2018M-1グランプリ

昨年のM-1グランプリについて触れた記事は、私の記憶ではアクセスも多く、そこそこのご好評をいただいたようである。
まあ、当ブログの中では浮いた記事なので、その後は人の目に触れていないようだけど。
今年もちょっと書いてみたい。ただし落語に絡めるという縛り付き。
立ち位置として、私は落語と寄席の漫才についてはうるさいが、TVの世界の漫才について、マニアックな知識を有しているわけではない。その点はお断りしておく。
その世界に好意は持っていて、リスペクトはちゃんとある。
そして、落語のほうから得た経験が、漫才に役に立つ部分もちょくちょくあるのだ。

ちなみに、落語でも漫才でも、コンクールの審査結果についてはくどくど言うのは野暮の極み。
自分の好きな芸人さんを応援する気持ちはいいとして、客観的な視点は常に大事にしたいものである。フィギュアスケートのファンのように。

といいつつ、とろサーモンの現在の体たらくを見るに、昨年の審査結果は結果的に間違っていたと言わざるを得ない。
これは昨年書いたことが見事に当たりましたな。
もともとはぐれ芸は、スタンダードな笑いの存在があってこそ生きるものである。
秩序をぶっ壊して新しい笑いを生み出したとして、そこから新しい笑いの秩序を生み出せず、キワモノであり続けているなら、勲章はむしろ仇となる。
さらにとろサーモンにつき、ボケの久保田がクズだから売れないなどと世間は言うが、これもまた否定できないものと思う。
芸は人なり。人柄が悪いと客に拒否されてしまう。心理的に拒否された芸人がつかめるものはなにもない。
噺家さんも、芸の前に人格を磨けなどとよく言う。
芸を評価される噺家が、実際にみな人格高潔だなどとは私はまったく信じていない。でもそうだとしても、人格を磨く努力が必要だという理念自体は非常に大事なものだ。

そのつながりで言うと、立川志らく師が炎上気味であったそうな。私もその悪目立ちは嫌だな。
コメント、ちょっと何言ってるかわからない。
本職の漫才師のコメントが実に的確な中、落語の人が、上から偉そうに言うコメントになっている。
結局、演者に対するリスペクトがないのかな。口ではなんとでも言えるが、態度は如実に語る。
同業者が相手だって、リスペクトなんかない人だけど。談志に「バカと付き合うな」と言われて付き合わなかったという人だから。
志らくご本人は、炎上は知名度の問題だとみなしているようだが、TVの客はもっとストレートに人を見ている。とろサーモンと同様、結局は好感度の問題だと思うんだけども。

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志らく師、逆張りコメンテーター代表で審査に出るのは別にいいけども、落語界を代表して欲しくはないな。
落語界の代表なら、笑点メンバーのほうがずっといい。少なくとも偉そうにはしないもの。円楽師だけやや危ないけど。
志らく師は、笑点メンバーのことも常日頃から馬鹿にしている。自分のほうが本業の落語だってずっと上手いと。私はまったく認めないけど。
というか、偉そうな噺家というのが、そもそも落語界全体を見回したときに希少種だ。
いっそ、全世界を敵に回すぐらい傲慢ならひとつの芸になるのに。でも、談志にはなれず微妙に視聴者におもねった結果、拒絶される志らく。
もともと低すぎるくらい腰が低いところからスタートして毒舌を吐くと、柳家喬太郎師のようにギャグになる。だが逆は無理だ。
喬太郎師がこの仕事に就くことがあるとは思わないけど、あの師匠なら、若い芸人をリスペクトする姿勢が、ちゃんと視聴者に伝わるよ。そして結果的にご本人の好感度も上がる。

上沼恵美子は嫌いな人も多いだろうしその意見もわかるけど、審査がちゃんと芸になっている。
少なくとも、若手を自分の貧しい欲望の踏み台にはしない。
ギャロップについて「自虐はウケない」とコメントしていた。これは私も、落語についてだがたびたび当ブログで書き記していることなので、我が意を得たり。
落語のほうが、客が下から入ってくる分、より自虐は難しい。でも漫才だからって、客はみんな上から入るわけではないのだ。
エミちゃん、ミキの自虐については、突き抜けてるからいいと。
これを矛盾と採る視聴者もいるようだが、私は全面的に同意する。
ミキのネタ、そもそも自虐って言わないと思うのだが、ともかく突き抜けた自虐に、私も文句は言わない。
噺家もまたしかり。

和牛、一本目はどうかなと思ったけど、決勝のオレオレ詐欺のネタは実に面白かった。決勝に出ることを前提に、とっておきのネタを取っておいたようだ。
ジャルジャルと違って王者の戦い方。
世界観も面白いけど、当たり前なセリフを返すだけでウケが来るところがすばらしい。いい落語から受ける感覚に似ている。
もちろん、当たり前のセリフがウケるようにちゃんと作ってあるのだけど。
昨年、和牛のネタは、登場人物の断絶、コミュニケーションギャップを明らかにしておいて、ボケとツッコミが競ってギャップを拡大していく性質のものと書いた。
ただし、ボケツッコミのエスカレートする対立の裏側に、世界を変容させていくための強い協力関係が、客の目にも映る。こうした点に、落語との共通項がうかがえるのだ。
落語はひとりでやるけれど、登場人物は多数描く。その登場人物の関係性は大事。
その後1年間、和牛のネタを視続けていると、徐々に競い合いの裏側にある協力関係のほうが、目立って映るようになってきた気がする。
やはり漫才たるもの、いにしえの時代から現代まで、調和が大事なのだなあと感じるのである。
表面的には対立していても、そのツッコミは緩い。
寄席で鍛えたナイツは当然ながらキツいツッコミはしない。寄席の緩い空気に似合う緩いツッコミである。
寄席芸人ではないけどサンドウィッチマンもそう。M-1で優勝した頃は、意外とツッコミがキツい。その後どんどん、コントも含めてツッコミが緩く緩く進化していった。
吉本の関西芸人も、落語の寄席ではないけど劇場に日夜出演していると、自然とこうなっていくのではなかろうか?
緩いツッコミこそ正義とまでは言わない。落語なら、ほぼ正義だけど。
いずれにしても、緩いツッコミは客の気持ちに優しく、演者としても力の入れ具合を調整しやすく効率的。

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私と家内は、和牛ファン。
でも私のほうは、和牛は優勝しなくてもいいなんて思っていた。
2年連続2位のお陰で、売れに売れたではないか。もう1年売れ続けるための原動力になって、実にいいと思う。
ただ実際に負けてみて思ったのだが、和牛の1本目のネタを見る限り、そろそろ新しい漫才を追求し続けるのは辛いのかもしれない。
数日経って気の毒になってきた。
まあでも、まったく新しくなくてもいいじゃないか。オレオレ詐欺のネタの運びは落語の「星野屋」といえなくもない。

審査する側も、2年連続2位のコンビに勝たせてやれと思ったって不思議はない。
逆に私が思うように、「和牛は2位のほうがいいのだ」という考え方をする人だっているかもしれない。
審査員も責任重大ですね。4対3の僅差だからなおさらだ。結局、純粋に漫才と向き合った上での各人の審査結果なのだろう。結果に異論はない。

牛肉対決を制した霜降り明星、こちらも少々心配だ。
決勝の、さらには1本目のネタも非常に面白かった。これはもう、落語との共通項として私が馴染んでいるのとはまったく違う世界観。
世界観は違っても、大変面白い。自分が審査員だったら、悩むだろうなと思った。
ただネタ終了直後は、和牛が勝つだろうと予想した。決して「勝って欲しい」ではない。
霜降り明星は「ボケと一口解説」という、新しいスタイル。
漫才コンビも次から次へと新しいツッコミ方式を開発していくよなあ。その努力には頭が下がる。
霜降り明星に対するリスペクトを十分持った上で言うのだが、ツッコミが激しく、正統派ではない点が今後について気になる。
誰が見ても面白いと判断するだろう漫才で、とろサーモンのようなことにはなるまい。でも異端のスタイルのまま、これ以上の活躍をし続けるのは大変かも。
なまじ形が確立してしまっているので、これから先は型を維持し、いかに面白いツッコミを作るかの努力になるのだろう。
普通はツッコミが強いのなら、ボケのほうが引いて穏やかにするもんだ。穏やかなボケだって、ツッコミ次第でウケるもの。
違うスタイルも開拓していかないと、彼らもまた辛いと思う。いずれ視聴者が、期待しながら観つつも、今のスタイルに疲れてしまう日が必ずやって来る。
どこかで漫才に限界を感じ、TVバラエティ芸人になりそうな気がしてならない。
彼らも、2位のほうが将来に向けてむしろよかったかもしれないなんて思う。

ダウンタウン松本が、最後にコメント。出場者全員のチームワークが見られたと。
これも、私が寄席の番組についていつも書いていることなので嬉しくなってしまった。
そうそう。大会なんだけども、バラエティでもあるのだ。ならば協力しなければ。
落語の人からのコメントではない。まあ、落語の人でも、一匹狼だとチームプレイをそもそも理解していなくて言えなかったと思う。

出場者全員にコメントしてもいいのだけど、志らく師みたいになっちゃうと嫌なのでここでやめておきます。

作成者: でっち定吉

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