ごごらく@なかの芸能小劇場 その2(瀧川鯉八「おちよさん」下)

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落語の世界観は極めて特殊な鯉八さん、話芸の観点からすると、大変ストレートな芸にも思える。
素の自分を一切高座に出さず、演者の地の部分から、すべてを作り込んで高座に上がる。
客を見据えて自分のペースでじっくり語る、恐るべき足腰の強さ。客に合わせるのではなく、客を自分に合わせてしまう。
ネタの作り込み方にどうしても目が行くが、実はこちらの語りの能力のほうが、噺家瀧川鯉八にとってより大きな比重を占めているのではないかと私は思う。

一般的な落語ファンに高く評価される、柳家小三治師の高座と同じ要素を持っているのではないか。
私に言わせれば、足腰の強さだけはものすごい小三治師は、語る内容がまるでつまらない。
人間国宝の芸のわからぬド素人めと罵られるのを覚悟で言うが、私は鯉八さんのほうがずっと好き。
新作派で足腰の強さ、肚を比べるなら、林家彦いち師にちょっと近いところがあるかもしれない。

演歌のイントロで掛かる紹介ナレーションから本編へ。
「ミッドナイト寄席」で聴いた、「おちよさん」らしい。もっとも、「おちよさん」という固有名詞、噺のどこにも出てこないので、演題は忘れていた。
こんな演題、覚えられるわけがない。だから、「鯉八 つくね」で検索して調べ直しました。
島倉千代子?

知っている噺だが、それで残念という気持ちがかけらもない自分に驚く。
マクラですでに楽しい鯉八ワールドに連れていってもらっているので、ネタがなんだって構わないと、私の脳が感じているようだ。

飛び降り自殺をしようとする女を、持っていたつくねを投げて止めようとする流れ板前。
これだけでシュールな設定に思えるが、決してそうじゃない。シュールのままでは終わらない。
物語の展開的には、シュールな設定をさらに超えていく。だが、物語の中で女から投げかけられるのは、つくねを投げるなんて(しかも後ろから)おかしいでしょという、日常に即した疑問。
そもそも、つくねを持ち歩いちゃいけないというところから問い詰める女。
これでちゃんと、客との間にブリッジが架かる。

板前は、言葉の溢れる世界で生きていない。だから粗雑な行動でしか感情を示せない。
いっぽう、死のうとする女は、饒舌な言葉の世界を生きている。
饒舌な女は、男がなぜ人助けをしようとしたか、なぜつくねを持っているのか、そして男の就労環境まですべて言い当てる。
寡黙なので板前を志すが、板前の世界も決して口下手では乗り切れなかった。だから流れ板になったのだが、ちょっといい男なので現在の職場ではおかみさんに言い寄られて困っていることまですべてお見通し。

鯉八さんのこのセンスが女性客に響くのでしょう。女性のほうが優れている設定なので、優越感をくすぐられるのかもしれない。
もちろん、私のような男にも響きます。
落語の世界は、古典も女のほうが強いのだから、これでいいのだ。

噺のすべてが、次に上がる昇々さんの紹介ナレーションになっておしまい。
シュールな設定とシュールなサゲ。しかしシュールに逃げない鯉八さんは偉い。
客はシュールな状況を楽しむが、そこが噺の肝ではないのだ。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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