緒。落語にならない、気持ちの悪い存在ではない。
「日常世界」に「日常の登場人物」を放り込んで作った新作落語は、歴史の渦の中に消えていくはずだが、小ゑん師の落語は、結構寿命が長いと思う。

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作成者: でっち定吉

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