古典落語と新作落語・・・無意味な切り分けに騙されるな(下)

世間はなぜ、そんなにいちいち落語を分類したがるのであろうか。
東京落語と上方落語の識別にさしたる意味がないのと同様に、古典と新作も区別しすぎる気がしている。
せっせと区分したところで、「古典落語」がそもそも1種類に収まるようなものではなく。
当然新作落語だって、すべてが同じようなものではない。
分類自体はなかなか楽しいものであり、私だって好んでサゲを分類したりしている。とはいえ自分の好き嫌いに沿うよう切り分けただけでは、極めて非生産的である。

ひと頃の新作落語家側にも、円丈イズムの継承で、古典と戦う気がみなぎっていた。その空気がファンに流れ込んでいるかもしれない。
円丈師はマジだったかもしれないが、後継者たちにとってはあくまでもシャレである。
だいたい新作落語家は、揃いも揃って古典落語大好きなんだから。古典に改めて向き合う機会のない古典派よりずっと。
現代では古典派のほうにも、新作のエッセンスが徐々に徐々に染み込んできた。
古典派がいきなり新作を始めるというのではない。だが、創作(古典派にだって必要な要素)に新作の要素が入り込んできている。春風亭一之助師なんて、新作の技法で古典を演じる人だと私は思ってますがね。

さて、古典と新作をいちいち切り分けるのではなくて、噺の性質にのっとった別の分類があるのではないか。
こうだ。

  1. 日常の世界(飛躍のない世界)を描く落語
  2. 日常の世界(飛躍のある世界)を描く落語
  3. 非日常の世界を、日常として描く落語
  4. 非日常の世界を描く落語

上記のすべてに、古典落語と新作落語、両方が存在するのである。
古典と新作どっちが好きかを論じるより、上記のどのジャンルが自分にとって好きかを考えるほうがきっと楽しいと思うのだ。
そして演者のほうも、得意分野を持っている。
多くの古典落語は、日常の世界に収まっている(1)。
舞台設定が明治以前のため現代人からすると異化効果が若干ある。それでもやはり古典ならではの日常であり、物語の飛躍もない。
飛躍より、会話を楽しむ落語。前座噺にはこのパターンが多い。
新作も結構ある。当代桂文枝(三枝)師の落語はここが多い。
立川志の輔師のものも、日常が多い。ただ志の輔師は、ちょっとだけ登場人物や事象をハネさせることで、非日常にちょっとズラしてくるのが個性。

そして、この世界から飛躍してくるものもある(2)。
日常世界に、非日常の人物を放り込むとそのズレを楽しむ落語ができる。
古典落語でも重度粗忽の噺などそう。粗忽長屋や粗忽の釘、粗忽の使者、松曳き。
落語には結構、1から2へ世界を移行させるためのアイテムが揃っていると思う。粗忽の他にも、酔っぱらいや与太郎、泥棒などがこれに資する。

このあたりにくると、落語好きならだんだんわくわくしてきませんか?
そして、このジャンルの新作も多いのである。
三遊亭白鳥師の新作はシームレスで、2〜4あたりにあるものが多い。
白鳥師には2もまた多い。ナースコールとかアジアそばとか、座席なき戦いとかの寄席の定番。白鳥師の場合、登場人物がいずれも世界について大きく驚かないのが特徴。
ちょっとネジの緩んだ登場人物が、日常世界に彩りを与えてくれる。

続いて(3)。ファンタジイっぽい世界。ただし落語ではこんな世界もしばしば、日常として描かれる。
古典落語にもよく使われる。なにしろ狐狸が気軽に出てくる世界なのだから。
この領域に、落語のイメージを喚起される人も多いのでは。
「うちの師匠はしっぽがない」が違和感なく受け入れられるのも、もともと古典落語の世界が非日常に寄っているから。

権兵衛狸、狸札、王子の狐、お菊の皿、悋気の火の玉、田能久、天神山(安兵衛狐)、兵庫船、そして元犬。
元犬は、犬が人間になる世界を日常として描いてしまう不思議な噺。
本来いちばん驚くべきは、犬が人間になったことのはずだが。
そば清や、夏の医者など、設定が日常をちょっとだけ異世界に拡大する噺も多い。
逆に、本物の狐が最後にだけ出てくるのが紋三郎稲荷。
死神、疝気の虫など典型例だが、しばしば現実の世界の隣にこの世界が開いている。

新作落語でもこのファンタジイ領域は、気軽に利用される。
ただし古典と違い新作の場合、世界の構築を一から行う必要があるため、この領域に自然に迷い込んでくることは少ないかも。
落語好きが新作落語を書いてみたくなった時、最初に到着する世界がここ。古典落語の影響がこんなところにある。
そして落語協会の台本募集に応募し、「また幽霊ものか!」「また神さまか!」となって、小ゑん師匠に叱られるのである。
桂文珍師の新作は、珍しくここを描くものが多い気がする。バーチャル空間を気軽に漂ったりして。
柳家小ゑん師は、完全に自覚してこの領域を描く(例:ぐつぐつ、銀河の恋の物語、願い事やetc.)

そして(4)。完全に非日常の落語。
このあたり、新作が得意にしている領域だと思いますか?
確かにそのとおりで、円丈師も積極的にこの領域を整地していた(例:東京足立伝説)。だが、もともと古典落語にもあるのです。
「地獄八景」とか、「お血脈」「死ぬなら今」。
いちばんすごいのが、上方落語の「小倉船」。
船の上で詐欺師と丁々発止にやりあっていた(上記で言うと2の世界)かと思うと、舞台は急変し、海の中を探検し、竜宮城に着いてしまう。そんなアホな。
日常と異世界をシームレスにつないでしまう力技の噺。まあ、どう見ても無理矢理だけど。

ここまで来たらおわかりでしょう。
のちの時代にできた新作落語を、新作というだけで切り分けすぎることのおかしさが。
中には3、4あたりの世界を嫌っていながら、古典落語の場合は違和感なく聴くという、矛盾に満ちた人もいるであろう。

結論として、古典も新作も偏見なく聴きましょう。
あまり切り分けないで。

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作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。

2件のコメント

  1. この記事の上がアップされてから、下のアップを心待ちにしていました。このテーマで小倉船まで出てくるとは!で、改めて定吉様の造詣の深さと分析力に感服しました。
    といいつつ、落語を聞き始めた頃に、「新作とは登場人物が山田さんとか、鈴木さんのように今の名前で出てくるものだ」と教わったことを思い出し、隔世の感と。定吉さんおっしゃるとおり、上方と江戸の仕分けなどと同様、新作と古典について分ける意味などないと、自然に私の中でも思うようになっていたことが、この記事で整理がついた感があります。

    1. ありがとうございます。
      お褒めをいただきましたが、私のほうも期待した反応をいただけ嬉しく思います。

      「古典が好き」「新作が好き」という好き嫌いは別にいいのですが、しかしその好き嫌いに本当に根拠があるでしょうか。
      私は「落語」が好きです。

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