どんどん進む浅草夜席。
続いて春風亭昇々師。私は昨秋、真打の披露目以来である。
昼席のA太郎師もそうだが、最近の芸協の寄席では必ず成金メンバーが顔付けされている。
竹千代さんが新作で挑んでもそれほど動かされなかった客だ。
客席にいる私には、決して重苦しい感じには思えないし、客数だってそこそこ。
だが、浅草お茶の間寄席でオンエアされたときは、盛り上がってはいないな、少ない客だなと感じる程度ではあるかもしれない。
昇々師はそんな客に新作で挑み、ちゃんと沸かせていたように思う。寄席用にパッケージされた見事な一席。
昇々師が今までも結構テレビで披露している「お面接」。代表作のひとつということだろう。
ちょっと痛めの母親が、私立の小学校の面接に、そこそこ間違った対策で挑む。
普段使っていない「お父様」「お母様」を使わせるので坊やはパニックを起こす。
皮肉な視線は当然あるものの、強すぎないのが上手い作りで、お母さんは痛いが坊やは可愛い。
単身赴任のお父さんはパイロットだが、うろ覚えの坊やにとっては「たにしのふんどしを締めたパイパイ」になってしまう。
古典でも新作でも、昇々師の描く坊やはとてもいい。
続いて三笑亭夢丸師。
久々にその高座に遭遇できてとても嬉しい。2年半振りだ。
もともと、ちょっと上ずった流れるような喋りで沸かせる人だが、お見かけするたびにスムーズさが増しているのは一体どういうことか。
皆さん、テレビの収録入ってて緊張してますか?
大丈夫ですよ、私のところだけ収録してませんから。
楽屋には、誰が放映されるってちゃんと書いてあるんでちょっと悲しいんですけどね。
とはいえ夢丸師もお茶の間寄席にはたまに出ていて、私は楽しみにしていますが。
宗論へ。
宗教がいつになく社会問題になっている昨今でも、寄席では気軽にこんなネタをやっている。平和である。
芸協でよく聴く遊雀型の宗論。息子が讃美歌を歌っているうちに、里の秋になる。
夢丸師の場合、ふざけ度が強くさらにもうひとつ歌が変わる。なんだっけ。
宗論なんてよく聴く噺で、しかも芸協ではおおむね遊雀型。
しかしながらとてつもなく面白い。
親父と息子との漫才にしていて、その漫才の呼吸が面白いからだ。
さらに番頭さんの語るサゲもちょっと変えている。
こういう小品で楽しませてもらえる寄席というのは、しみじみいいところだなと思うのです。
色物で、ねづっち登場。
もう、「ねづっちです」の際、セリフすら言わずポーズだけになっている。
毎日のように寄席に出ているねづっちだが、常に適度な緊張感を醸し出すという、すごい高座を務めているものである。
そして、常になぞかけを考える芸人としての自分を写し出す、メタ感が最高。
講談で神田陽子先生。
美空ひばりの「一本の鉛筆」をフィーチャーした新作講談。
戦争を知る美空ひばり、8月15日広島の音楽祭で熱唱する。
そして死の直前、伝説の東京ドームコンサート。
感極まりグっと来る場面でもってギャグを入れてくる方法論が私にはわからない。
陽子先生だけでなくて芸協の女流講談全般に言えることだと思うのだけども。
泣かせる場面でもって泣かせたらいけないのかな。
泣かせる芸が寄席の演者にとってあざとく感じるのかもしれない。それも、理解はする。
笑いがスパイスになって感動が鮮やかになることもあり、それもまたわかるのだけど。
なんだか水を差されたようで少々残念に思ったのです。
次の桂歌助師の「替り目」が実によかった。夢丸師と同様、オンエアはされないのだろうが。
演芸ホールが公表しているネタ帳には「代り目」と書いてあった。まあ、両方ある。
還暦のこの師匠、今まで特に着目したこともなく。
しかし噺家というもの、ベテランになっても化けられる芸種なのが面白い。
師匠・歌丸と酒のしくじりの話。
師匠は完全な下戸で、酒飲みの弟子には厳しかった。
歌助師は新潟の出で、お酒大好き。
替り目は、小遊三型。
芸協の寄席に来ると、小遊三型、遊雀型の噺をやたらと聴くのが面白いなと。円楽党も得てしてそうなのだが。
小遊三師、そして遊雀師がいかに偉大な噺家か、そのたび思い知るのであるが、型を感じさせる高座の多くは若手のものである。
だがベテランの域に入った歌助師からも小遊三型が聴こえてきた。
ただ、小遊三師の軽い芸風とはまったく異なり、歌助師はこの軽い噺に人情味を加えていく。
というか、もう冒頭から夫婦の絆が聴こえてくる。
納豆が何粒残ってたとかは余計らしく、カット。
おでんの略称の件も、引っ張らない。
かみさんがおでん買いに行ってからの亭主の独り言に、入念に焦点を当てる。
このシーンが上手い噺家は、みなおかみさんに感謝があるに違いないと思う。たぶん家庭を大事にしてない人にはできない。
客席の奥さま方は大喜びでしょう。