亀戸梅屋敷寄席29(下・三遊亭萬橘「四段目」)

トリは三遊亭萬橘師。

先日しのばず寄席で聴いた「手水廻し」がどうもピンと来なかった。
演目のせいにしておこうか。
萬橘師に楽しませてもらわなかったことなどそうそうないので。

雨男の汚名を着せられた愛楽師に逆襲しておいてから、バカの後輩の噺。
後輩に注意したら、「師匠の悪口は言ってもいいですけどぼくにはやめてください」。

萬橘師は44歳なのに頭が真っ白。これをネタに使う。
頭は白いが、別に老けてみられるわけではないと思う。柳家喬太郎師と一緒だ。
でも二人とも、せっかくのアイテムなので使う。
道ですれ違った親子のお父さんが、子供に対しパパは41歳だと話していたので思わず振り返る。なるほど、頭が黒々だ。

萬橘師のお子さんは、今度中学生だがすっかり大きくなって、背が親父に並んでいるんだそうだ。
この話はどうオチ付けたのか忘れた。
萬橘師にしては、マクラの印象が薄かったイメージ。
だが、本編はすばらしいものだった。もちろん、トータルで楽しいのが一番。

ともかくも、子供の出る噺をするということらしい。
商家でもって、お使いから帰ってこない小僧の定吉について、旦那が番頭さんに問い詰めている。
また芝居に行ってるなと。

四段目だ。よだんめ。芝居噺。
上方の「蔵丁稚」という演題が好きだ。
この噺、決して珍しい印象は持っていない。実際、上方ではよく掛かっているかもしれない。
だが、東京で実際に聴く頻度はとても少ない。
落語好きだからと言ってもちろん、みな芝居に造詣が深いわけではない。だが、七段目と同様、子供を通じて芝居にブリッジを掛けてくれる四段目、とても楽しい噺と思う。
まあ、トリで出す印象もないけれど。そこまで大きな噺でもないので、仲入りのほうが向いていそう。

小僧の定吉は、伊勢屋さんへのお使いの途中でつい芝居に寄ってしまう。
午前9時にお使いに出たのに、2時になっても帰らない。
旦那に問い詰められるが、あちらで仕事のお手伝いをしていたと。だが、すぐボロが出る。
旦那が一計を講じ、明日店を休んで芝居に出かけるので留守番してくれと持ち掛ける。
計略に乗った定吉、つい自白してしまって空腹のまま蔵に閉じ込められる。

一般的には、五段目(山崎街道)に出てくる猪の、前脚と後ろ脚とで旦那が遊ぶところである。
猪の脚を、大スターがやるのが見ものだと。定吉、そんなはずはないとつい反論してしまう。
萬橘師はさらにいじっていて、猪がたたらを踏んで見得を切るんだそうだ。ついでに鉄砲をいい形で構えて撃つんだとか。
ギャグの入れ事をしているのだが、全然違和感がないのがかえって面白い。
ここは、旦那が遊んでいるのだから演者も遊んでいいのだ。

定吉がおまんま食わせてもらえないまま放り込まれることは、旦那と番頭さんとの会話のあたりでもすでに仕込んである。
定吉も、放り込まれる前に食べさせてくださったらゆっくり入りますと。
結構入念なんだ。そして、旦那が時計を確認しておいたのも、お昼を過ぎていることを示している。

米朝によれば「蔵丁稚」は、定吉のひとり芝居のシーンについては、子供の芝居ではなくてしっかりと役者の芝居をしなければならないという。
動画を見た記憶があるのだが、米朝は実際にそうやっていた。
芝居に行けない庶民を芝居で楽しませる、芝居噺のルーツを彷彿とさせる。

だが、萬橘師の芝居はどこまで行っても小僧が演じているように映る。
別に演技が下手だとか、そういうことではない。
萬橘師、劇中劇に客がのめりこみすぎないようにしているためだと思うのだ。
というか、終始ふざけているイメージ満載の萬橘師には、これがいいのだ、きっと。

いずれにせよそんな演技では、劇中劇としての芝居が入ってこないかというと、まるで逆。
そんな芝居からリアリティが噴き出してくるのである。これ、すごい。
トリで出す意味もわかる。スケール感が大きいのである。
それもこれも、萬橘師がさりげなく丁寧だからだ。
判官切腹の場において、立ち合いの石堂右馬丞の名はよく耳にする。慈悲深く、ようやく駆け付けた由良之助に「近う近う」と呼びかける。
だがもうひとり、悪役の斧九太夫の名は、落語で耳に残ったことはない。これをいつの間にか萬橘師はしっかり語っている。
斧九太夫は、五段目に出てくる斧定九郎(中村仲蔵でおなじみだ)の父。
一般的に判官切腹の場では斧ではなく「薬師寺次郎左衛門」が悪役として出るのだが、このあたりこだわりがあるものか。

面白いな。
米朝が主張した手法とは異なるのだが、役者の演技ではない演技から、次第次第に忠臣蔵のリアルが立ち上ってくる。
なるほど。落語というものにはこういうことがしばしばあるではないか。
もちろん、萬橘師はさりげなく仕掛けを無数に施しているので、たまたまリアリティが浮かび上がったわけではない。
虚実が二重写し、いや、実際には劇中劇なのだから三重写しで情景が浮かび上がってくる。
それどころか私、歌舞伎行きたくなったもの。
なぜ歌舞伎座の幕見は復活しないのだろう。

サゲの待ちかねた付近も、コント仕立て(本来落語だからそうなんだ)で、やたらと楽しい。
でも、様式美も入っている。

また、日を置かずすぐにでも再度聴きたい(観たい)四段目でありました。

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作成者: でっち定吉

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