亀戸梅屋敷寄席7(三遊亭好楽「風呂敷」)

しゅりけん/ つる
楽㐂   / 半分垢
道楽   / 竹の水仙
(仲入り)
竜楽   / ふぐ鍋
好楽   / 風呂敷

梶原いろは亭が先月オープンしている。私のブログにも随分検索アクセスがあるものの、まだ行っていないのです。
そちらへも行かなきゃいけないのだが、同じ円楽党でも亀戸のほうへ向かいます。
この日も若干、錦糸町などで仕事絡み。
亀戸梅屋敷には少々ご無沙汰しているような気がしたのだが、なに、たかだか11月以来。
円楽党の噺家さんが前座を含めて5人。1,000円のリーズナブルな寄席。
この日の主任は三遊亭好楽師。クイツキが三遊亭竜楽師。円楽党に好きな師匠も多いのだが、私はまずは竜楽師を目当てにする。
とはいえ竜楽師以外も、主任の好楽師はじめ、皆さん揃って素晴らしい日でした。

亀戸駅から明治通りを通って会場に向かうと、レコード店内から歌が聴こえる。
平日昼間から演歌歌手のライブを開催しており、年寄りが大集結。なんかいい街だな。

亀戸梅屋敷、客はまあまあ埋まっている。
梅屋敷名物のメクリ台がなくなって表に出され、立派なメクリ台が新たに出ていた。
柳家小ゑん師によると名称は「見出し」らしいが、でも黒門亭でも「メクリ台」って言ってた。
前座さんの名はなく「開口一番」とある。兼好師匠の三番弟子、しゅりけんさん。入場時はテケツにいた。
変な欲のなさそうな人。世界観を丁寧に描写していく。
前座に即物的な笑いなど求めない。こういう人のほうが一席終わった際の好感度は高い。そして、笑いも徐々に膨らんでくる。
隠居と八っつぁんとのやり取りは、道灌、雑俳、一目上がりなど多数の噺で共通している。この場面が5分も続いて驚いた。別に無駄に長いわけじゃない。丁寧なのだ。
長い冒頭部分から、ようやく「つる」独自の部分に入る。わりと軽くウソ噺に入る隠居。
桶屋の友達、忙しくてだいたいどの人の噺でもつっけんどん。噺的にはそれでいいのだが、なんだか東京でつっけんどんだと、冷たく感じることもある。
だが、しゅりけんさんはわりと優しい描写。面倒くさがりながらも、八っつぁんの話をちゃんと聴いてくれるのだ。
なかなかいい感じ。
将来が楽しみな高座。

三遊亭楽㐂「半分垢」

そして、2017年の年末に両国で聴いて以来の楽㐂(ラッキー)さん。会えて嬉しい。
当代円楽師の弟子では、楽大さんが私は好き。その兄弟子と似たムードの、楽しい高座。
決して早口でないのだが、客にスピード感を与える口調である。
よく聴いたら、極力セリフの「、」を抜いて喋っている様子。
師匠の最近のネタ(不倫とがん手術)と、今も住んでる出身地府中のマクラ。
府中の名物、競馬場と三億円事件を振って、刑務所を振らずに刑務所の話題に入ってしまう。いいけど。
あとは師匠宅の近所にあった貴乃花部屋の話。
本編は相撲噺の半分垢。円楽党は本当に相撲噺が多い。
よそではそんなにやらない噺だと思う。落語には珍しく、おカミさんのアホさ振りを楽しく描く噺。
終始とぼけている楽㐂さんがやるととても楽しい一席。

三遊亭道楽「竹の水仙」

仲入り前はダチョウ倶楽部竜ちゃんに似た風貌の道楽師。といっても風格は見事。
上手い人なのは知っているが、それにしても圧巻の高座であった。
登場人物のとぼけたやりとりのおかしさが、最後まで続く竹の水仙。
本来トリネタのはずだが、人情噺の要素が皆無。実に軽い。軽いといっても、中身のない軽さじゃない。
先に、主人公が甚五郎だとネタバレしているタイプ。三井から大黒を依頼された甚五郎が、江戸に下ってくる途中のエピソード。こういうのは初めて聴いた。
舞台は藤沢宿だが、小田原宿が舞台の「抜け雀」に非常によく似ている。もともと似た噺ではあるが。
宿の主人が、甚五郎が空っけつだと知り困っているにも関わらず、そんなにいつまでも怒ってはいないのが、かえってやたらとおかしい。
もともとそんなに怒っていない主人は、実は超人だった甚五郎の正体がわかっても、必要以上にへり下ったりしない。
当初200両の竹の水仙、殴り賃を含めて300両に値上がりするが、主人にそれほど、復讐に成功してしてやったりの感がない。
ごく単純な演出では、真っ先にそういう人間心理をベースに噺を組み立てそうに思うのだ。
でも、落語ってそんな単純なもんじゃないですからね。心理描写の一切ない、軽い軽い竹の水仙。
心理描写を掘り下げないことで、噺が深くなる。
マジックみたいだが、説明はできる。つまり落語の成功とは、客の脳内に映像や感情を再生させることだから。
そういう芸において演者がすべきことは、映像の再生を押し付けることではないのだ。客が、ひとりひとり違う映像や感情を思い浮かべられるような素材を提供することこそ、大事な仕事。
ミネラル分の少ない軟水がとてもおいしいようなものでしょう。そして、軟水は出汁が取りやすい。
この次の竜楽師にも強く感じることだが、こういう手法を、私は落語におけるハードボイルドだと認識している。水なら柔らかいが、卵なら固ゆで。
藤沢にあったこの宿はその後、「水仙宿」と名前を変える。現在はどうなっているかというと、水洗トイレになっている。
そのような関係ないギャグでサゲるが、世界観が確立されているので、ギャグで揺らいだりはせず、実に楽しい。
亀戸か両国で、道楽師の主任のときに一度来たくなった。

三遊亭竜楽「ふぐ鍋」

クイツキは最大のお目当て竜楽師。いつも人情噺を期待してしまう。
といっても、師に毎回泣かせて欲しいわけではない。人情噺への期待とは、聴き手の魂をゆすぶって欲しいということ。だから、笑いの大きい滑稽噺によってゆすぶってくれるのでも、別にいいのだ。
竜楽師については過去11席聴いているはずなのだが、トリか仲入り前にしか遭遇したことがなかった。だが、この出番用に、ちゃんと爆笑噺を用意しているらしい。
もとより、滑稽噺が苦手で人情噺に取り組んでいるような師匠ではない。むしろ、みんなが人情噺として掛けたがる井戸の茶碗を、爆笑巨編に仕立てたりもする師匠。
この日のマクラは海外公演ではなく、噺家の人数について。師が修業を始めた頃は東西併せて450人だった。その頃も、多過ぎると言われていたのに、今は倍。
そんなに必要でしょうか。一応、成長産業なんですと。
噺家の東西交流から、関西の、電車内や動物園等の掲示におけるストレートな表現について。
神戸の王子動物園、ライオンのオリの前には「かみます」と書いてある。上方の噺家さんがよくマクラに使うネタだ。
そこから「てっちり」という、当たったら死ぬ「鉄砲」を名前に含んでいるストレートな料理の名称へ。
本編、ふぐ鍋は、爆笑巨編でありました。
顔を徹底的にいじって、毒が怖い二人の登場人物を描写する竜楽師。あ、こんなスタイルもお持ちなんだ。
旦那と幇間みたいな客、人に毒見をさせてからもなお、ふぐ毒が不安。
口に入れられず、やっとのことで口に入れても箸が宙に浮いたまま。
現代視点から見て、「あんなに怖がって」と感じる滑稽さではない。登場人物の怯えが、事前の丁寧な描写によって聴き手に十分沁みているので、毒の怖さにリアリティがある。
生き死にのレベルでの爆笑。
この噺も円楽党で冬によく出る。ネタの選択がひと味違う竜楽師も、やはり円楽党の人なのだ。
過去に聴いたこの噺では、この日の竜楽師のものが一番楽しかった。
面白いなと思ったのは、師のふぐ鍋にはおこもさん(乞食)が出ない。食料をねだりにくるのはおこもさんではなくて、働かないので没落した二代目だ。
ホームレスではなくて、ひどい家に住んでいる。なるほど、乞食よりこんな奴のほうが、毒見には向いている。

それにしても竜楽師、その井戸から大量に水を汲み上げても、なお清い水がなみなみとたたえられている。まったく尽きない人である。
今年こそ必ず、内幸町ホールの独演会に、家族連れで行くつもりだ。先月、行って行けないことはなかったのだが・・・

三遊亭好楽「風呂敷」

笑点のピンクではないが、今日もピンクの着物の好楽師。
好楽師は昨年春先に続けて3度聴いた。それ以来だが、ずっと聴きたいとは思っていた。
池之端しのぶ亭で、荒天の日、客2人の独演会を務めたと。
笑点の挨拶で語っていたのは本当だったのか。そんな日なら私も参加してみたい。そう思う人も多いのではないかな。
しのぶ亭にも一度行きたいのだけど、だいたい料金が高め。
「客が来ない」「落語がうろ覚え」と円楽師にネタにされる好楽落語、一体どこがいいのかというと、最大のポイントは人柄。
その人柄を好きになって聴くと、どんな噺もすべて楽しい。昨年聴いた一眼国など、不気味な噺も含めてずいぶんレパートリーの多い師匠だが、みな楽しい。
高座に人柄のよさがはっきり現れる噺家、実のところそんなに多くはない気がする。
人柄がいい好楽師がTVで取り上げられているのを視ると、これもだいたい楽しい。徹子の部屋や、先日放映された「ザ・インタビュー トップランナーの肖像」も面白かった。

好楽師は前日両国の主任だったが、急遽息子の王楽師を代演に立て、大阪に行ってきたそうである。
小文枝襲名のパーティーでスピーチを頼まれたんだそうだ。さすが落語界瑞一の人望を誇る師匠だ。両国で待ってた人には気の毒だったけど。
そんな話から、今はどこでもみんな日帰りだと。かつて好楽師は仙台のラジオの1時間生放送のため、毎週特急ひばりで4時間半掛けて通っていたんだそうだ。

そして志ん朝のエピソード。客だった学生時代の好楽師が、池袋演芸場の最前列に毎日座っているので、主任の志ん朝、毎日ネタを変えざるを得なかったという、よく語るネタ。
そして、志ん生、志ん朝の親子がよくやっていた噺をやりますと。
お咲さんがアニイを訪ねてくる。風呂敷だ。厩火事かなと一瞬思った。
厩火事だと立派なトリネタだが、風呂敷はそうじゃないという印象はある。いいけど。風呂敷のほうが好きだし。
もともとは「紙入れ」と同じ、バレ系の噺だったらしいが、最近はもう、旦那がひたすら嫉妬深いという演出が一般的。古今亭菊志ん師が、古い型でやってた。
だが好楽師のもの、現代のおかみさんに罪のない型と異なり、ちょっとだけエロチック。
直接は語らないが、女房のお咲さんも、可愛い弟分の新さんが来て、酔っぱらってもうどうにでもなれという気があったのではないかなと思わせる。
なにしろ、旦那が帰ってくるまでにずいぶんとやり取りがあるのだ。
でもそれぐらい、まあいいじゃないかという気にもなる。大人の噺だね。そして、セリフに載らない心情を伝えて文学的だ。
アニイの、戸棚に入った新さんの逃がしかたは見事。それまでの好楽師のとぼけていた気配は息をひそめ、ド迫力である。
しかしながら、迫力を感じるのは客だけで、飲んでできあがっている亭主のほうは、楽しい遊びの実践だと思っている。
落語では、この逆はよくある。意外と珍しい構造かも。

5人揃って満足の、楽しい亀戸でした。円楽党はやめられません。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。