野球と落語と英雄いじり(大谷翔平とイチローとなぜか小三治)

昨日のWBCは見事、イタリアに勝ち抜いた。
どうでもいいけどイタリアの監督、ピアザなのかピアッツァなのか。野茂の頃から両方あったね。
アメリカ人としてはピアザだろうし、イタリア代表としてはピアッツァじゃないかと思う。
要は、ピザかピッツァか。
競走馬にこんなのよくある。名種牡馬Danzigは、「ダンチヒ」「ダンジグ」「ダンツィグ」「ダンツィヒ」いろんな書き方がある。

さて、先週の鯉八ショックはいまだに繰り返しぶり返す。
「落語 大谷翔平」検索でもって、1位に来ました。実際に検索訪問があるかどうかは別にして。
あれを読んで、私のことをすごい熱心な野球ファンと認識した方もいるかもしれない。
でも全然そんなもんじゃない。基本野球は好きだが、特定チームの応援しなくなってからもうずいぶん経つし。
昨日のイタリア戦だって、仕事しながらぼんやり見てたのだ。
そして、愛国心が人より強いわけですらない。オリンピックは好きだけど。

ファンだった瀧川鯉八師について、自分でも驚く瞬間転落劇だ。
魔法が溶けてしまい、「新作落語の鬼才」という看板自体にもはや興味が失せた。
そういえば、なんでもうんうんと首を振る最前列の赤べこ女、SNSにツーショット写真載せてた。
やはり自意識肥大のようだ。

次の記事に対する世間の反応が、私の心境とイコールではないにせよ、比較的近いかなと思う。

野球嫌い芸人ニューヨーク嶋佐和也「WBC早く負けてほしい」相方の屋敷裕政が暴露 (日刊スポーツ)

え、なんでここでそれ言うの? という。

ニューヨークはそれでも、炎上を恐れず喋っているのだから、正直自分のファンだけの前でやってる鯉八よりも偉い気もする。
ただ、彼らが好きで野球が好きで日本が好きで、というごく普通のファンに対し、ボディブローのように発言が効いてくる気もする。
こんなことやってるといずれ村本大輔になってしまう。村本みたいな歪んだ選民意識はニューヨークにはないだろうけど。

そういえば当ブログでもって、本ネタでのニューヨークを批判したことがある。
M-1グランプリでの「犬のウンコ食う」ネタと、キングオブコントの「最後弟分を射殺してしまう」ネタ。
改めて切り取ってみると、どちらについても「シャレのわからないヤツ」と言われそうだが。根拠はあります。

さて、熱狂的が付くほどの野球ファンとまでは言わない、つまり「自分の愛するものにケチを付けられた」とまではいえない私が、どうして大谷翔平disりにいつまでも立腹し嘆いているのか。
考えてみたら、理由は簡単にわかった。
そもそも大谷翔平は、マンガなのである。
少年向け野球漫画であっても、大谷以前は二刀流なんていうのはリアリティがなさ過ぎて、設定をぶち壊してしまうぐらいのものだったのだ。
つまり、野球少年の発想にすら浮かばないレベルの存在。
それに挑んで、実現させてしまった大谷翔平は、メタフィクション的存在である。
芸人として、そこを理解していないというのはダメじゃない? ニューヨークや鯉八が創作するフィクションより上位にいる存在なのである。
そんなもの、常識的に考えていじれるわけないじゃないか。
聖域とか、アンタッチャブルとか、そういう趣旨でいうのではない。普通にいじったってかないっこないじゃん。

しかも大谷翔平、リーダーシップがあって性格が非常にいい。
こういう報道は、たいがいフィクションだったりする。でも、大谷の場合、本当にそう。リアル聖人君子。
これは一度書いたことがあるが、日本ハム時代中田翔という、周りに害をなすちんぴらが先輩にいたのに、実に当たらず触らず見事にスルーしてきただけでも私は尊敬している。
最初からマンガの主人公にしようとしたら、完全すぎて編集者に没にされる存在なのだ。

さて、大谷翔平が無欠すぎるためか、ここに来て、かつてのイチローについての批判記事がちょくちょく見受けられる。
イチローもかつては聖人君子だった。
批判を許さない空気が間違いなくあった。
「イチロー嫌い」をネットに書いた記者のサイト(当時、ブログはなかった)が炎上したのを覚えている。
当時は、イチロー嫌いを唱えた人間が叩かれたのだ。
私が「大谷翔平いじり自体ダメ」なんて決して言わないのは、その時代の記憶とワンセット。

しかしイチロー、当時のWBC全日本においても、浮いていたとここに来て書かれている。
すでに晩年のマリナーズにおいてチームで浮いていたことを知っている現在の我々は、すんなり理解してしまう。
「孤高」はカッコいいが、「唯我独尊」まで行くと嫌われる。
大谷が無欠だから、対比されてしまうのだ。その点は気の毒。

イチロー批判を読んで、「イチロー = 小三治説」というのを考えた。
実績自体は否定はしないが、でも人間的にどうかなという。
人間国宝であった柳家小三治も、よく似ている気がする。
人間的には欠陥だらけの人だった。だからか、晩年は一門ごと孤立していた。
人に上から迫りがちな点も共通。迫る人なのに、言動の矛盾が指摘される。
なまじ実績が高いだけに、反動も大きくなる。

「芸は人なり」なんて柳家では言うのに、芸だけの人間がもてはやされるのはどう考えてもおかしい。

イチローは国民栄誉賞をかたくなに辞退している。それを左翼がもてはやすのはさておき。
大谷翔平も辞退しているのだが、さして大きなニュースになっていない気がする。
このあたりに違いがありそうだ。
まあ、大谷は引退後気軽に受諾しそうな気がするが。

作成者: でっち定吉

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