久々に更新を2日間休みました。そして今日もお昼の変な時間の更新。
ネタ切れというわけでもなくて、1件書きかけ保留にしました。
自作に納得がいかなければ叩き壊す陶芸家みたいでしょう。書き上げてないし、捨ててもいないから違うか。
今月は東京かわら版を見る限り、行きたい寄席も落語会もやや少ないイメージ。夏休みの名目で、ちょぼちょぼヌくかもしれません。
趣味が落語だけじゃいけないと思う。栄養も偏るから補給もしよう。
昨日は、落語と無関係で両国へ。墨田区では8月の1か月、PayPay20%還元実施中である。
ビアパブ「ポパイ」で家内と暑気払いをしてきた。コロナ前はタモリ倶楽部で過去数回取り上げられていたお店。
ビール旨かったです。
ちなみに9月は江東区でPayPay20%還元。こちらは亀戸絡みで出かけるつもり。
かながわPayにも参加中なんで、ある種とても忙しいのでした。
江戸東京博物館が長い改装に入っているのは知らなかった。
ここでやってた数々の落語会、どこに移るんでしょうか。
さて今日は、与太郎について。先の雑文とのつながりは、特にない。
私が東京落語の偉大なるキャラクター、与太郎を愛してやまないことはたびたび書いている。
そして金明竹で松公を罵り続けた小三治が許せないことも。弟子半分、孫弟子までクビにする了見が全部表れている。
その与太郎でひとつ気づいたことがあるので、今日はご報告。
「与太郎はツッコまない」
与太郎はボケだから当たり前だろ? そんな単純な話でもありません。
最近、若手の落語を聴いていると、会話においてボケているのにきちんとツッコまないやりかたをよく目にする。
前座噺に多い、八っつぁんと隠居のパターンなど。隠居が八っつぁんのボケを、しっかり拾わない。
ボケをことさらにスルーして笑いを狙うような、あざといやり方とは違う。ちゃんと隠居はボケに反応はするのだが、ことさらに相手を否定せず、受け入れてしまうのである。
私はこの傾向が長期トレンドになると予想していて、そして非常に好意的である。
お笑いの影響だと思う。お笑い界では現在、怒り気味にツッコむ手法をほぼ見なくなってきている。
相方やひな壇芸人に対して、上から乗っかる手法がファンに嫌がられるようになってきているのだ。
他人にマウントを取る手法が、視聴者に生理的嫌悪感を与える時代。
だからさんまも凋落しているし、芸人じゃないがミヤネなんかもそうでしょう。
比較すれば小物だが、志らくもそうでしょう。
共通点はみな、ものを知らないのに上から来ることみたい。
ツッコミに求められる機能は昔も今も変わらないだろう。ボケの強化である。
だがその振る舞いとしては、ボケを打ち消すのではなく、共感するタイプに変わってきている。
昔からツッコミを放棄し、コンビが勝手に共感する馴れ合い漫才はあったが、あくまでも変則。
最近は、機能的にはツッコミだが、軽い。そんなやり方が主流な気がする。馴れ合いまでは行かないにしても、
ぺこぱの「優しいツッコミ」は大きな貢献を果たしているが、彼らだけが切り開いたわけではない。すでに対立しないツッコミがよしとされる時代背景があったのだろう。
では、落語も時代のトレンドに併せて変質してきたのか。
そうではないと思う。
むしろ、落語こそ対立より共感をモットーとする芸だ。本来の姿に戻ってきたように感じるのである。
時代の空気を引き連れて。
ツッコミが激しい時代のほうが、景気はいいのだろう。
現在はなにもかも諦めきってしまった時代。こんな時代に激しいツッコミをしても、大衆には反発する気力がない。嫌悪感をため込むだけ。
こんな時代にこそ、共感をモットーとする落語はぴったり。
コロナが被ってしまったけども、本来はこんな時代だからこそ落語が活況を呈するはず。
こういう話は暗くなるのでほどほどにしておいて。
で、与太郎である。東京落語の伝統にのっとったキャラ。
与太郎は、ボケ専門。といっても面白いことを言おうとしているわけではなく、天然。
与太郎なのに知恵を使ったとき、とても楽しいボケになる。
「おっかさん泣かせてなにが嬉しいんだ」「年増泣かせた」
「お前、どうやっておまんま食うんだ」「箸と茶碗」
与太郎は、面白いことを言おうとしているわけではない。ただ、自分の脳内に浮かんだ反応を外に漏らしていくだけ。
漫才においてボケが、ツッコミの返しまでセットの上でボケているのとは違う。
与太郎の相手をするのは、なかなか大変なのだ。大変なのに、ツッコミはとても優しい。
与太郎が幸せを分けてくれるからなのでしょう。
こんなに落語の世界にふさわしいキャラなのに、与太郎は上方には存在しない。
最近の上方落語は積極的に、東京由来の古典落語を移入しているが、与太郎を移入するのはとても難しい。
与太郎のボケ専門キャラが、上方文化に合わないのであろう。
アホの喜六だってボケっぱなしではない。ちゃんと清八に対してツッコミ的な反応もする。
いっぽう与太郎は常にマイペースであり、周りにツッコミの役割を与えてしまう点、強引なのである。
でも、無名のアホ男が登場人物の際に、与太郎のエッセンスが徐々に上方落語にも染み出ている気がしている。
これは自然な流れだと思っております。