古典落語と新作落語・・・無意味な切り分けに騙されるな(上)

「江戸落語」と「上方落語」の違いを説明する多くのWeb記事について、実にもって紋切り型と感じ、「違いなんてない」と断じたところである。
その私の記事も、検索に掛かり出した。
不毛な初心者向け記事再生産に、一石を投じたいと思うのだ。
案外、プロも同意してくれると思うのです。

初心者への説明は紋切り型でいい?
そうかもしれないが、実際のところ役には立たない。
「上方落語は嫌いだ」というインチキ落語ファンの識別には役立つが。
上方落語家自身も、「江戸と違う珍しいスタイルでやってます」なんて説明の前に、同じ土俵で勝負できないといけない。

無意味な落語の切り分けは他にもある。
古典落語と新作落語である。
まあ、江戸上方の違いよりは、こちらのほうが違いはずっと明確に見える。
昔からあるのが古典落語、誰かが作ったのが新作落語。
圓朝ものは新作か、作者が明らかな試し酒は新作か、などといろいろややこしいところはあるのだが。でもまあ演者もかなり明確に分かれているし、ファンもある程度そう。

だが、古典と新作の切り分けも、やっぱり紋切り型だなあと思うことが多い。
なんの役にも立たないガイドが生産され続ける。

落語初心者も、古典と新作が存在することはなぜかおおむね知っている。なので初めて会った噺家に、「古典ですか新作ですか」と訊いたりするらしい。
訊いたところでなんだかな。

初心者のありがちな勘違いは、「現代を描く新作落語のほうがとっつきやすそう」というもの。
実際のところ新作落語は古典の応用編であって、古典を踏まえていないとピンと来ないことが多い。
円丈このかた、古典の要素と断絶された(あるいはそう試みた)新作も無数にある。ただ、得てして落語という広いステージからこぼれ落ちる結果になったりすると、面白くても定着しなかったりして。
結局新作落語の大部分も、落語という広いステージから逃れられない。というか、まん真ん中に載っていたりもするのだった。

「古い落語ファンには古典落語絶対派が多く、新作を馬鹿にする」。
こんな想像もあるかもしれないが、ほぼフィクション。
古典落語のほうがずっと入門編には向いている。「登場人物が、昔の人」というお約束事を守るだけで簡単。
まだそんなに聴いてないくせに、通ぶって新作はどうのと言う人もいそうだな。だが、鑑賞力が不足しすぎていて、古典の応用編である新作に進めていないだけだと思うよ。
実際は、長く落語を聴いていると新作に抵抗がなくなる人のほうが多いはず。
ただいっぽうで、意味のないこだわりにより新作を拒否し続ける層もいることは想像に難くないけども。
これは上方落語に対する偏見と同種であり、ろくな聴き手ではない。
新作どころか、今や大家になった林家正蔵師に対し「こぶ平引っ込め」というのも似たような連中。

先日正月のNHKで柳家喬太郎師が出した「擬宝珠」により、当ブログに多くの流入があったことは書いた。
擬宝珠は、古典か新作か? 意外と難しい。
設定は古典である。なにしろ「崇徳院」を借りている。
しかし古典設定なのに、新作っぽさが濃厚である。
作った人はいる。初代三遊亭円遊である。「船徳」もこの人の改作(元はお初徳兵衛)。
さらに、現代に蘇らせた人がいる。それがまさに喬太郎師。

喬太郎師は古典と新作の両方で圧倒的な活躍を見せる師匠だが、さらに「滅びかけた噺の復刻」もしている。
「綿医者」「仏馬」「茶代」などもそう。他にもあるかもしれない。
これらの見事な作品、喬太郎師でないとできない復刻ばかり。

さて、TVで流れた擬宝珠はよほど視聴者にインパクトが強かったようだ。
ついネットで調べたくなる気持ちはよくわかる。「なんてすごい落語があるんだ。古典なのか? 新作っぽくもあるな」という。
現代の新作落語には、「どこまでマニアックな噺を、そうでない人に楽しませられるか」というテーマが隠れている。
古今亭駒治師の鉄道落語や、柳家小ゑん師のアキバ落語は、まさに成功した例。何の関連知識も持っていない人を楽しませてくれるし、実際に業界と無縁のファンがついている。
「擬宝珠」にも似たところがある。理解されない趣味(金物舐め)の噺なのだ。
喬太郎師はフェティシズムとして捉えているが、これはオタク落語でもあるのだ。オタクの感性には普遍性がある。
ちなみに、オタク落語は、相撲マニアの三遊亭兼好師のマクラにも感じるところ。つまり古典にも存在する。
私は現在、ほぼ相撲に興味がないのだが、兼好師が「花筏」の前に振る相撲マクラは大好き。自分の好き嫌いと、面白さとはまた別なのだ。

さて。
先ほどから延々述べているのは、新作と古典と、その境界線が驚くぐらい曖昧模糊としていることである。
新作と言えばパイオニアの三遊亭円丈を思い浮かべてしまう。確かにあの人は、古典落語の存在していない領域で新作を開拓し続けていった。
だが、円丈チルドレンはみな、古典と新作のハイブリッド。
喬太郎師をはじめとするチルドレンの落語は、実に区分が曖昧である。

こういう状態を、せっせと切り分けてしまうんだよなあ。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。

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