トリは好楽師。
この師匠は、波長が合えば合うほど楽しい。だからついまた来てしまう。
持ちネタの多い好楽師だが、よく来てるので最近演目がカブるようになった。
だが、カブり出してからがこの師匠の真骨頂である。
毎回、噺が違うんだもの。
毎回演出を試しているというより、頭を空っぽにして、その場で作っている感じ。
ベテランの師匠で、他にこんな人はいない。
若い頃に覚えた噺、年取ってから掛けるとなると、それほど大きく変えられるものではないはず。
好楽師だけ、なぜこんなやり方が可能なのか。
それは、若い頃に多くの先輩の噺を体に入れてしまったから(想像)。
そんなスタイルだと、若いうちは明確な個性が発揮できなかったかもしれない。
だが今や、この高座自体唯一無二である。
師の体内には、ふたりの師匠や志ん朝、談志、その他すべてが入っているのだ。
当ブログ、好楽師の記事を出して、それほど数字が伸びた記憶がない。
同じ席で、孫弟子のけろよんさんのほうがずっと多かったときはずっこけた。
だが前回、上野広小路亭しのばず寄席の記事が個別アクセス1,200を超えて、快挙である。
まだまだ元気な師匠、これから5年で落語の評価をことごとく塗り替えていくから、見ていてください。
「人徳者」という評価では、足りない。本業のウデを思い知るべし。
まあ、毎回違う高座の楽しさを味わうためには、通わなければいけないのが難点だが。
もう11月も終わりですねと好楽師。
今年は多くの人が亡くなりました。小三治師匠に圓窓師匠、そして弟弟子の円楽。
9月30日は、2年前に亡くなったかみさんの命日で、墓参りに行ってたんです。
帰ってきたら円楽が亡くなったと聞いて。
かみさんは72で亡くなったんです。円楽も同じ日に、同じ年で亡くなりました。
円楽は腹黒キャラで売ってましたけども、本当は気配りの人でした。
なにしろA型ですから。あたしがずぼらなB型です。
円楽はあたしより早く笑点に出て、売れてました。
あたしがまだ出てない頃、仙台の会で一緒だったんです。
一緒に帰京すると、円楽が言います。
「アニさん、銀座で豪遊しようよ」
「いいけど、お前売れてるんだからお前がご馳走してよ」
「ダメだよ、この世界は先輩絶対なんだから」
「でも、ないよ」
「貸したげるよ」
円楽が20万貸してくれました。それで豪遊したら、20万じゃ足りなくなっちゃって。
追加でまた10万貸してもらいました。
それで翌朝、30万持って円楽のうちに返しにいきました。
なにやってんだろうと。
今後は志ん朝の話。
顔が似てるというのでかわいがってくれた。
「俺の噺は全部やって構わないから」
志ん朝の出囃子「老松」も、好楽師が使うのをお姉さんが許可してくれている。
なので会では老松を使うこともある。
飲みに連れていかれると、「実の弟」という設定になる。
あら、師匠のところはお姉さんがふたりと、それから馬生師匠じゃないの?
と聞かれると、こいつは隠し子なんだと真顔の志ん朝。
そんなことあり得ないんですけどねと好楽師。志ん生おとっつぁんはモテなかったんですから。
師がよく語る、池袋演芸場の志ん朝の芝居に10日通った話。
常に最前列で志ん朝を待ち構える信夫少年。
志ん朝が楽屋で言う。
「なに、あいつまた来てるの。やりにくくって仕方ない。今日も野ざらし掛けるつもりだったのに、仕方ない、火焔太鼓にするか」
その後楽屋入りした好楽師。志ん朝に挨拶すると、「あ、あのときのお前! お前のせいでネタ変えなきゃならなかったんだ」
志ん朝の腕が上がったのはあたしのおかげ。
そんな志ん朝から教わった噺を今日はやります。
「にいさん大変」とお咲さんが上がり込んでくる。
厩火事かと思うと、風呂敷である。
これもかつて一度聴いているのでカブったが、まったく気にならないし、記憶とずいぶん違っていた。
風呂敷はもともとバレ噺であったという。
かみさんが男を連れ込む噺だったのだ。菊志ん師からそんなスタイルを聴いたことがある。
好楽師から前回聴いたものは、かなりおかみさんに隙がある演出だった。
お咲さん、アニイに嘘はひとつもついていないのだが、内心はどうだったか。
語らないだけで、間男の既遂だったのではないかと。
そんな、噺の根幹すら今回は異なっている。
隙はかなり多いのだが、かろうじて未遂かなと。
既遂か未遂かはもともと聴く側次第というところがあるが、それが未遂のほうにブレたのであろう。
もちろん、現在の一般的な風呂敷のように、亭主の一方的な焼きもちと解釈しても構わない。
また長くなってしまった。
好楽師の高座は、メモも録音もなくても全部頭に入るのである。