支配せずにはいられない(下)

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ネットでの誹謗中傷から家庭内、そして犯罪の端緒と実行まですべてを「支配」というキーワードでくくってみた。
いささか強引に思われるかもしれないが、私は実際にこう認識している。すべてを紐解くワード。
毒親やモラハラに支配されてきた人は、支配からの脱却を図らないと大変なことになる。
支配がやめられない人は、いずれなんらかの形で自分に跳ね返ってくる。因果応報なんて単純なことではなく、すでに破滅に向かって突き進んでいるのだ。

改憲絶対反対と叫べば叫ぶほど、「人(子孫)を支配したい」というマインドが強化されていく。
恐ろしい話だ。絶対の正義に疑問を持たないだけになおさら。
でも、「子孫は憲法をつくる権利を持ってはいけない」「子孫はこの思想しか持ってはいけない」と叫んでいることに気付いていない。

個人的には、憲法96条(改憲条項)に最大の問題があると思っている。ここを緩める改正が実現できれば、それ以外に強いこだわりはない。
左翼サイドも本来、自分たちの見解を普遍的な価値に高めるための憲法改正を発議しなくてはならない。実際にやってることはマッカーサーを水戸黄門扱いすることだけ。
GHQに支配された経験が、新たな支配を作り出す。なんたる悲劇。

なにが正義かなんて、軽々しく決めつけるもんじゃない。
思想が矛盾しまくりなのはいただけないが、極端な思想統一も心身の健康を害する。
矛盾を許さないもろい正義は、たとえば「AV女優の仕事を守れ」などといった既存の価値観が衝突する事例をぶつけるとすぐ壊れる。
「オリンピックの開会式に(労働基準法で保護された)未成年が出ている」なんて問題があった。
しかし、パラリンピックの開会式で子供が主役を務めていた際には、そんな声は上がらず。

統一教会が悪、だから安倍晋三も悪、殺してよし。
この論法が正しいと思う人はさすがに少なかろうが、途中途中に共感を覚える人ならざらにいる。

暗殺犯は刑務所に行かなければならない。
あくまでも(裏で手を引いていた人間などおらず)自発的な判断だった場合だが、その源泉は権力者を支配したいという歪んだ欲望ではなかったか。
命を支配できた以上、本人はさぞ満足だろう。
社会を恨みぬいている人間にも、人を支配したい欲望があるのだ。支配されてきたという思いが強ければなおさら。

さて、こんな話いくらでも広がるのであるが、キリがない。
落語の話で締めます。
落語界にも、信念の持ち主が無数にいるが、しかしおおむね間違っている。残念な話である。

故・柳家小三治や、古今亭志ん輔といった人たちがその信念の強さによりいかに人をダメにしてきたかは繰り返し書いた。
こういう人たちは、揃って人を支配する欲望が強いということも。
「厳しい」という事実のみ誉めそやす世間はどうかしているし、無知。支配モンスターなだけなのに。
弟子なんて、基本野放しでもって、ここぞというときに的確なアドバイスをするのでなければ絶対伸びない。歴史がとうに証明している。

さて、急に支配モンスターになったわけではないが、ニューフェイスが、当代三遊亭圓歌。
二ツ目の弟子なんて、たまに師匠宅に呼ぶぐらいで十分だ。自分で仕事を作れる身分なんだから。
これを坊主頭にしようというのは、落語界のしきたりからしてもはや異常と言わざるを得ない。そこに見られるのは、支配欲。
この裁判、その後どうなったんですかね。まだ解決してないことだけがうかがえる。
落語協会は、師匠から破門の申し出があれば香盤を消すのが通常だが、今回はたぶん被告でもあるのでできないらしい。

弟弟子にもおかしいのがいる。三遊亭鬼丸。
NACK5の名物番組「ごごもんず」で、歴代アシスタントを次々追い込んで退場させてきた支配モンスターだ。
しかしリスナーとスポンサーがまだまだ疑問に思わないようなので、まだまだ支配による悲劇は続くことだろう。

このたびNACK5の営業部長がとてつもないパワハラをしでかし、しかしながら大して処分されていないという事件が報道されている。

FM・NACK5「営業部長」が「火炎放射パワハラ」 被害男性が証言する飲み会の修羅場(デイリー新潮)

ああ、そういう会社なんですな。よくわかります。
ニュースが転載されているYahoo!では、コメント欄で必ず鬼丸の名が出てくる。
どこかで悪循環をリセットしなきゃいけません。会社もパーソナリティも。
また、こんな噺家を文化人として使うのが、日刊ゲンダイ。
ライバルであり、思想が真逆の夕刊フジに対抗しているのだろうか。夕刊フジでコラムを持っているのはご存じ愛人DV野郎の桂春蝶。
右も左も、支配モンスターを起用して部数を競っているのだ。いい加減にしろ。

幸い、本業が中途半端な鬼丸の高座を避けるのは実に簡単。池袋定席にもまず呼ばれない。

おっと、私も誹謗モードに入ってきたかもしれないな。
落語界において、嫌いな人間をただ排除しようという支配欲求に潰されないよう、私も気を付けなければならない。

作成者: でっち定吉

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